この記事をまとめると

■インバウンドによるレンタカーの「乗り捨て」が問題視されている

■日本在住の外国人の増加によりクルマの運転でも多様性を重んじる必要が出てきている

■世界の誰もが理解できる交通法規に改めていく必要がある

日本ならではの交通ルールが通用しなくなりつつある

 インバウンド(訪日外国人観光客)の増加に伴い、インバウンドによるレンタカーにまつわるトラブルも顕在化しているようだ。あえて慣れない異国であっても、クルマを運転して効率的に観光したいという気もちになるのかもしれないが、事故抑止については慎重な運転を心がけてもらうしかない。

 ひところ「レンタカーの乗り捨て」という話を聞くことがあった。一般的に「乗り捨て」といえば借りた営業所とは異なる営業所へ返却することを指すのだが、インバウンドの乗り捨ては文字どおりの「乗り捨て」なのである。空港内で旅行かばんなどを載せるカートが放置されているのを見かける人も多いはず。あまり行儀のよい話ではないが、空港のカート以外でも、スーパーなどのショッピングカートも駐車場内に放置されていることがある。

 ところが、空港の出発口に横づけできる車道上にレンタカーを放置してそのまま帰国してしまうインバウンドがいたというのである。彼らのいい分としては、「料金はすでに前払いしいているのだから営業所にわざわざ戻しに行く理由はない」ということであり、なんだか納得できるようで納得できないロジックとなっている。

「私が聞いたところでは、インバウンドが借りたかどうかは定かではないですが、都内のコンビニ駐車場にレンタカーが乗り捨ててあったそうです。インバウンドなのか日本人なのかは別としても、『必要なくなったから』と放置したのではないかとのことでした」とは事情通。

 日本だけではなく、世界各国ではクルマを運転するなかで「ローカルルール」というものが存在する。「サンキューハザード」や、合流地点での1台ずつクルマが合流していくなどは日本固有のルールというよりは、マナーともいえよう。

 中国国内でのクルマの運転はかなりテクニカルなものが要求されるシビアな環境とも聞くが、「Uターン」には寛容でありUターンする意思表示をすると対向車が待機してくれたりするようだ。合流地点での譲り合いは皆無で、ぶつかりそうなぐらいまでお互い譲らずにシリアスな状況となるのだが、ひとたび隙を見て合流したとしても、そのあと日本のように追いかけまわしたり、その場でとっくみあいのケンカになるようなことはまずなく、あっさりとしたものとなっているようだ。

 ただ、インバウンドだけではなく、政府の政策もあり、今後は居住者として外国人が全国津々浦々で目に見えて増えていくことになりそうである。そうなると、お決まりとなるがクルマの運転でも多様性を重んじなければならないので、いままでどおりとはいかなくなるかもしれない。

客観的な数値を示した交通法規が必要とされている

 筆者が南カリフォルニアで初めてレンタカーを運転したのは、35年前の大学3年生のときであった。アメリカの運転について書かれたガイドブックをかじるように読んでから、アメリカで実際にハンドルを握ることとなった。渋滞までもいかないがかなり混雑しているフリーウェイで日本のつもりで車線変更したあと、渋滞で動かなくなると後続車の白人のおばあさんがクルマから身を乗り出して怒っていた。よく聞くと「車線変更が急すぎる」とのことであった。

 その後も毎年のように南カリフォルニアに行ってはレンタカーを運転していたのだが、あるとき現地の知り合いから、「最近は新しく移民となる人が増え、新移民のドライバーが増えてきたことが関係しているのか、昔のマナーやモラルが通用しなくなってきてかなり交通環境が激変している」と話してくれた(あくまでこの知人の話)。

 さらにしばらくして、テレビで大型トレーラートラックの事故が目立つようになると、「アメリカ国外からの出稼ぎ運転士が多くなってきたのかもしれないが、ここのところは事故も増えてきているようだ」と話してくれた。やや偏見も含まれているような見方なのだが、同じクルマの運転といっても、ドライバーのなかで多様な価値観をもつ人が増えてくれば、良し悪しは別としても、いままでとは異なる交通環境が生まれるのは仕方のないことといっていいだろう。

 たとえば、合流地点で本線車両が1台ずつ合流車線側のクルマを入れるという「マナー」を破ったとしても、「それは違うだろ」と怒るものではなく、価値観の異なる人が運転しているのだからと受け流す寛容さが、よりクルマの運転では必要となってきそうである。

 サンキューハザードを出さないだけでトラブルに発生したということもあったようだが、日本でも今後は、クルマの運転においては、ドライバー個々の価値観の多様化などによる環境変化への柔軟な対応が必要となりそうである。

 ドライバーだけが気をつけるのではなく、日本の交通法規は日本人だけに向けたような抽象的なものも散見できるので(肌感覚のものが目立つ)、世界の誰もが同じように理解できるものへと客観的な数値などをさらに盛り込むなど改めていく必要もあるだろう。

 たとえばいまはオートライトが当たり前となっているが、過去には「ヘッドライトの点灯は日没30分前までに」という決まりがあると某国で聞いたことがある。「朝のテレビニュースから、その日の日没時間を繰り返し知らせているのはこのためなのか」と思ったのをいまも覚えている。「暗くなったら点灯」では個々で判断が変わってしまうので、客観的な数値を用いた一例といえるだろう。