690円カットで話題の「ヘアーサロンIWASAKI」。働く美容師にとって、さぞかしブラックな職場かと思いきや、サービス残業なし、1分単位で給与が出る、超ホワイト企業なようだ。なぜ激安カットでこの待遇を実現できるのか。美容室の未来とともに考えてみる。

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2000年に放映されたドラマ『Beautiful Life 〜ふたりでいた日々〜』(TBS系)で、キムタクこと木村拓哉が演じた「カリスマ美容師」に憧れた人々からすれば、「時代も変わったなあ」と感慨深いものがあるのではないか。

【画像】「690円カット」で話題のヘアーサロンとは?

激安カットでも「高収入」な美容室

「690円カット」で話題の「ヘアーサロンIWASAKI」が、店舗を拡大し、全国1000店舗を突破しているというのだ。

このIWASAKIはあらゆる無駄を省くことで低価格を実現している。例えば、一般的な美容室では席に着いてからカウンセリングを行い、シャンプーをしてからカット、そして最後に髪を乾かすという流れだが、IWASAKIではそういうプロセスを省略して、「カットのみ」を980円で提供。しかも、平日の午前10〜12時はタイムサービスで690円という激安価格に設定している。

この簡略化によって、1人当たりにかかる時間を20分まで短縮。一般的な美容室で1人の客に対応をする間に、3〜4人をさばくことで、驚くような低価格を実現しているのだ。

このように聞くと、「この激安を支えるために、美容師の人件費が抑えられているんじゃないの?」というブラック企業的なイメージを抱く人も多いかもしれないが、実際にIWASAKIを運営するハクブンの求人募集ページを見るとそんなことはない。東京都内の店舗で正社員で「月給25〜40万円」(2024年9月11日時点)となっており、以下のような「労働条件」を見てもブラックとは言い難い。

・給与も1分単位で計算されており、サービス残業はゼロです。有給・産休・育休取得率は100%を達成
・社員定着率88%
・年収に上限なし。管理職の平均年収は1062万円

いわゆる、「ちゃんとした企業」という感じなのだ。実際、このページには中途入社したスタッフのこんな声が掲載されている。

「独立して美容室を経営していましたが、うまくいかず閉店。年齢が40歳の時、イワサキに入社しました。イワサキは美容室というより会社だと感じました。美容師経験20年以上、「企業で働くってこんな感じなんだ」と思いました。社会保険完備、厚生年金、有給だってちゃんとあります。」

「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれないが、この言葉こそが美容室という世界の「闇」を象徴しており、IWASAKIが「690円カット」を実現できた理由の1つでもあるのだ。

美容師の職場がブラックになってしまうわけ

美容師の世界には、IWASAKIのように全国規模で展開するようなチェーン企業はそれほど多くない。ほとんどは「個人経営のヘアーサロン」だ。そのため、ここで雇われている新人美容師社会保険に加入していないケースが多い。また、有給や昇給、さらにボーナスなど企業であれば当たり前の待遇を受けていない人も少なくない。

美容学校を卒業した新人、見習い美容師というのは修行中のすし職人などと同じで、ベテランの技術を教えてもう時期なので、給料は低く抑えられるしサービス残業は当たり前。サロンの経営者から「ごめん、ウチも厳しいからボーナスは勘弁してよ」なんて言われたら、泣き寝入りをするしかない。

なぜこんなブラックな労働環境になってしまったのかというと、実は原因はハッキリしている。「個人サロンが多すぎる」のだ。

日本では美容室の数は右肩上がりで増えている。厚生労働省の「令和4年度衛生行政報告例」によれば、2023年の美容所数は26万9889店で過去最多、美容師数は57万1810人となっている。

毎日多くの客が訪れながらも数がありすぎて「飽和状態」といわれるコンビニも全国で約5万5000店舗(2024年3月時点)ということからも、美容室が「過剰供給」になっているということが分かるだろう。

消費者に対して事業者の多すぎるというレッドオーシャンの中で生き残っていくには、他にない強みがなければいけない。カリスマ美容師はそれがあるので顧客が付いて、都市部の競争が激しい地域でも生きていける。しかし、そんな者は全体の中でほんの一握りだけなので、あとの“カリスマではない”平均的な美容師は「安さ」で勝負をしていくしかない。

そうなると、ちまたにあふれる個人経営のサロンとしては、人件費を安く抑えるしかない。2024年3月に公表された「賃金構造基本統計調査」によれば、全産業の2023年の平均年収は506万9000円。一方、10人以上の規模の理美容室に勤務する理美容師の平均年収は379万7000円。一部には年収1000万円超のカリスマ美容師がいる一方で、業界全体としては「低賃金労働者」があふれている現実があるのだ。

では、このような構造的な問題を解決するにはどうすべきかという、1つの答えがIWASAKIだ。

大企業ならではの「美容室ビジネス」

なぜIWASAKIが約4000名(パート含む)という従業員に、それなりの給料を払って、社会保険完備、厚生年金、有給という労働環境を提供できるのかというと「大企業」だからだ。

全国にチェーン展開している店舗は、先ほどのような「コスパ」を売りに地域内の多くの客をとっているので利益を上げることができる。また、本業だけではなく、シニアの女性客が多いという特性を生かして店内に広告やサンプリングなどのサイドビジネスにも力を入れる。スケールメリットを生かして「美容室ビジネス」を成立させているのだ。

だから、690円や980円のカット代でもちゃんと利益が出る。個人経営のヘアーサロンでそれをやってしまうと、単に美容師の人件費を削って出血大サービスをしているだけだが、大企業であるIWASAKIの場合はその安さでもちゃんと利益を出して、従業員に給与や社会保障の形で還元をすることが可能なのだ。

「町のヘアーサロン」大淘汰時代へ

もちろん、これは働いている美容師にとって良いことばかりではない。IWASAKIに入社すると短い時間で効率的にカットする技術を身に付けることが求められるという。

つまり、個人経営のサロンで雇われていたり、自分でサロンを開業していた時には味わうことのできなかった「安定」と引き換えに、ドラマに出てくるようなカリスマ美容師とかけ離れた「サラリーマン美容師」になるということなのだ。

いずれにせよ、毎年50万人の人口が減っている「縮むニッポン」で、27万なんて数の美容室が存続できるわけがない。

そう遠くない未来、IWASAKIに代表するような「安さを武器に成長する大企業」と、国内外で独自のポジションを築くカリスマ美容師という2極化が進行して、「町のヘアーサロン」が大淘汰(とうた)されるような時代がくるのではないか。

この記事の筆者:窪田 順生
テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経てノンフィクションライター。また、報道対策アドバイザーとしても、これまで300件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行っている。(文:窪田 順生)