2000年9月23日の現地はよく晴れ、18時30分のキックオフ時の気温18度と絶好の条件に恵まれた。日本の先発はGK楢崎、DF森岡隆三、ボランチ・稲本潤一、左サイド・中村俊輔、トップ下・中田英、2トップに柳沢と高原という最強布陣。4−4−2のアメリカはFWウォルフ、攻撃的MFオルブライトらに警戒が必要だった。

 前半は相手のプレスもそう厳しくなく、日本は主導権を握ぎれた。中田英や俊輔がボールを持つ時間も多く、何度か決定機も作れた。森岡率いる日本のフラット3も完成度が高く、簡単には破られなかった。

 そして30分、日本は待望の先制点を挙げる。俊輔のFKが相手に当たり、彼は再びクロスを入れる。これに反応したのがファーサイドにいた柳沢。ヘッドをたたき込んだ彼は派手なガッツポーズを見せつける。1次予選での規律違反、最終予選での不振を乗り越えた彼は喜びを爆発させたかったのだろう。

 1−0で折り返した後半、アメリカは4−3−3に変更し、サイド攻撃を徹底してきた。前半から左の中村が上がることで、右の酒井は大きな守備負担を強いられていたが、その負担は一層重くなる。中村の方も運動量の多いアウトサイドで体力消耗が著しかった。そこでトルシエは三浦淳宏(現神戸)を入れ、三浦を左、中村をトップ下、中田英を前線に移動させたが、すぐに流れを引き戻せない。そして後半23分にウォルフに同点弾を決められてしまう。

 それでも屈しないのがタレント軍団の日本だ。同点弾から4分後、酒井が力を振り絞って深い位置まで上がり、折り返したマイナスのボールをエリア内に詰めていた中村が受けてゴール前に浮き球のパスを送る。これを合わせたのが1次リーグ2得点と絶好調の高原。2トップそろい踏みで日本はベスト4進出に王手をかけた。
 残り時間は15分。これを耐えればメダルの可能性は一気に高まるはずだった。しかし右サイドで奮闘していた酒井の体力は限界に達していた。アメリカは肉弾戦を仕掛けてきて、日本は5バック状態を余儀なくされる。守備崩壊は時間の問題だった。そんな時、楢崎が鼻骨骨折の重傷を負ってしまう。そして後半終了間際、酒井がウォルフをエリア内で引っ掛けた。レフリーは無情にPKを宣告。これを10番のベガナスに決められ、延長戦突入を余儀なくされたのだ。

 しかし日本に余力はなかった。選手たちはもはや満身創痍(そうい)。気力だけで戦っている状態だった。何とか相手の猛攻をしのいで、PK戦にもつれこんだ時はラッキーだと感じた選手もいたかもしれない。

 ところが、守護神・楢崎は鼻骨骨折をしたままプレーを強行。通常の状態ではなく、1つもシュートを止められなかった。先行だった日本は俊輔、稲本、森岡が成功し、4人目の中田英のシュートが左ポストを直撃ししてしまう。全ての希望がついえた瞬間、中田英はうすら笑いを浮かべ、俊輔は下を向いたまま足早に去っていった。これだけの才能が集まりながら、4強にも進めないとは……。実に後味の悪い結末としか言いようがなかった。

 今回のロンドン五輪代表も、当時のシドニー五輪代表に匹敵するほどの攻撃タレントをそろえている。もしも香川真司(ドルトムント)や宮市亮(ボルトン)ら最強メンバーをそろえられるのなら、関塚隆監督が言う「メダル獲得」も現実味を帯びてくる。しかしながら、五輪本番の相手はスペイン、モロッコ、ホンジュラスという強豪ばかり。1次リーグを突破してメダルまで勝ち進んでいくことがどれだけ難しいかを、12年前のタレント軍団が如実に物語っている。トルシエという土台作りの名人と、個性あふれるメンバーが成し遂げられなかったことを、関塚監督と現在の若手が果たしてくれるのか……。きっと若い選手たちは当時のことを覚えていないだろうが、中田や俊輔が戦っていた当時をあらためて振り返ってほしい。そして何をすべきかを今から真剣に模索してもらいたい。


記事提供:
速報サッカーサッカーEG
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