斉藤光毅(さいとう・こうき)2001年8月10日生、神奈川県出身。経歴:横浜FC―ロンメルースパルタ。俊敏かつテクニカルなパリ五輪世代注目のアタッカー。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 横浜FCから活躍の場を海外に移して2年半。ベルギー2部のロンメルSKでプレーしていた斉藤光毅は、2022-23シーズンから新たな挑戦をスタートさせた。

 新天地はオランダリーグ1部のスパルタ・ロッテルダム。序盤戦はコンディションの問題で出場機会を得られなかったが、尻上がりに調子を上げて目覚ましい活躍を見せた。

 終わってみれば、26試合で7ゴール・5アシスト。1年を通じて上位争いを繰り広げたチームも6位で終え、斉藤はその躍進を中心となって支えた。

 来夏のパリ五輪でエース候補と目される男は、なぜ1年目から結果を残せたのか。その理由とは――。

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 スパルタ・ロッテルダムでは主に左サイドハーフで起用され、26試合で7ゴール・5アシストをマークした。2021年1月に移籍したベルギー2部のロンメルSKでは1年目(後半戦だけのプレー)が9試合・0得点、初めてフルシーズンを戦った2年目は20試合・5得点。過去2年の成績を考えれば、目に見える形で成長を示した及第点以上の結果を残せたのは間違いない。移籍1年目の斉藤にとって、22-23シーズンはポジティブな1年だった。

 とりわけ、後半戦のプレーは目を見張る。コンディション不良で出遅れた前半戦は1得点に終わったものの、3月5日の24節・エクセルシオール戦(4−1)から3試合連続ゴールをマーク。5月13日の32節・フォレンダム戦(1−2)から最終節のフローニンゲン戦(5−0)まで、再び3戦連発の離れ技をやってのけたのだ。

 最高の形でシーズンを締めくくった1年を斉藤はどのように見ているのか。

「最後の結果を見れば、まあまあ活躍できたと言えるかもしれないですね。7得点・5アシストの数字で言えば、ゴールに関わった回数が二桁を超えていますし。でも最初につまずいてしまって試合に出られず、チームにもなかなか馴染めなかったので、最初から活躍できていれば、もっと点数が取れたはずだと感じています」

 口にした言葉からは悔しさが滲む。今から1年前、斉藤は苦しんでいた。シーズン終了後にU-21日本代表の一員としてU-23アジアカップに出場。短いオフを挟んで合流した影響で調整が上手くいかず、主軸として期待されながら無得点に終わった。

 身体にキレがなく、左サイドハーフで持ち味を発揮する場面は限定的。トレードマークである人懐っこい笑顔はほとんど見られず、苦悶の表情を浮かべていた。

 そうした状況下で大会中にスパルタ・ロッテルダムへの期限付き移籍が決まったが、アジアカップの開催地であるウズベキスタンで新型コロナウイルスに感染してしまう。大会後に一度、日本に戻る予定だったが、直接オランダへ渡ることを余儀なくされた。

【動画】カットインから鮮烈ショット! 絶妙タッチのゴールも
 慌ただしく新天地に向かったため、準備は不十分で住む場所すら決まっていない。ピッチ内でも多くの困難に直面し、新たなチームに適応するためにはクリアすべき問題点が多くあった。

 初めての欧州1部リーグでのプレーに、監督やチームメイトとの信頼関係の構築。加えて、開幕直前に負傷離脱した点もより状況を困難にさせた。だが、そうした環境下でも斉藤はスタンスを変えなかった。

「焦りはすごくありました。『もっとやらなくちゃ』と焦ってしまうと、その結果、やり過ぎてモチベーションが保てなくなってしまうこともありますが、自分のやるべきことを続けられたことで気持ちも切れなかったし、継続できたことは本当に大きいです」

 ベルギーで過ごした2シーズンで、海外で生き残るための術を学んできた。ゼロから信頼を勝ち取る大変さも、異国の地で生活する難しさも一度味わっている。その経験がオランダで活きた。

「(海外で)完璧に望んだものが揃う環境は今までなかったです。むしろ、今は当たり前ではないことが当たり前になっているので、臨機応変に対応できるようになりました。他の選手たちも同じ環境でプレーしているし、本来であれば揃わないのが当たり前。揃い過ぎていても良くないと思うし、自分で何でもできるようにならないといけない。想定外の出来事が起きたとしても、想定内の状況に自分で持っていける能力を身に付ける必要がありました。そこは体現できたと思います」

 何事にも動じない。これまでの海外生活で身に付けた適応能力を活かし、ブレずに自分がやるべきことに取り組んだ。

「ピッチ外では身体のケアも含めて準備して、周りになんと言われてもやり続ける。ピッチ内でも、単純に仕掛けて取られてもやり続ける。そうすれば身体も慣れてきて、成功回数が増えると、自然と仲間からの信頼を得られました」
 
 地道に積み重ねると、早い段階でチャンスが巡ってくる。9月3日の5節・フォレンダム戦(4−0)で初めてベンチ入りし、後半途中からピッチに立ってオランダリーグデビューを果たす。7節のフローニンゲン戦(2−1)で初先発を飾ると、以降はレギュラーに定着。初ゴールは前半戦の最終節となった1月21日のカンブール戦(3−0)まで待たなければならなかったが、斉藤は徐々に手応えを掴み始めていた。

「実はターニングポイントがあったわけではないんです。最初の3試合連続ゴールから良い感じだなって感じていて、ちょっとずつ自信が芽生え始めました。チームの戦術に自分が組み込まれている実感があったんです。戦術のひとつに自分のドリブルがある。そうした感覚があったので、最後の3試合で連続ゴールができたのは良い流れでした」

 明らかに後半戦のプレーが違った。

「シーズン終盤は相手を背負ってプレーできるようにもなったし、球際でも勝てるようになりました」

 得意のドリブル突破も冴え、個人技で局面を打開するシーンも増加。26節のエメン戦では(2−0)で左サイドの深い位置からふたりを同時に外して、カットインから鮮やかなシュートをねじ込んだ。

 フィジカルの弱さが課題だったが、大柄なDFに対しても簡単に当たり負けせず、ボールロストが激減。その結果、チームメイトからの信頼も序盤戦とは比べものにならないほど高まった。

 それを可能にしたのがフィジカル面の強化だ。特に力を入れたのが、ランニングの姿勢と立ち姿勢の見直しだった。改善を図っている最中だが、後半戦に活躍できた要因のひとつになったという。

「立ち姿勢と走る際の姿勢は考えました。よく足がつったり、肉離れを起こす時もあったので、走り方や立ち姿勢が悪いのかもしれないと感じたんです。もともと自分は姿勢が悪く、猫背でしたが、それだと視線が落ちたり、身体に歪みが生まれてしまいます。背中だけではなく、股関節も含めてルーティンとして姿勢の矯正は取り組んできました。終盤は連戦だったので重点的にできなかったのですが、チームのフィジカルトレーナーに聞いて今もトライを続けています」

 シーズン終盤はフル出場するゲームが増え、終盤になって足がつるような場面はほとんど見られなかった。今の活躍は肉体面の変化を抜きには語れない。フェイエノールト、PSV、アヤックスといったクラブからはゴールを奪えなかったが、上のレベルでも戦える手応えを得られたのも地道な取り組みの賜物だった。

「(初めて3試合連続ゴールを決めた後の)5試合は強豪クラブとの対戦が続き、結果を残せなかったのは課題です。チームとしても、個人としても差はありましたが、戦える手応えもありました。自分の仕掛けで相手が嫌がっていたし、身体でも当たり負けしませんでした。実際に対戦してみて自信も芽生えて、自分も将来的にこういうチームでプレーしたいと思えたんです」
 
 出だしで躓いたが、この1年で欧州の舞台で戦える自信を掴んだ。

「シーズン終盤は自分が思い描いた通りのプレーでした。結果は足りていないけど、試合に90分間出て、自分のプレーを見せてチームを盛り上げられました。自分が目ざしているものを体現できたと感じています。それを1シーズンやり続けられれば、評価もグンと上がってサッカーをもっと楽しめると思います」

 だからこそ、視野に入ってくるのは次のステージだ。新シーズンもスパルタ・ロッテルダムでプレーするのか、それともステップアップを目ざすのか。事実、シーズン終盤を迎える頃にはドイツ・ブンデスリーガ1部のクラブからオファーが届いていた。

 しかし、斉藤は“残留”の道を選んだ。なぜ、もう1年オランダリーグで戦う決意を固めたのだろうか。

《後編に続く》

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)