豊浦章太郎さんが書いておられたが、私もWBCの選考はもっと早く行われるべきだったと思う。ここまで引っ張ったことで、故障を抱えた選手に無理をさせたからだ。中途半端に早く仕上げたために、各球団に復帰しても、調整に苦労するのではないか。特に浅尾拓也が気になる。

この投手は2011年、セットアッパーとして抜群の働きをしてMVPに選ばれた。しかし昨年は右肩痛もあって十分に投げることができなかった。
シーズン終盤に復帰して、それなりの投球をしたのは事実だが、リハビリ途上であり、WBCの代表候補に選ぶべきではなかったと思う。

takuya-Asao


山本浩二監督にすれば、MLBに行っている一線級選手を起用することができず、藤川球児も使えないなか、28歳の浅尾に期待したいと思ったのだろう。しかし、あまりにも性急に過ぎたと思う。

浅尾は、
「お前はもう投げることができるだろ?WBCいけるだろ?」
と年かさの人に言われて
「まだ無理です」
とは絶対に言えない性格のように思える。律義で、自分の事よりチームや周囲を優先するタイプのように思える。

恐らく、昨年もこの調子で周囲の期待に応えようと無理を重ねて、故障を悪化させたのだろう。
浅尾はダルビッシュ有とは2つしか違わないが、メンタル面でははるかに古い人間のように思われる。
周囲は、この浅尾の古風さに甘えて無理を重ねさせたのだ。日本野球の体質の古さ、後進性は、こういうところに現れる。

しかし、日本人はこういう選手が大好きだ。細い体に鞭打って、チームのために身命をささげる。

その原点は、澤村榮治に求められるのか、あるいは守山恒太郎までさかのぼるか。白皙の美少年が腕も折れよとばかりに、むくつけき大男に快速球を投げ込む。そして、短期間で燃焼し尽くして、野球生命を終える。

我々は澤村榮治は戦争で投手生命を断たれたと思いがちだが、澤村は死ぬ前に巨人を解雇されている。2度の兵役に加え、過度の登板が澤村の肩を痛め、最後はストライクが入らなくなっていた。
澤村は失意のうちに巨人を退団し、3度目の応召で輸送船に乗り、撃沈されて海の藻屑と消えたのだ。

“みじかくも美しく燃え”映画のタイトルではないが、日本野球はこういう“悲劇のヒーロー”をたくさん生み出してきた。

服部武夫、西村一孔、尾崎行雄、近藤真市、阿波野秀幸。

投手たちの個性は様々だが、いずれも短期間日本全国を沸かせるような活躍をして、突然投げられなくなって消えて行った投手たちだ。

人々は、颯爽としたマウンドに拍手を送ったのだが、投げられなくなって失意の日々を送る姿にも声援を送った。そのギャップが「悲劇のヒーロー」という物語になったのだ。

フィクションの世界でも、星飛雄馬をはじめ、日本野球の主人公はこのタイプばかりだ。「悲劇のヒーロー」は、日本野球の「原風景」のような気さえする。

野球はずいぶん進化しているはずだが、NPBはこうしたヒーローを今も生み出している。
阪神の西村憲なども、この系譜に連なるかもしれない。

厳しい自己管理で素晴らしい実績を何年も重ねる投手に、日本人は尊敬の眼差しを向ける。しかし、無理を押して連投を重ねる少年のような投手に、日本人は何倍も熱のこもった声援をかけるのだ。

浅尾は、どうもこの系譜に名前が載ろうとしているような気がしてならない。WBC選抜候補に呼ばれながら、直前で落とされるという間の悪さも、その悲劇性を高めている。

もちろん、復帰してもらいたいと思っているが、浅尾拓也は今の時点で日本の野球ファンの心の中に、しっかりと「物語」を刻んだことだけは間違いないだろう。