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地図を読む上で欠かせない、「地図記号」。2019年には「自然災害伝承碑」の記号が追加されるなど、社会の変化に応じて増減しているようです。半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた「地図バカ」こと地図研究家の今尾恵介さんいわく、「地図というものは端的に表現するなら『この世を記号化したもの』だ」とのこと。今尾さんいわく、「地形図に『町』や『村』といった記号はない」そうで――。

【図】戦前の代表的な図式「大正6年図式」による東京・目白付近

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市街地と農村―集落の表現

地形図に「町」や「村」といった記号はない。

最新の地形図の話をする前に、順序として明治時代から「平成21年図式」までの地形図表現を一通り説明しておこう。

集落の表現は、原則として個々の建物を示す「黒抹(こくまつ)家屋」(黒い四角形)を並べた「独立建物(小)」を用いる。

その並び方で集落の性格が読み取れる設計で、たとえば家屋のサイズが揃った分譲住宅地などは黒抹家屋を整然と並べ、自然発生的な集落なら現地の様子に合わせてランダムに並べる。

この黒抹家屋は1個が必ずしも1軒に対応しておらず、「こんな風に家が並んでいる」という概況を示すに過ぎない。

具体的には小さな8軒の戸建て住宅を四つの黒抹家屋で表現するなどのデフォルメは行われている。ただし、一軒家がポツンとある場合は目印として重要なので必ず黒抹家屋を1個置く。

密集市街地の表現は黒抹家屋を並べるのとは異なる方法で、最初は日本が手本としたドイツの地形図に倣ったようだ。

そもそも2万5千分の1や5万分の1程度の縮尺で、密集した建物群を実際の平面形でぎっしり描くのは現実的でないし、利用者もそこまで詳細な表現を求めていない。

要するに市街の状況が大まかに把握できればよいのである。その手法として導入されたのがハッチング(細かい平行線)だ。

国によっては黒いベタや網点(グレー)、色つきの面で表現するが、日本の場合は左上→右下方向の線を等間隔でびっしりと描く。

ごちゃごちゃと全部の建物を描くよりも、面的な表現で市街全体の道路の通り方や町の中心部の様子を一見して把握できるのが利点であろう。これを「総描建物(大)」と称する。街道の両側に家が1列並ぶような形態は「総描建物(小)」。

ハッチングの表現

ハッチングは大きな独立建物にも応用されている。

アパートなど細長い建物は黒抹家屋をそれなりに長く伸ばした「独立建物(小)」の記号だが、短辺が25メートル以上の場合は「独立建物(大)」で、高さが10メートル(3階建て)未満なら黒く塗りつぶす代わりに左上→右下方向のハッチングが用いられ、それより高ければ「中高層建物」のクロスハッチング(格子模様)となる。


『地図記号のひみつ』(著:今尾恵介/中央公論新社)

最近になって大きく変わったのは最新の2万5千分の1地形図や「地理院地図」に適用されている「平成25年図式」で、ハッチングの表現を用いずにすべての建物をそのまま表示することになった。

具体的には都市部の自治体が作成した2千5百分の1「都市計画図」を縮小して貼り付けてあるのだが、これは手間を省くためである。

なぜなら密集市街地を描くには、そのエリアを特定する難しい判断を経てハッチングの指定を行う必要があるためだ。

市街地の描写については、戦前はまったく違う発想で行われていた。

国土地理院の前身にあたる陸地測量部の戦前の部内資料『地形図図式詳解』には、「市街、村落ノ外周ハ用図目標トナリ殊ニ村落ノ外周ハ屡々(しばしば)戦闘ノ為緊要ナルコトアリ。故ニ外周ノ景況、特ニ障碍ノ程度ハ内部ノモノニ比シ精確ニ之ヲ描示スルヲ要ス」と書かれており、市街戦の場面で地形図が果たす役割の重要性を強調していた。

特色ある建物の外形を目立たせ、塀や柵、独立樹などを的確に描写することが現在地を知るための助けになる。まさに生死を分ける読図への考慮であった。

これだけ詳細に市街を描写したにもかかわらず、皇室関係の屋敷だけは例外であった。

同書に「宮城、離宮、御所、御用邸、御苑、皇族邸等ハ内部ノ地物地貌ヲ描カス単ニ其(その)外周ヲ描テ之ヲ示スモノトス」とあるように、敷地内は屋敷や庭木はもちろん等高線も描かない空白で、ただ文字で「**宮邸」などと記したのみであった。

クロスハッチング

さて、密集市街地を示すハッチングは、大都市などでは一面がこれで埋め尽くされてメリハリのない表現となり、市街地の性格が読み取りにくくなりがちだ。

そこで威力を発揮するのがクロスハッチングで、戦前の図式ではこの細かい格子模様を商店が多い市街に用いている。

記号凡例では「商賈連檐(しょうこれんえん)」と称するが、檐という字は庇(ひさし)や軒を意味し、商店のそれが連なった区域をこれで表現した。

「明治28年図式」「明治33年図式」ではハッチングの個々の線を一般市街より太くて濃く表現していたのだが、「明治42年図式」でクロスハッチングに改めている。

前出の『地形図図式詳解』では「市街内ニ於テ商店櫛比(しっぴ)セル部分ハ家屋ノ図形内ニ交叉暈のう(こうさうんのう、「のう」はさんずい+翁)[クロスハッチング=引用者注]ヲ施シテ之ヲ示ス」としており、その線の間隔は0.33ミリと細かい。手作業で1センチに30本の細線を描く職人技である。

実際の地形図を見ると、必ずしもこの表現がなされた部分の全体が商店であったわけではなさそうだが、目抜き通りの周辺がこれで表現されることにより、都市の「軸」が浮かび上がってその構造が見えやすくなる効用はあった。

この表現は戦後に用語を「商店街」と改めて「昭和35年加除式」まで続いたが、「昭和40年図式」ではこのクロスハッチングを「高層建築街」に転用している。

空中写真で判定する方式となってから、おおむね3階建て以上をこれで表現した。

それまで「商賈連檐」であることを認定するには、時間をかけて現地を歩く地道な調査が必要であったが、空中写真を活用すれば高い建物はすぐわかる。

同じ場所を異なる地点から撮影した2枚の写真を重ねて立体画像を得る技術は等高線を描くためのものだが、それゆえに高低差は極端に誇張される。

たとえば1メートル程度の段差でも足がすくむほどの断崖に見えるので、この画像で市街地を見れば高い建物は一目瞭然だ。

商店かどうかでなく高さで線引きできるのなら、作成者側としても現地調査の手間が省ける。

なお3階建て以上に用いた「高層建築街」は、都市の高層化がさらに進んで実態にそぐわなくなったため「昭和61年図式」から「中高層建築街」に改められた。

「平成25年図式」からは新たに「高層建物」が登場、高さ60メートル以上のものに適用されている。

樹木に囲まれた居住地

「平成25年図式」で惜しくも廃止されたのが「樹木に囲まれた居住地」だ。

これは農村集落や都市部の「お屋敷町」のように、建蔽率(けんぺいりつ)が低く庭木が目立つ集落などに適用されるもので、個々の家をイメージした黒抹家屋を点々と並べた上に網点をかけてグレーに見せる表現だった。

この記号のメリットは、たとえば都市近郊の古くからの農村集落と新興住宅地の区別が容易につくことであった。

庭木が多く余裕ある配置の農村集落に比べて、新しい住宅地は敷地が相対的に狭く、特に建て売りの場合は規則正しい建物の配置が特徴なので、その性格の違いが一目瞭然である。

この記号の廃止により景観が想像しにくくなったのは残念だ。

戦前の図式ではこれを「園囿(えんゆう)」と呼んだ。

『地形図図式詳解』によれば、「家屋ノ付近ニ於テ通常構囲ヲ有シ概ネ樹木、竹林、花果、 蔬菜(そさい)、築山、泉水等ヲ有スル地域」を指し、市街のハッチングとは90度異なる右上→左下方向の線を0.4ミリ間隔で描いた。

建物の間隔は広く、点在する黒抹家屋をそのハッチングが覆う独特な図柄だが、戦後のグレーの網点表示はこれを受け継いだものである。

中高層建物が並ぶ団地であれば各棟の形がそのまま描かれるので、鉄筋コンクリートの棟がいくつも立ち並ぶ様子がよくわかった。

エリアの中央には給水塔が聳え、これにも「高塔」の記号が置かれていたので、団地の風景を彷彿とさせたものだ。

高度成長期の象徴のような団地も老朽化で建て替えが進み、日本の人口もすでに減少局面に差しかかっている。

急速に増加する空き家の存在も指摘されているが、これは地形図には反映されない。

廃屋が並ぶ山村も、建物が撤去されない限り図上の表現は現役当時と変わらないし、もちろん「シャッター街」という記号もないから、たくさんの人で賑わっていた時代と図上で比較するのは不可能だ。

これから本格化する「減築の時代」に備えて、地図記号もあるいは変わるべきなのかもしれない。

※本稿は、『地図記号のひみつ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。