人生100年時代を生きる力となるアントレプレナーシップ教育はどのようなものか、子どもたちや日本がどう変わるのかを聞きました(写真:Fast&Slow/PIXTA)

ロンドン・ビジネス・スクール経営学教授のリンダ・グラットン氏らが著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』で提唱した「100年時代の人生戦略」は、日本でも大きな影響を与え、高校生向けに『16歳からのライフ・シフト』も刊行された。本書によると、今の高校生の2人に1人が107歳以上まで元気に生きる長寿社会では、テクノロジーも進歩し、これまでとは違った人生戦略が必要となる。

人生戦略が変わる中で、学校教育はこれからどう変わるべきなのか。武蔵野大学アントレプレナーシップ学部長の伊藤羊一氏に、教育委員会や行政から「アントレプレナーシップ教育」についての相談が殺到しているという。「アントレプレナーシップは起業家だけでなく日本の全社会人に必要なマインド」だと語る伊藤氏に、人生100年時代を生きる力となるアントレプレナーシップ教育はどのようなものか、それにより子どもたちや日本がどう変わるのかを聞いた。

「アントレプレナーシップ教育」の必要性

アントレプレナー教育と、アントレプレナーシップ教育はまったく違うものです。


僕は、アントレプレナーシップを「高い志と倫理感に基づき、失敗を恐れずにチャレンジし、新たな価値を創出していくマインド」と定義しています。

これは起業家だけでなく、日本の全社会人に必要なマインドです。いくら起業して儲けても、新しい価値を生まなければ日本のためにならないのです。

モノ作りの時代、日本にはタテの社会のヒエラルキーがありました。例えば、本田宗一郎が「車を作るのだ」と言えば、すぐさまその目標や戦略がカスケードダウンされていく。

そのような時代においては、いわゆる「官僚的」な、素早く正確に正解を出す能力が求められました。それぞれの思いを形にする必要はなかったわけです。

しかし、時代がインターネット化、サービス化を遂げ、車も洗濯機もエアコンもあるという、フラットなヨコの社会の時代になりました。この時代では「もっとこうすれば面白いのでは?」という発想が求められます。

アントレプレナーシップが日本を救う

GAFAが日本では生まれなかったのは、アントレプレナーシップの欠如だと考えています。

過去40年間のGDP推移をみると、日本は生産年齢人口の伸びが止まった1995年を起点に別の国かと思うほど落ち込んでしまいました。この年は、Windows95が発売、つまりインターネット元年でもあります。


伊藤 羊一(いとう よういち)/武蔵野大学アントレプレナーシップ学部学部長。アントレプレナーシップを抱き、世界をより良いものにするために活動する次世代リーダーを育成するスペシャリスト。2021年に武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)を開設し学部長に就任。2023年6月にスタートアップスタジオ「Musashino Valley」をオープン。「次のステップ」に踏み出そうとするすべての人を支援する。また、Zアカデミア学長として次世代リーダー開発を行う。代表作「1分で話せ」は60万部のベストセラーに(写真:著者提供)

インターネットは、人々の思いを形にできる力を持つものです。

「ハーバード中の女の子と知り合いになりたい」と言ったマーク・ザッカーバーグは、Facebookを作りました。「世界中の情報を整理し尽くしたい」と言ったラリー・ペイジがGoogleを、「ウォルマートは遠すぎるからウチに配達してくれ」と言ったジェフ・ベゾスがAmazonを作りました。

つまり、アントレプレナーシップを持つ個人が、自分の思いを形にしてゆき、それを誰も否定しなかったのです。ところが日本は、個人の欲望ではなく「集団としてこうあるべき」という思考にはまり、個人の夢は、「そんなバカなことできるわけがないだろう」と潰してしまう。

アントレプレナーシップを持って、インターネットをもっと自由に使い、失敗を恐れずチャレンジしたかどうかで、日米の差が生まれたのです。

個人が夢を形にすること、その夢を笑わない場所を作る必要があります。その思いから、2021年4月に武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(EMC)を開設しました。

EMCでは実務家や企業家が教員として指導しており、「実践」「スキル」「マインド」という3本柱を骨子としています。

3つを別々に捉えるのでなく、学んだらすぐ行動、行動したらスキルやマインドに落とし込むというフローをくり返すことで、行動する力、失敗を恐れずチャレンジするマインドを学んでいくのが特徴です。

授業ではさまざまなプロジェクトを実践します。科学技術を専門とするアントレプレナーをゲストに呼んで、技術を学び、「自分ならこの技術をこう使ってもっと社会を良くする」というプレゼンをする授業。

起業してeコマースでTシャツを売るという授業もあります。大失敗もしますし、自分が何をやりたいのかわからないということも出てきますから、対話を通じてマインドを鍛えます。

自分の人生を振り返り、ライフ・シフト的に捉えて、過去の経験が現在にどう影響しているのかを対話することもあります。

アントレプレナーシップ醸成は「語り」

EMCでは、1年生は全員が寮生活で、僕も一緒に暮らしています。夜な夜な寮で自分たちの夢について語り合っているので、1年が終わって1on1をすると、「寮が最高」と口々に言います。

日本はアントレプレナーシップがないと言われますが、必要なのは「しゃべること」だと確信しています。誰かと語り合うことで刺激になり、盛り上がる。しかし、日本人は世界で最もしゃべらない国民だと僕は思っているのですね。


伊藤氏が登壇する日本最大級の教育イベント「未来の先生フォーラム2023」が8月19日(土)〜20日(日)に開催されます。

学校教育は「先生の言うことを黙って聞きなさい」。教科書の内容を黒板に書き、それを写します。すると、自分の意見を語る子どもは、「おかしい」と見られてしまうのです。

でもEMCには、「俺はイーロン・マスクを越えたいんだ」なんてことを言う学生も現れます。普通なら馬鹿にされますが、寮生活でずっと夢を語り合うなか、人の夢を笑わない文化が確立しており、「それいいね」と受け入れられるのです。これは心理的安全性そのものです。

他人の夢を聞いて、「それおかしくない?」と言う権利などありませんが、日本人は、大きな夢を持つ人を見ると「自分にはそんな夢はない」と感じ、批判して安心したがるところがあります。

人の夢は、価値観です。みんな違っていい。僕は、そういう社会を作りたいと思っています。

過去の学びは、上から下へ流すインプットでした。しかし、本来の学びは、インプットしたところから始まります。

教わり、体験し、インプットするというきっかけができたら、それを実践してみる。そして、振り返って気づきを得て、次にいかす。体験したことの振り返りこそが、気づきの回数や学びの軸になっていくでしょう。

このプロセスをくり返す限り、気づきは翌日になれば大きくなり、その翌日になれば、さらにと指数関数的に広がっていきます。それは、学びがライフそのものになるということでもあります。

何歳からでもやりたいことを始めればいい

日本の教育や社会制度の中で過ごしていると、「なにかをやるため」のテクニカルな問題を「できない理由」にしたがる人が多くなるものです。


『16歳からのライフ・シフト』の特設サイトはこちら(画像をクリックするとジャンプします)

人生100年時代は、80歳ぐらいまで働くことになります。しかし、「やりたいこと」を考えないで生きてきた結果、高齢になって「やりたいことがない」思考停止状態になり、そのまま引退後の20年を過ごすことになる。それはもったいないでしょう。

何歳からでもやりたいことを始めればいい。僕自身、銀行員としてキャリアをスタートし、15年程前までは、今のような人間ではありませんでした。

今、アントレプレナーシップ教育が注目を浴び、教育委員会や行政から相談が殺到しています。個別の対応には限界がありますから、今後はサステイナブルに再生産できるものにするという意味で、ビジネスにしていかなければと思っているところです。

ベースキャンプとしての「Musashino Valley」を作り、そこに集まる各地の人たちと一緒に日本にアントレプレナーシップ教育を広げる。地方が盛り上がることは大事です。日本の人々が、思いを持って元気でいきいき輝いてほしい。それが僕の夢なんです。

(伊藤 羊一 : 武蔵野大学アントレプレナーシップ学部 学部長)