大衆受けするクルマを作れと言われて誕生した4代目が大ヒット

 かつて、多くの自動車好きは「クルマの基本はセダンだ」と主張していたが、現実的にはセダンというカテゴリーは衰退の一途をたどっている。

 自販連が発表している2020年上半期の国内登録車販売ランキングを見ても、純粋にセダン形状だけを設定しているモデルでトップ50に入っているのは30位のトヨタ・クラウン(1万1826台)と43位のカムリ(6170台)くらいしかない。

 セダンを設定しているモデルを含めてもトップ50で名前を見かけるのはカローラ、スバル・インプレッサ、マツダ MAZDA3くらいで、もはやセダンは絶滅危惧種とさえいえる状況になっている。

 そんなクラウンも全盛期にはカローラよりも売れた月があった。年間販売でいうとバブル期の1990年に記録した23万9858台が最多販売のレコードだ。ちなみに、このとき売れていたのは8代目クラウンで、そのデビューは1987年だった。つまり新車効果ではなく、市場がクラウンを求めるようになっていた。

 時代が「いつかはクラウン(7代目のCMキャッチコピー)」に追いついたともいえよう。いまにして思えばバブル期の瞬間風速だったかもしれないが「一億総“上”流」となったとき、クラウンはもっとも売れたのだった。そのブランド力は絶大で、だからこそ2020年のいまになっても純粋なセダンとしてもっとも売れているモデルとなっているのだ。

 ところで、「一億総中流」という言葉の流行った高度経済成長期(1970年代)に売れに売れていたのが、日本を代表するスポーツセダンである日産スカイラインだ。1972年9月に発売された4代目スカイラインは、1977年8月までの5年間で62万台以上のセールスを記録して、スカイライン史上もっとも売れたモデルとなった。

 その理由について、スカイラインの父として知られる開発責任者の櫻井眞一郎氏は、後に「もっと大衆に受けるクルマを作ってくれという会社の方針にあわせて仕方なしに作った」と述懐しているが、たび重なる排ガス規制でパフォーマンスの牙が抜かれていくなか、スカイラインというブランドが持つスポーツ性と、開発者の妥協による「売れるクルマづくり」の絶妙なバランスが大衆のニーズを掴んだことで4代目スカイラインの人気につながった。

今でも日産を代表するスポーツカーの象徴という位置づけ

 4代目スカイラインが歴代でもっとも売れたということは、現在の13代目モデルに至るまで、その記録を更新できていないことになる。しかし、4代目の大ヒットによって圧倒的なブランド力を手にしたことで、スカイラインは生き延びることになる。

 そのブランド性には日産の未来も託された。2020年5月に日産が発表した2023年までの4か年計画では『C/Dセグメント、電気自動車、スポーツカーをグローバルなコアモデルセグメントとして集中投資する』と書かれているが、スポーツカーの例として挙げられていたのはGT-R、フェアレディZ、そしてスカイラインとなっていた。

 スカイラインというのは純粋な意味では日産プロパーのモデルではない。もともとは、日産に吸収合併されたプリンス自動車のブランドで、3代目から日産スカイラインとして販売されたという経緯がある。さらにいえば、スカイラインというのは実質的には国内専売ブランドという位置づけである。それでいて、いまや日産を代表するスポーツカーとして次世代を担うモデルになっているのだから驚きだ。

 それもこれも、1970年代に大ヒットしたことによってカリスマ的ブランド力を「スカイライン」という名前が得たからにほかならない。冒頭に記したクラウンも同様だが、車名がブランド力を持つということは奇跡のような出来事であり、大事に扱えば半永久的に、そのブランド価値は続くのだ。