Jリーグ最年長記録を更新し続けるウラには、2つのキーワードがあった――7月3日、キング・カズこと横浜FCのFW三浦知良(46)が7試合ぶりのスタメンで、今季初ゴールを決めた。開始16秒、カズはFW大久保の左からのグラウンダーのクロスをペナルティエリア内で受け、右足のトラップで上手くDFを交わすと、左足で豪快にゴールネットを揺らした。


今季のカズは、開幕からほとんど出番なし。11節を終えるまで、2試合の出場で、ピッチに立った時間はわずか7分だった。12節に今季初スタメンを飾り、勝利をもたらすと、翌節もスタメン。しかし、その後はスタメン1試合、途中出場1試合とピッチに姿を現すことは減少していった。


ヴィッセル神戸時代の02年、35歳を迎えた年から、カズのゴールは極端に減っていった。前年の11得点から3得点になり、うち2得点はPKで挙げたもの。翌年から得点数は4、4、2と落ち着いてしまい、05年途中にJ2の横浜FCに移籍する。


だが、全盛期の力がなくなってからも、カズは時折「確変」を見せる。


確変が起こる前兆は、「日本代表」と「監督への反発心」だ。


04年、日本代表がシンガポールとの1試合を残してW杯最終予選を突破したとき、当時のジーコ監督はカズや中山雅史(磐田)など代表の功労者を10人ほど招集するプランを持ち、新聞紙上でも大々的に報じられた。


だが、周囲の反対に遭い、結局カズは代表に呼ばれることはなかった。


すると直後のリーグ戦から、鹿島、清水、名古屋相手に3試合連続ゴール。清水戦では左サイドの角度のないところから決め、キレを存分に感じさせた。


記憶に新しいのは、11年の東日本震災のチャリティーマッチ。Jリーグ選抜として出場したカズは、後半37分にロングボールから闘莉王がヘッドで合わせたところに抜け出し、キーパーと1対1に。冷静にゴールネットを揺らし、歓喜のカズダンスを魅せた。


今回のゴールも、日本代表のW杯出場を受け、「14年のブラジルW杯は、日本人の誰にでも出場できる権利がある。46歳の僕にあっても間違いじゃない」とコメントし、話題を呼んでから初のスタメン出場で決めた一発だった。
 もう1つ、カズの「火事場のバカ力」の原動力となるのは、「監督への反発心」だ。


10年、カズは開幕からスタメンの機会に恵まれなかった。ケガから復帰後、出番があっても試合終了直前での登場がほとんど。岸野靖之監督の扱い方は、「構想外」という言葉が当てはまる起用法だった。


8月7日の岡山戦でも、1対0でリードした終了直前の後半44分に交代出場。完全な時間稼ぎ要員だった。しかし、ロスタイム、相手のバックパスがゴール前にいたカズの足元へ。そのままシュートに持ち込み、この年の初ゴールを決めた。それでも、その後もカズの出番は増えず。ある試合後の記者会見で「カズを使わないのか?」という質問を受けた岸野監督は、「もう少しサッカーを勉強してください」と記者を突き放すなど、カズを戦力としては考えていないようだった。


その言葉に反発するように、9月26日には思い出の詰まった国立競技場で途中出場したカズは、カターレ富山相手に直接FKを決める。これを境に徐々に時間稼ぎではない、緊迫した場面での出番が増え、最終戦でようやく初スタメンを勝ち取る。そして、3ゴール目を挙げ、シーズンを締めくくった。


この年のカズは、悪くいえば客寄せパンダだった序盤から、実力で這い上がったのだ。そのウラには、岸野監督への反発心があったはずだ。


しかし、翌年になると、岸野監督は点を取れなくても、カズをスタメンFWで重用し続けた。結果は、30試合出場0得点。Jリーグ創設から毎年点を決めてきたカズが、初めて味わうノーゴールの年だった。


そして、今回のゴールのウラにも、昨シーズン同様になかなか起用してくれない山口監督への反発心も少なからずあったはずだ。


「俺はまだまだできる」――ワントラップでDFを置き去りにし、左足を振り抜いた豪快なゴールは、カズの魂の叫びだった。


※写真は「足に魂こめました」 カズが語った[三浦知良](文藝春秋)より


【関連情報】
「足に魂こめました」 カズが語った[三浦知良](文藝春秋)
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167838294