「雨の日は特に逃げたくなった」43歳で次女妊娠中にパニック症が再発した村西利恵アナが電話口で発した「SOS」
「雨の日は特に閉塞感があって最悪で。とにかくここから逃げ出したい気持ちでした」。30代半ばでパニック症を発症した関西テレビの村西利恵アナ。5年に及ぶ治療の末に一時は寛解したものの、43歳で第2子を妊娠中に、再び恐怖感に襲われます。その背景を辿ると、母との確執や自己肯定感の低さが浮かび上がってきたそうです。
【写真】「嬉しいはずなのにどん底だった」第二子出産直後の村西さん ほか(全13枚)
妊娠中にパニック症を再発「家の中は逃げ場がなくて」
── 34歳のある日突然、電車に乗れず会社にも行けなくなり、パニック症を発症したとお聞きしました。その日のうちに病院へ行って薬を処方してもらうなど対応が早く、その後通院しながら仕事を続けて、5年ほどで症状がおさまったそうですね。
村西さん:はい。抗不安剤の種類や飲むタイミングを試行錯誤したことによってパニック症の症状をうまくコントロールできるようになり、2019年、39歳のときに寛解しました。その頃にいまの夫と出会い、不妊治療を経て41歳で長女、43歳で次女を出産したのですが、実は次女の妊娠9か月、34週ごろにパニック症が再発し、妊娠後期のつわりや不眠も相まって出産までに悪化させてしまいました。産後はうつ状態になり、生きているのが精いっぱいの日々でした。
── 妊娠中に再発とは…上のお子さんもまだ1歳くらいですよね?
村西さん:そうなんです。しかも、30代のパニック症は、家の外にある暗い場所とか、閉鎖された空間に恐怖を感じて逃げ出したくなるのが主な症状だったのですが、今度は家の中でパニックを起こすようになり、逃げ場がなくなってしまったんです。
いま振り返ると、育休中にもう1人出産しようと考えたことが原因のひとつになっていたと思います。子どもは2人欲しいと考えていたため、不妊治療を続けるなら少しでも早く再開したほうがいい。それに、続けて休みを取って完全に復帰をしたほうが、会社にも迷惑かからないし、自分としても仕事がしやすいだろうと考えてしまったんです。
「とにかく逃げ出したい」電話口でのSOS
── 続けての不妊治療や出産が負担になったのでしょうか?
村西さん:負担というか、1歳児を抱えての妊婦生活を甘く見ていたというか…。私は、妊娠がわかってから産むまで、ずっとつわりの気持ち悪さが続く体質でした。1人目のときはそれでも産休に入るまで自分だけで動けましたし、仕事をしていたから気がまぎれていました。
ところが2人目妊娠の際は育休中のうえ、切迫早産になったこともあり、ほとんど家で安静にしていなければならず、つわりの気持ち悪さとずっと向き合う形になってしまったんです。そしたら妊娠9か月の頃、家の中で突然、恐怖心に支配されて、いてもたってもいられないパニック状態になってしまいました。
念のため抗不安剤を持ってはいたのですが、妊婦が飲んでいいかわからなかったし、胎児に影響があったら嫌なので薬は飲みませんでした。ただ、何日経ってもパニックがおさまる気配はなく恐怖心は募るばかりで、夫に長女を預けて精神科の病院へ行くことにしました。かかりつけの病院は予約で埋まっていたので、その日空いている病院を探して行ったのですが、そこの医師は妊産婦に詳しくないためリスクを回避して「妊婦なら薬は飲まないほうがいいですね」と判断されてしまったんです。
── 薬なしでは症状が改善されず苦しいですよね…。
村西さん:パニックも続きましたが、おそらくそのとき、うつ症状を併発していたんだと思います。雨の日は特に閉塞感があって最悪で、「とにかくここから逃げ出したい」と、大きなお腹を抱えてベランダから飛び出してしまいたくなったこともあります。これはまずいと思い、次の妊婦健診はまだ先だったのですが、出産予定の大きな病院に、「すみません。今日の予約ではないのですが、先生に診てもらうことはできませんか?ちょっとしんどくて…」と電話しました。
電話口の方は「本日の先生の予約は埋まっていますが、どうされましたか?」と聞いてくれたので、「朝からパニックがひどくて、もう生きていたくない気持ちなんです」と正直に伝えました。「すぐに来てください!」と対応してくれ、急いで病院へ向かいました。
── SOSを受け取ってもらえてよかったです。
村西さん:診察の際、医師の先生は産科医療のハンドブックを見せながら「妊娠中、もちろん飲んではいけない薬もありますが、薬の強さや種類によっては飲める抗うつ剤や抗不安薬はあります。産後も、正しい薬を選べば母乳育児を諦めなくていいと、ここにちゃんと書いてあるでしょう?だから、薬が絶対だめというわけではないんですよ」と言ってくださったんです。
手持ちの抗不安薬を調べた結果、飲めることがわかって安心はしたのですが、問題はその病院に精神科がなくて連携している精神科も空いておらず、すぐに専門的な治療が受けられなかったこと。行きたい精神科のクリニックは数か月先まで予約でいっぱいでしたし、なんとか抗不安薬や漢方薬でしのぎながら、帝王切開での出産予定日まで過ごそうと思っていたのですが、予定日の2週間前に限界が来てしまいました。臨月ってただでさえ動くのも苦しいし、つわりはいまだ続いているし、家にいてもパニックになりそうになるから耐えられそうもないと。そこで手術予定を1週間早めてもらい、37週で出産しました。
パニック症だから出産が難しいわけじゃない
── 産後の体調はどうだったのでしょうか?
村西さん:ホルモンバランスの変化もあり、そのまま産後うつに突入、と精神的にひどい状態でした。帝王切開したばかりでお腹も痛いのに、病院でじっとしていることができずに逃げ出したくなる。特に夜中に不安や恐怖心が襲ってきて、お腹の傷が痛むのを抑えながらナースステーションへ行き「ちょっと外の空気を吸いたいんです」と泣いて看護師さんに訴えて。「外のベンチに行きましょう」と落ち着くまで一緒にいてもらいました。あまりに大変な毎日で当時の記憶があやふやですが、鎮静剤を点滴して眠れるようにしてもらった日もありました。
さすがにこれは深刻な状況だということで、退院前に提携している精神科の病院に連絡してもらい、赤ちゃんを産科病棟に預けたままタクシーで向かいました。先生が親身に話を聞いてくださり、薬を適切に使って乗りきっていきましょう、大丈夫ですかからね、と言ってくださり、強めの抗不安剤や睡眠導入剤など何種類か薬を処方してもらいました。産婦人科を退院後は、そのまま産後ケアの病院に5日ほど入院。入院中も夜中は不安感が強くなるので、助産師さんに背中をさすってもらったり、誰かに電話をして話を聞いてもらったりしていました。いま思い出しても、どうやって生きてきたのかと思うくらい、産後は特にしんどかったです。
誤解しないでほしいのですが、パニック症だから出産が難しいというわけじゃないです。ただ、もし過去に発症したことがあるなら、産前・産後はホルモンバランスの変化によって発症する場合があることを自覚して、早めに信頼できる精神科を予約して薬をもらっておくと安心です。
そして「こんなこと言う必要あるかな?」と決めつけず、産婦人科にも全部さらけ出して心身の状況を相談しておくこと。妊婦でも授乳中でも飲める薬があるということを、私も今回学びました。これを知っておけば安心して出産に挑めると思います。私は1人目の出産時に問題なかったので油断してしまってすべてが後手後手になり、気がついたら悪化していました。もうあんな怖い思いは誰にもしてほしくないです。
── 当時、ご主人はどんな様子だったのですか?
村西さん:1歳の長女と、飼っている犬もいたので、夫は夫でいっぱいいっぱいの様子でした。働きながら長女をワンオペで面倒見るのも初めてでしたし、「申し訳ないけど自分のことは自分でやって」と。話を聞いてほしいという気持ちはあったのですが、今はこれ以上、負担をかけられないと思いました。産後は私の体調を心配した友達が次々と次女の出産祝いを兼ねて会いにきてくれて、人と話すことでなんとか気持ちを保っていました。
いちばん精神的なよりどころになってくれたのは、同じ保育園のママ友です。その方が、次女を出産直前の長女の参観に現れた私の顔を見て「なんだか放っておけない」と思ってくれたようで、産後にまめに連絡をくれて産後2か月が経った頃から外にも連れ出してくれるようになりました。上の子も下の子も年齢が同じで、産後の体調のトラブルも同じように経験し、ささいな話に共感してくれ、本当に救ってもらいました。今でも精神的にすごく支えてもらっています。
パニック症で向き合い直した母の存在
── 産前産後は実家にお世話になる方も多いですよね。
村西さん:普通はそうですよね。でも私、母親と折り合いが悪くて頼ることができなかったんです。幼い頃から母に甘えたり手をつないだり抱きしめられたりした記憶がなくて、どちらかというと毒親の部類に入ると思います。自己愛が強く、娘のことは否定しかせず絶対に褒めない、認めない。不機嫌な態度で子どもをコントロールしようとするタイプです。
母も元アナウンサーで同じ職業を選んでいるから、もちろん尊敬して影響を受けている部分もあるのですが、私がニュースを読んでもダメ出ししかしてこないので、LINEをブロックしたり。とはいえ、育児放棄をされたわけでもないですし、大学まで出してもらっているから、もちろん感謝はしています。でも自分が子どもを産んでから余計に、母の言動を思い返して「自分の子にあんなこと言わなくていいよね?」ということがたくさんあり、いまは反面教師にして自分の子は褒めて抱きしめて「大好きだよ」と言って育てています。
── ご実家を頼れない理由があったのですね…。
村西さん:母とは子どもの頃、ものすごく激しいケンカになり、それが唯一の愛情表現になっていたところが歪んでいたなと思います。私、いまの夫と結婚する前に2回結婚と離婚を経験しているんですけど、自己肯定感が低いところや相手に甘えられないところがパートナーシップにも影響していていると感じます。育ってきた環境に気がついたところで、いざそんな自分を変えようと思っても、この歳になるとそれがとても難しいことだとも実感します。
いま、大学でアサーティブ・コミュニケーション(攻撃的でも受動的でもなく、お互いを尊重しながら意見を交わすコミュニケーション方法)を教えているのですが、過去に結婚生活がうまくいかなかったこと、パニック症を発症したこと、親との向き合い方を見つめ直すことからまず自分が学ぼうと思ったことがスタートでした。自分の母との事例を赤裸々に伝えながら授業をしているので、学生たちには驚かれます。授業を受ける学生の中には私と同じように親に甘えられない人や、機能不全家族で育った人、パニック症など自身の精神的な病気と向き合っている人もいて、まさにそういう人たちに私の経験が届けばいいなと思って教壇に立っています。
── 1年半前に仕事に復帰され、いまは落ち着いていらっしゃるのですね。
村西さん:はい。今は症状が安定しているので、かかりつけ医や産業医にも相談しながら、うまくコントロールして育児や仕事を楽しめていると思います。また長女は卒乳も早くあまりベッタリくっつきたがるタイプではなかったですが、次女は2歳まで母乳を欲しがったり、出なくなった今も寝るときに「おっぱいしていい?」と聞いて甘えてきます。女の子2人を育てる中で彼女たちそれぞれ性格が違い、不安に思うことも違うと思いますが、私がいろいろな経験をしているぶん、どんなときも「大丈夫やで~」と言ってあげられる肝っ玉母ちゃんになりたいなと思っています。
パニック症の過去を公表してから、「実は私も…」といった精神的、ストレス性の病気について相談されることが増えました。先日は特別支援学校の病院内にある分校でも出張授業を行いました。「精神的な病気があっても、コントロールしながらアナウンサーの仕事を続けているよ」と伝えると、こころの病気を抱えている生徒たちがとても関心を持って聞いてくれました。こうした取材を通して自分の経験を発信していき、それが誰かの役に立てばいいなと思っています。
取材・文:富田夏子 写真:村西利恵

