《中村玉緒さん元マネジャー告白》田村正和さんが度肝を抜かれた“スケスケドレス事件”と、「大女優・中村玉緒」が最後まで台本を手放さなかった理由
1992年、島田紳助さんの見事なアシストと、明石家さんまさんとの運命的な出会いによって、バラエティ番組という新たな主戦場を見出した中村玉緒さん。1994年には『明石家多国籍軍』(TBS系)のレギュラーとなり、"天然ボケ"のキャラクターはお茶の間に完全に定着した。
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当時を知る元マネジャーの吉田正和さんは、怒涛のような忙しさだった日々を懐かしそうに振り返る。
「バラエティの中村玉緒が確立されてからは、多い時には1日3本くらいバラエティの収録が入っていました。それまで女優として活動していた玉緒さんからすれば、ドラマだと2時間の単発ものでも最低12日はスケジュールを拘束されます。
でも、バラエティなら1本2〜3時間で終わる。だから玉緒さんは『これなら、1日2本でも、3本でもやれますわ』と喜んでおられました。
ただ、実際に1日3本詰め込んだら『さすがにキツいわ!』って怒られたこともありましたね(笑)。でも、『借金が返せたので、事務所には感謝してます』と玉緒さんが言っていたのは覚えています」(吉田さん、以下同)
長年重くのしかかっていた14億円ともいわれる借金を、玉緒さんはその愛嬌と笑顔で完済してみせた。その過程では、数々の「伝説」も残している。
「『明石家多国籍軍』(毎日放送)の収録の時、玉緒さんは番組内でスケスケのシースルードレスを着ていたんです。世田谷の砧スタジオ(TMC)での撮影だったんですが、そこにはスタジオがたくさんあって、廊下は他の番組の出演者と共有なんですね。ちょうどその時、隣で『古畑任三郎』(フジテレビ系)の収録も行われていました」
そこで起きたのが、日本を代表する二大俳優の奇跡の遭遇だった。
「『古畑任三郎』の撮影の合間に廊下に出た田村正和さんが、なんとスケスケドレス姿の中村玉緒さんと鉢合わせてしまったんです。その様子を見ていたさんまさんが、収録終わりに『あの田村さんが驚いて、口を開けたまま立ち止まって、目だけで玉緒さんを追いかけていましたわ。人間があまりの驚きに直面すると立ち止まるっていうのは、こういうことでんなって実感しましたわ』と大爆笑しながら話していました」
田村正和さんからすれば、中村玉緒さんといえば昭和の銀幕を彩った大女優であり、勝新太郎の妻、そして梨園の娘。その彼女がシースルードレスで平然と廊下を歩いているのだから、稀代の二枚目俳優も思わずフリーズしてしまったのだろう。
また、大御所俳優・高橋英樹とのエピソードも、玉緒さんの底知れぬ凄さを物語っている。
「高橋英樹さんと同じ舞台に出ていた時、打ち上げだったか食事の席だったかで、玉緒さんが英樹さんに『私は、あんたの姉役、妹役、どっちやったんですか?』と聞いたらしいんです。設定も曖昧なまま演じていたことに周囲は驚いたそうですが、英樹さんは『役なんか玉緒さんには関係ないんだよ。それでも完璧に芝居が出来るのが凄いんだ』と感嘆していたのが印象的でした」
天真爛漫で、細かいことは気にしない。バラエティ番組の現場でもそのスタイルは貫かれた。
「玉緒さんの凄いところは、バラエティの『前室(出番待ちの控え室)』で、初対面のMCや共演者とすぐに打ち解けられるんです。そこでワーッと盛り上がって、そのままの熱量でカメラの前に出て行ける。そこが最大の強みでした。
私が担当になってからは、『バラエティでは台本なんか要りませんから、何も気にせずに突っ込んでください!』と伝えていたので、バラエティに関してはフリースタイルでやっていました」
しかし、吉田さんは玉緒さんの「もう一つの顔」を決して忘れていない。世間は彼女を「瞬発力とキャラクターが持ち味のバラエティタレント」と思っていたかもしれない。しかし、その根底には揺るぎない女優魂があった。
「私が一番印象に残っているのは、マネジャーを外れた後のことです。担当を離れた後、玉緒さんの座長芝居の本番前に楽屋へ挨拶に行ったら、玉緒さんが私にこう言ったんです。『吉田さんは台本を読める(裏側を知っている)から、あとで何言われるか怖いですわ。吉田さんに芝居を観られるのは怖い』と」
吉田さんの声に熱がこもる。
「あれだけ世間で持て囃された大女優になっても、『芝居が分かる人に観られるのが怖い』という言葉が出る。それは、彼女が芝居に対してどれだけ真摯に向き合っているかの証拠です。世間のイメージは、アドリブと愛嬌で乗り越えてきた"バラエティの中村玉緒"かもしれませんが、実は何事にも、芝居にも本当に真摯に取り組んで来た。みなさんにはそんな本当の姿を再認識してほしい。やっぱり彼女は、根っからの女優だったんだと」
晩年の玉緒さんは、2020年に長年連れ添った娘が個人事務所の社長を退任し、一人暮らしを始めていた。2022年の夏には深夜に徘徊する姿が報じられ、2023年には仕事先の名古屋で転倒し背骨を圧迫骨折。その後は都内の老人ホームに入居し、実質的な引退状態となっていた。
しかし2023年12月には、入居する老人ホームで自ら企画した「クリスマスショー」を開催。施設のスタッフや他の入居者に感謝を伝えるため、ジョークを交えたトークを披露し、大きな喝采を浴びたとも報じられている。
「私が事務所を辞めてから、直接玉緒さんと連絡は取っていないんです。だからその後の彼女の動向をあれこれ言う立場にはありませんが、売れっ子になったあとも、玉緒さんは『さんまさんがいなかったら、今の私はいない』とよく口にしていたのは覚えています。心よりご冥福をお祈りします」
銀幕の中で美しく咲き誇り、平成のテレビでは泥臭くも愛らしい笑顔を振りまき、晩年は施設で周囲を温かく照らした。あの楽しそうな「うふふふふ……」という笑い声は、これからも私たちの記憶の中で温かく響き続けるだろう。
(了。前編から読む)

