静岡県牧之原市の認定こども園で当時3歳の女の子が通園バスに置き去りにされ、重度の熱中症で亡くなった事件の3回目の公判が6月13日、静岡地方裁判所で開かれ、女の子の両親が法廷に立ち、意見陳述を行いました。

この事件は2022年9月、牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」に通っていた河本千奈ちゃん(当時3歳)が通園バスの中に約5時間置き去りにされ、重度の熱中症で亡くなったものです。当時バスを運転していた元理事長の男(74)と元クラス担任の女(48)が業務上過失致死の罪に問われています。

【写真を見る】「私たちは娘を殺された」「なぜ千奈の生きる権利を奪ったのか」両親の悲痛な叫び 通園バス女児置き去り死事件で意見陳述【全文掲載】

午前11時から始まった公判では、被害者参加制度を使って法廷に立った千奈ちゃんの両親が意見陳述を行いました。初めて公の場で意見を述べた母親は「事件以降、とてつもない喪失感に襲われている。生きていくことが辛く、本当に地獄でしかない。千奈を返してほしい」と時折、声を震わせながら訴えました。検察側は元理事長に禁錮2年6か月、元担任に禁錮1年をそれぞれ求刑しました。

【千奈ちゃんの母親意見陳述 全文】

この事件の被害者である河本千奈の母として、次のとおり意見を述べます。2022年9月5日の事件以降とてつもない喪失感と絶望感に襲われています。 本当に生きていく事が辛く、苦しく、二人の子どもの存在が生きがいでした。 身も心も傷つき、未来希望も失い、生きていることが苦しすぎて、死んでしまいたい。本当に地獄でしかありません。

千奈を返して欲しいと毎日、毎日思います。事件当初から現在までこの気持ちは変 わりません。千奈の死に対する悲しみ、絶望は言葉では表現できません。自分のお腹の中で大切に育んできた命、命がけで千奈を産みました。初めて産声を聞いた時やっと会えた喜びと感動で涙したことを今でも鮮明に覚えています。病気ひとつせず健康に育っていました。それなのに本当にどうして。

毎日千奈の遺影に向かって、何度も何度もごめんなさいと謝り、泣くことしか出来

ない。そんな自分を常に責め、なぜこんな事が起きたのかずっと考えています。

千奈とは毎日「大好き」の言葉を必ず交わしていました。私が「千奈ちゃん大好き」と伝えると、千奈も「ママ大好き」とニコッと笑って返してくれました。寝るときは千奈の右手を私が両手で握りしめて一緒に寝ていました。手を握ると安心して寝てくれましたし、私自身も安心して眠りにつくことができました。妹が産まれてからも少しでも千奈との時間を作り、「ママ抱っこ」と甘えてくれるので沢山抱きしめてあげました。千奈は私の宝物です。

私は千奈を大切に、大切に育ててきました。お腹の中にいることが分かったときか ら、9月5日、朝バスに乗せるときまで必死に千奈を守ってきました。いつも千奈の 笑顔が見たい、千奈の成長を見守って、私の命が果てるまで千奈と一緒に生きていたかった。家族四人で幸せに暮らしたかった。全てを奪った加者者を絶対に許すことはできません。

2歳になる次女はすくすくと成長し、千奈の遺影を見てお姉ちゃんのことを「ねぇ ねぇ」と言います。千奈の声にそっくりになってきました。その次女が泣いてぐずると、千奈がバスの中で一人泣いていた事や、手にケガを負いながら必死に助けを求めていた事を想像してしまい、私は取り乱しパニックになってしまいます。次女の育児もその影響により、とても辛く苦しいです。千奈がいなくなり情緒が不安定になり感情が抑えきれないこともあり、家の中で千奈を探し回り、夜中外に千奈がいるのではないかと思い、外に出たりしてしまいます。事件後から現在も夫婦で精神科に通院しています。

幼稚園に通い始めたのは千奈が3歳半になってからです。それまでは生まれてから 片時も離れずに一緒に居ました。これから沢山の経験をつみ成長していく姿を見たかったです。遠足や運動会、発表会など、なにも経験させてあげることが出来ませんでした。千奈はお友達も多く、家ではお友達の名前を、私に沢山教えてくれました。中には「今日は千奈ちゃん居るかな?」と言いながら登園してくれたお友達や、「千奈ちゃんが居るから幼稚園に行く」と言ってくれるお友達がいたことを、事件後に知りました。夏休み明けの初登園の際もクラスの人気者だったことを、元担任から聞きました。お友達と仲良くすることができ、千奈なりに頑張っていたのだと思い、胸が熱くなり涙が溢れました。

川崎幼稚園を信頼して子どもを預け、いつもの様にバスに乗り登園しただけなのです。元理事長はなぜ安全に対する意識を持って業務を行えなかったのか、元担任はなぜ違和感に気づいていながら行動しなかったのか、なぜ千奈の生きる権利を奪ったのか、理解に苦しみます。誰を信用したらいいのかわかりません。

元理事長は第二回公判で、裁判長の廃園に関する質問に対し、「今でも信頼して通っている保護者が居るから」と発言しました。私達遺族がいる前で言う言葉ではないと思いました。他の言い方がいくらでもあったと思います。元理事長は、遺族に少しでも寄り添っていきたいと言葉では言うものの、その言葉選びの配慮の無さ、当事者としての意識の低さ、数々の不誠実な対応に、私達遺族は深く傷つき、怒りと憎しみの気持ちでいっぱいです。また、被告人の親族が情状証人として参加していないことも、この事件に対して何も思うことがないのかと感じ、ショックを受けました。

事件から1年9か月が経った現在でも涙を流さない日はありません。一日一分一秒も千奈のことを考えないときはありません。自然と涙が溢れます。千奈と過ごした時 間が過去になり、思い出も増えることがなく、記憶が少しずつ薄れていくのではない かと怖くなります。たった3年11か月しか生きることができなくて、生きさせてあげられなくて、ごめんなさい。親として我が子を失う事ほど、辛く残酷なことはありません。この先もずっと助けてあげられなかった事を一生後悔しながら苦しんでいくのです。両被告人はこの苦しみを理解してください。

福岡県中間市の保育園で起きた同様の事件がありました。裁判長、裁判官の皆様には、過去に起きた事件から何も学ぶ事もなく、わずか一年足らずで今回の悲劇を繰り返した事実を加味していただき、私達遺族に少しでも寄り添った判決を願います。

刑務所とは罪を償いに行く場所だと認識しています。被告人が罪を重く受け止め、 たとえ少しでも刑務所に行くことが償いになるのだと、私は思います。もう何をして も私達の大切な千奈は戻ってきません。実刑を望みます。

【千奈ちゃんの父親意見陳述 全文】

被害者である河本千奈の父親として、次のとおり意見を陳述します。

千奈は私達家族の主役であり、それは事件後も変わりません。事件後から両被告人と面談を行い、公判でその態度や発言を見聞した私の意見を述べさせていただきます。

元担任は、担当していた「つき組」で無断欠席をする保護者と園児はいなかったと話していました。つまり、欠席や遅刻の連絡がなく千奈がいなかったことは、希にみる異常なケースです。それなのに千奈の所在確認を怠り、勝手に休みと判断し、結果として千奈を見殺しにした行為は、子どもの命を預かる保育士としてあるまじき行為です。

元担任は所在確認を怠った理由について、事件当日の業務が忙しかったと供述しています。しかし、被告人質問では、身体測定の準備はわずか5分しか掛からなかったこと、転園した元園児や保護者と職員室の近くで15分間も立ち話をしていたこと、教室内には内線電話があり教室を離れなくても所在確認を行えたことなどが、明らかになりました。また、何度も千奈がいない違和感に気が付いていながら行動に移さなかったことは、子どもの安全や命を軽視していることにほかなりません。

さらに弁護人質問では職員室のホワイトボードを見ても千奈が出席するか分からなかったと発言していましたが、欠席や遅刻早退の記載がない子どもは全員出席することを認識していました。つまり自分を守るため、すぐにバレる嘘をついたのです。事実と異なる発言を法廷でしたことから、私は、元担任は反省していないと感じました。

元理事長の無責任さと反省の無さは、許されるものではありません。あなたの行動がどれ程の深刻な結果をもたらしたか、そして私達遺族にどれほどの苦しみを与えたかということを、理解しているのでしょうか。彼の言動からは千奈の命を軽視し、結果を受け入れる用意すら出来ていないことが明白です。

事故の原因や自分の行いのどこに不足があったかを分析することは反省の第一歩です。元理事長も、弁護人との問答の中でそれを認めています。しかし、元理事長は、静岡大学教育学部教授の意見が書かれた供述録取書を、読んでいないと言いました。また、ドライブレコーダーの音声のことも知らないと言いました。元理事長自身が立ち会った検証のことも、覚えていないと言いました。これらの発言に対しては、彼は何をしに裁判に出てきたのかと、耳を疑ってしまいました。

そして元理事長は、事件の原因を問う質問にも、「自分が確認しなかったこと」としか答えられませんでした。チェック体制が構築されていなかったこと、職員間で情報共有が出来ていなかったこと、保護者への速やかな連絡ができていなかったこと、これらをマニュアル化し運用できていなかったこと。こんな単純明快な分析すら、元理事長は出来ていません。それどころか、証拠に目を通すという、公判に臨む者がすべき最低限の作業すら行っていないのです。元理事長が全く反省をしていないということは明らかです。

また、降車確認は運転手と乗務員が行うと認識していながら、事件後いつもの運転手から降車確認をしなければならないと聞いて「あ、そうだったんだ」と被告人質問のなかで軽々しく答えていました。子どもの命を守るはずの園長が、子どもを殺したということの重大さをいまだに自覚できていないのです。

元理事長の、遺族を馬鹿にしたような非常識といえる言動は、何度もあります。事件当日の夕方、私達夫婦に彼が最初に言った言葉は忘れません。「病院に行く用事があって急いでいた」。そんな自己中心的な都合のせいで、千奈は私達大人ですら経験したことのない生き地獄の苦しみと恐怖を味わいながら亡くなったのです。

事件翌日も、司法解剖が終わり変わり果てた姿で帰宅した娘の腕を、元理事長は、私達夫婦の許可もなく突くように触ったのです。自宅での面談の際にも、妻の質問に対して、妻を睨みつけ怒りながら声を荒げて返事をしてきました。さらに園長を退任したあと自宅でどのように過ごしているか尋ねた際には、気晴らしに友人と出掛けていると言い放ちました。

裁判長の「川崎幼稚園が廃園になったら困る人がいるか」という質問に対し、元理事長は、「信用して園に子どもを預けてくれている保護者が困ると思う」と、悪びれる様子もなく発言していました。私達も、園のことを信用して娘を預けていた親のひとりでした。ですが、その信用は裏切られ、私たちは娘を殺されたのです。

千奈の命を奪った両被告人を、私は許しません。「パパに会いたい」 「パパ大好き」 と生前の千奈が言っている動画をみて、私は謝ることしか出来ません。強烈な怒りと恨みで、両被告人を殺してやりたいと考える日も少なくありません。

2021年に福岡の保育園でバス置き去り事件が発生し、国や県、市から注意喚起の通達がありました。しかし、そのわずか一年後に、杜撰な管理体制によって同様の置き去り死亡事件を起こした罪は重大であり、世間にも大きな衝撃を与えました。過去の判例よりも重い実刑判決が、両被告人に下されることを望みます。