4月以降、クマによる死亡事故が相次いでいる。5月19日には、東京・奥多摩で下半身のみの遺体が見つかり、警視庁はクマが食害した可能性があるとみて調べている。奥多摩在住のノンフィクション作家・人喰い熊評論家の中山茂大さんは「現地を取材すると、意外な反応が返ってきた」という――。
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奥多摩で見つかった遺体はクマによる食害か

5月19日、東京都奥多摩町日原の山中で人間の下半身が発見されるという衝撃的な事件が起きた。

被害者は2週間前に行方不明になった登山者と判明した。付近で大型動物の足跡が見つかったことから、警視庁はクマが食害した可能性があるとみて調べている。

奥多摩町では、昨年末にも「内臓がない男性の遺体」が発見されており、関連も疑われる。

同遺体もまた、動物に食害されたために損傷が激しかったが、現場は今回の下半身が発見された地点から至近の、同じ尾根伝いである。同一の個体による凶行の可能性も考えられるだろう。

筆者は、明治11年から昭和37年までの83年分の新聞などを通読し、ヒグマに関する記事約2500件を抽出した。その中には、冒頭のように人体の一部のみが発見されるといった凄惨な事件も数多く見かけた。

以下のふたつは、その典型である。

(渡島管内)江差街道の道ばたに、生々しい人の首の、脳部をいたく傷つけられて落ちているのが発見されたが、付近を捜してみると、柳行李と風呂敷を見つけ、(中略)そのそばに、不思議にも帯を結んだまま、衣裳のみ脱殻(ぬけがら)になって打ち捨ててあったという(「函館新聞」明治14年4月12日)


二日、十勝石狩国境の山道に、人夫体の男一名が熊のために悲惨な最後を遂げているとの報らせに、駐在所巡査が出張、取調べたところ、現場にはただ髑髏(どくろ)一個、脊髄片骨一本および両脚の骨のみで、左足かかとは、わずかに残った肉片に足袋を履き、右足もまた足袋を履いたまま、膝の骨以下が残っており、付近に骨片が散乱して、見るも無惨な有様だった(「小樽新聞」明治42年10月8日)

筆者の知る事例では、ヒグマは下半身から上半身に向かって喰い荒らし、頭蓋骨を残すことが比較的多く、今回の事件のように下半身だけが喰い残されることは少ない。

■手足はむしり取られ、生首が転がり…

以下はその珍しい事例である。

上川郡美瑛村市街地雑穀商、近藤信一(三五)、丸一運送店員、浜岸睦思(二三)の二人は、去る十八日オチャンベツ川へ魚釣りに出かけたまま行方不明となったので捜索すると、上流の山中に仔連れの熊がいるのを発見、命カラガラ逃げ帰ったが、(中略)二十一日、村から三里半ほど隔たった山奥のルベシベ川二股オチャンベツ川の川岸に、釣り道具や弁当を発見し、そこより約二丁ほど隔たった崖の下に近藤の死体を発見したが、胴体から上はなく、内臓はことごとく喰われ、また手足もむしり取られ、頭は崖の上に発見された。なお浜岸の死体は両足はなく、顔面は傷だらけで内臓を喰らって土の中に埋めてあったが、実に目もあてられぬ惨状であった(「小樽新聞」大正14年6月22日)

■エサに執着し、数日間「居座る」ことも多い

続報では凄惨な現場の様子が生々しく描写されている。

捜索隊が二十一日遭難現場を調べたところによると、釣り竿はオチャンベツ川へ糸を垂れたままであったが、熊は後方から不意に両人を襲ったものらしく、少し離れたところに魚籠がもぎとられて転がっており、そこから五十間ばかりのところにシャツがむしりとられてあったところから見ると、両名は死にもの狂いで逃げたものと察せられ、その付近にはかなり格闘したらしい形跡もみとめられた。一人の方は頭は胴体から咬みきられて別なヶ所の岩の上へさらし首みたいに置かれ、一人の胴体は土を掘って埋められていた(「小樽新聞」大正14年6月24日)

詳細は拙著『神々の復讐』(講談社)で触れた通りだが、加害熊は子熊二頭を連れたメス熊で、自分は見張りをして、子熊に遺体を喰わせていたという。

熊はエサに強く執着することがよく知られており、数日エサの付近に居座っていることが多い。

冒頭の事件においても、喰い残した下半身に執着して、現場付近にしばらく潜んでいたに違いない。

写真=iStock.com/ramustagram
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■地元を取材してわかった「新たな可能性」

マスコミ報道が過熱する一方で、地元の反応は意外にも冷静だ。

地元の関係者によると、いずれの事件においても「熊に喰い殺された」のではなく「登山中に事故死した遺体が食害された可能性が高い」とのことである。特に昨年末の事件は現場周辺にテン(イタチに似た哺乳類)の糞が残っていたことから、熊害の可能性は低いようだ。

テンの剝製(写真=Daderot/CC-Zero/Wikimedia Commons)

筆者は、まさに両事件が起きた奥多摩町日原の在住だが、地元の知人Kさんは次のように話す。

「熊が出るのは毎年のことで、今年もすでに4月頃からあちこちで出没しています。駅や民家のそばでも出ています。地元で登山をする人は多くないし、山奥での事故ということもあって、怖がっている人はあまりいません」

むしろ深刻なのは観光業への影響だと話すのは、町内在住の登山愛好家Yさんである。

「影響は少なからず出ています。昨年9月くらいから毎週のように人身被害の報道がされましたが、今年は町内を歩いていても、例年よりも観光客の姿が少ない印象です。週末は混雑する路線バスも、あまり混んでいない状況です」

■クマに出会う確率は「100回に1回」

ヒグマにおける人喰い熊の出現確率は、わずか「2000頭に1頭」(門崎允昭『羆の実像』を基に推計)に過ぎない。より草食性の高いツキノワグマでは、出現確率はさらに下がる。過度な心配は風評被害に加担することになる。

「報道が不安をあおって「熊怖い」が植え付けられている気がします。『奥多摩で熊に会う確率は100回に1回』といわれるくらい少ないです。山に入るときは、熊鈴をつける、多人数でおしゃべりしながら登る、早朝と夕方は気をつけるなど、従来通りの対策をすれば問題ないのではないでしょうか」(前出Yさん)

筆者の経験でも、地元住民が野生動物の動画を投稿するのは熊かカモシカか、というくらい、出会うことが珍しい動物である。

奥多摩の観光シーズンはこれからが本番。しっかり対策をとった上で大自然を楽しみたい。

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中山 茂大(なかやま・しげお)
ノンフィクション作家、人喰い熊評論家
明治初期から戦中戦後にかけて、約70年間の地方紙を通読、市町村史・郷土史・各地の民話なども参照し、ヒグマ事件を抽出・データベース化している。主な著書に『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社)など。
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(ノンフィクション作家、人喰い熊評論家 中山 茂大)