トラブルが相次いでいる原因はどこに?(写真:Graphs / PIXTA)

今年もあと残すところ1カ月半ほどになった。この1年も、相変わらずさまざまな不祥事が目立った。最近も、油圧機器大手の「KYB」とその子会社による免震制振オイルダンパーの検査データ改ざん、そして自動車メーカー「SUBARU(スバル)」の出荷前検査不正行為。大手出版会社「新潮社」による「『新潮45』休刊騒動」などなどだ。

さらに、日本大学や東京医科大学といった教育機関関係のトラブルも多かった。ボクシング協会やレスリング協会のパワハラ、セクハラといった問題も浮上した。

こうしたトラブルの背景には、市井の人々がTwitterやブログなどで、広く世に情報発信できるようになったことと関係があるのかもしれないが、それにしても日本全体のタガが緩んでいるような印象を持った人も少なくないのではないか。

トラブルの原因はさまざまだが、問題なのはその対応に時間がかかりすぎたり、あるいは対応法が間違っていたりすることが多かったということだろう。

たとえば、KYBの免震ダンパー問題も、15年以上もの間、データ偽装の事実がわかっていながら放置して発表してこなかった。組織ぐるみの確信犯と言われても、反論の余地がない問題だ。スバルの出荷前検査問題に至っては、偽装が明るみに出てリコールを連発した以降も偽装を続けていたことが明らかになっている。

目の前のトラブル対応に終始する日本の悪い癖

もともと日本企業は、昨年あたりから不祥事が次々に明らかになって、その対応ぶりがコロコロ変わるなど大きな批判を受けてきた。印象に残っているケースでは神戸製鋼所や三菱マテリアルといった歴史のある古い企業が、記者会見で返答をくるくる変えるなど不適切な対応が目立った。

とりわけ批判されたのが、問題発生から解決に向かう際に初動ミスがあり、情報開示の姿勢が疑問視されたことだ。経営トップの不適切な発言や不透明な発言も数多く出てきて、日本企業全体の信用度、信頼度に疑問を持たれたケースも少なくない。

たとえば、三菱マテリアルの製品品質データ改ざん問題では、当初本社による記者会見では「偶発・軽微なミス」と主張していたのが、東京地検特捜部の強制捜査などが始まってからは、一転して子会社がデータ改ざん表面化以降も改ざんを続けており、資料隠蔽の指示が本社からあったことまで明るみに出ている。

日立化成や東レ、宇部興産といった伝統ある企業でも、検査データの改ざんなどが発覚。さらに、人事の不透明さといった面でもさまざまな批判が集中した。社長が責任を取って辞任するとしながらも会長職に就くなど人事面でも疑問が持たれる対応が目立った。

こうした企業風土は、現在もほとんど変わっていないような気がしてならない。KYBのデータ偽装事件にしても、スバルにしても日本企業の本質は変わっていないのだ。自ら不祥事を発表した企業も今年は多かったが、まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった集団心理を連想させる。

日本大学の危険タックル問題は記者会見が油に火を注ぐこととなり、東京医科大学の不正入試問題も大学が当初意図した反響とは大きく違う方向に行ってしまったのではないか。 それだけ状況分析を各大学とも見誤ってしまった結果かもしれない。

ここ数年の日本企業や政府のトラブル対応を見ていると、その大半がとりあえず目の前の問題を何とかしよう、という場当たり的な解決策に終始している、という印象を受けてしまう。『新潮45』の休刊問題でも、当初は社長のコメント発表で、何とか目の前の状況を収拾しようとしたものの、結局は最悪の結果になってしまった。

誠心誠意謝罪するのが問題解決の基本

問題が表面化した段階で、最初から非を認めて、その解決策を示したほうがよかったのかもしれない。

そもそも企業や政府の説明責任というのは、もし誤りがあればそれを正して人々に理解を求めることが大切になる。しかし、報道されていることが真実であった場合、あるいは言い逃れようがなく明白な事実であれば、ごまかすのではなく誠心誠意謝罪するのが問題解決の基本といわれる。問題解決のコンサルタントや専門家の間では、説明責任や謝罪で最も大切なのは「誠意」と言われている。こちら側にミスがあった場合には、誠意をもって謝罪する以外に方法はない、ということだ。

ところが日本ではその基本がないがしろにされることが多い。パワハラがあったのに「パワハラはない」と言い逃れをする、いじめが存在しているのが明白なのに、「調査中」という言葉で誤魔化そうとする。要するに、部分的には認めつつも大筋では認めないなど、誰もがうそだとわかる稚拙な言い訳が繰り返されている。テレビや新聞で忖度されて報道されている、近年の国会を舞台とした議論や言い訳と同じ光景だ。日本中がうそや矛盾に満ちた言い訳に対してマヒしつつあるのかもしれない。

一方、日大アメフト部で反則を犯した学生が記者会見をしたが、彼の誠実で誠意ある対応が日本中の人々に支持されたのも、誠意ある謝罪とその解決策の提示が問題解決への正しい方法であることを示している。

誠意ある謝罪をしたところで、犯してしまった間違いや失敗はそれだけでは許されるものではない。謝罪と同時に、トラブルへの対応や賠償への補償といったものをきちんと示す必要がある。加えて、二度とこうしたことが起こらないようにするための将来的なビジョンを示す必要がある。

こうした一連の問題解決のプロセスが日本の企業や大学、公共団体など、幅広い層に不足しているとみていいのかもしれない。こうした謝罪や説明責任は、個人に対しても同じことが言える。

昨年同様に今年ほど、トラブルの問題処理が問われた年はなかったのではないか。数多くの日本企業や教育機関の広報部門の質の劣化だけではなく、そうした問題解決に優秀な人材や資金を投じていないことも明らかになった。

しかし、それ以上に問われるのは「トップ」の資質だ。不祥事に対して組織のトップが最後まで公に顔を出さずに幕引きを図ろうとしたり、会見を開いたとしても誠意のない対応を見せたりするようなケースが目立つ。

背景にはあるのは、日本企業の多くが終身雇用制を取り、新卒一括採用で採用された社員が、派閥争いを生き抜いてトップに上り詰めたような人が多いからだと、個人的には考えている。イエスマンであることがトップになる条件であり、彼らには謝罪や反論は苦手なのかもしれない。

結局はガバナンスの欠如とコンプライアンスの概念失墜

日本企業のトラブルが相次いでいる直接的な原因のひとつは、「コーポレートガバナンス(企業統治)」の欠如が原因と言っていいだろう。とりわけ、グローバル化が遅れている日本企業の中ではコーポレートガバナンスが欠けている企業や団体が目立つ。

最近になって教育機関のガバナンスも問題視されているが、これも海外との接触があまりない機関独特の問題と言っていいかもしれない。

コーポレートガバナンスというのは、東証などを傘下に持つ日本取引所グループの定義によると「会社が株主をはじめ、顧客や従業員、地域社会等の立場を踏まえたうえで、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組みを意味する」となっている。

そのためには、「適切な情報開示と透明性の確保」という項目が基本原則として設けられている。適切な説明責任が、きちんとした情報開示とともに実施されることが、ガバナンスを維持する最大の要件の1つと言ってもいい。

コーポレート・ガバナンスは、企業が存続可能な成長を維持するために必要不可欠なものであり、そのためにどんなことをすればいいのかを企業は常に考えていかなくてはいけない。ちなみに、これは政府や自治体などにも言えることであり、ガバナンスができていない団体は今後もさまざまな問題を連発し続けることになるはずだ。

そしてもう1つのトラブルの原因の1つが、「コンプライアンス=法令遵守」という概念の確立だ。当たり前のことかもしれないが、最近の日本企業の不祥事を見ていると、明らかに法律に反していることを平気でやっているケースが目立ってきている。企業利益を追求するあまり法令遵守を怠るといったことは、ありえない話だ。個人よりも企業、といった歪んだ価値観が日本社会には根強く残っている。

内部告発制度が国際的に求められているのも、 こうしたコンプライアンスとの関係が大きい。サウジアラビアのジャーナリストがトルコ国内で殺害された事件も、以前なら絶対に表にできないことが、現在では簡単に表ざたになる。

最近のさまざまなトラブルの原因と問題解決を急がなければ、日本企業はますます世界から取り残されていくことになるかもしれない。