ナポ・レボリューションさんの浪人生活とは?(画像:ナポ・レボリューションさん提供)

現在、浪人という選択を取る人が20年前の半分になっている。「浪人してでもこういう大学に行きたい!」という人が激減している中で、浪人はどう人を変えるのか。また、浪人したことで何が起きるのか。 自身も9年間にわたる浪人生活を経て早稲田大学の合格を勝ち取った濱井正吾氏が、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張ることができた理由などを追求していきます。

今回は鹿児島県の高校から1浪で早稲田大学先進理工学部に進学。その後退学し、現在登録者3万人の個人VTuberとして活躍しているナポ・レボリューション(仮名)さんにお話を伺いました。

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VTuberを目指したのは、浪人生活が影響


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みなさんは、「バーチャルユーチューバー」という言葉を聞いたことはありますか。

VTuber」という略称が用いられるこの言葉は、2DCGや3DCGで描画されたアバター(自身の分身となるキャラクター)を使って、動画投稿・生放送を行う配信者を指します。

VTubeアカウントは企業が運営する場合が多いですが、今回お話を伺ったナポ・レボリューションさん(仮名)は、個人でVTuberとして活躍し、3万人の登録者を得ています。

早稲田大学を中退して学歴を捨ててから、この道を選んだ彼の配信生活には、一見無関係とも思える浪人生活が大きく影響していました。

彼の人生観を大きく変えたという、浪人時代の過酷な生活について、お話を伺っていきます。

ナポ・レボリューションさんは鹿児島県で生まれ育ちました。道端の草や、虫を食べるなど、小さいころからやんちゃで変わり者だったそうです。勉強に関しては、本を読むことが好きで、成績は悪くはなかったようです。

「幼いころから本が好きでした。その中でも生き物に関する書籍が好きで、将来は生物に関する勉強がしたいと思っていました」

そんな彼は県内の中堅高校に進学し、周りの生徒たちも大学に進学する環境だったそうです。

「(学力的に)そんなに上のほうの高校ではなく、自分の成績もそれなりだったのですが、高校2年生くらいでちゃんと勉強をし始めて、模試の成績は学年で1位、定期試験では2〜3位を取ることもできました。ただ、提出物を出さなくて、先生にもあまりよく思われておらず、評定はよくなかったです」

彼は地頭こそ悪くない生徒だったそうですが、遅刻をしてしまったり、先生との関係性が悪かったりと、いわゆる「厄介な優等生」として扱われていたと振り返ります。

親に対して反発する気持ちもあった

また、親との関係性もあまりいいものではなかったと語ります。

「当時、親との関係があまり良好ではありませんでした。わりと教育熱心な家庭だったので、私自身がそれに対して反発したい気持ちもあったのだと思います。

そんな事情もあり、大学に進学したら、地元を出たいと考えていました。親が地元を離れても許してくれる大学は、東大や京大といった、偏差値が高い大学だろうなとも考えていました」

そして彼は、京都大学の農学部を第1志望にすることに決めました。

「田舎の環境だと『東京に行く』と言っている周囲の友人が多かったので、彼らとは違う進路を選びたかったんですよね。また、当時『もやしもん』という生物系の漫画にハマっていたのもあって、生き物について大学で勉強するなら、京都大学の農学部が最適な環境だと思ったことが大きかったです。

私はその辺にいる虫の味が気になって、捕まえて食べてしまうような人間なのですが、京大だったらそういう人も受け入れてもらえるかなと思ったのもあります(笑)」

ナポ・レボリューションさんは、小さいころから自分が変わった人間であると自覚しており、「頭がいい」からその行動の数々も許されている部分があると考えていました。だからこそ、今後も人と違う人生を歩んでも許されるために、勉強をしていたほうがいいと思って、受験勉強に力を入れたそうです。

しかし、現役時代にはあまり点数が伸びず、京都大学に落ちてしまいました。彼はその敗因を「適当に勉強をしていたこと」だと考えます。

「私は塾に行ったことがほぼなかったので、効率のいい勉強の仕方がよくわかりませんでした。勉強を教えてもらえる塾があまりなかったので、立地的にも不利だったと思います。自分自身、数学は好きだったのですが、今まで学校で教わっていたのは、学校のテストが解けるようになるための“パターン暗記法”だったので、受験本番では解法を思いつくことができませんでした。

結局、数学が苦手なままセンター試験に臨んでしまい、9割を切ってしまいました。数学を克服できていたら9割を超えていたと思います。京大2次試験本番の数学でも、6問あった大問を1つしか解答できず、もう全然ダメでした」

こうして彼は浪人することを決めます。

親を納得させる大学を目指す

ナポ・レボリューションさんが浪人を決意した理由は「やりたいことだけやりたい」と思ったことが大きかったそうです。

「そもそも私は大学に行きたいわけではありませんでした。母親が私に対して『すごい子どもであってほしい』という期待が大きかったのがあります。親が1浪まではしてもいいと言っていたので、その間にしっかりと勉強をして、親を納得させる大学に入って、家を出てしまえば、自分が好きなことができると思っていたんです」

自由に自分の人生を生きるためには、京都大学に行くことが大事だと考えたナポ・レボリューションさん。通学圏内に予備校がなかった彼は、予備校の寮に入り、親元を離れて勉強をする決意をします。

ところが、この寮生活が相当きびしくて精神的に堪えたことと、そこで目の当たりにした周囲の環境が、彼の人生観を変えたそうです。

「寮での生活はめちゃめちゃしんどかったです。浪人の前半はとにかく詰め詰めで勉強したのですが、模試の成績が全然上がらず、むしろ下がっていました。

もともと家で勉強していたときは、勉強が嫌いではなかったのですが、寮に来てからは漫画を読んだり、ちょっとアニメを観たりすることすらできない環境だったので、余裕がありませんでしたね。浪人生活の後半は、土日に散歩したり、銭湯に行ったりして、休みを挟むようにしたのですが、そのほうが成績が上がりました。自分で勉強できる人からすると、管理される寮生活は向かないと思います」

恵まれた環境で育った友人たちのつらさを知る

そうした鬱屈した環境の中で、彼は一緒に過ごす寮の仲間たちの様子を見ながら、人生について考えたそうです。

「予備校の寮に入っているのはほぼ医者の息子で、医学部志望の浪人生でした。私は貧しい家庭の多い地域で育ったので、裕福な家庭の子どもたちとの交流があまりなかったのですが、寮生活で初めて恵まれた環境で育った人たちも苦しいんだと思いました。

貧しい家庭でも、裕福な家庭でもつらいのだと思い、『幸せとは何か』を突き詰めて考えたら、やっぱり自分がやりたいことのために頑張ることだなと思ったんです。

それまでもそう思っていたのですが、普通のレールから外れる浪人で、そういう人たちに会って、物事を俯瞰して見られるようになったから、いい大学を卒業して、いい企業に入る既定路線の人生とは違う道を目指そうと思いました」

優秀な寮の仲間たちは、浪人期間中も数学の成績が伸びずに苦しんでいたナポ・レボリューションさんにとって、自分との差を思い知らせてくれる存在であったとも語ります。

「寮の友達がある日、ある数学の問題で先生に『こっちの解答でもいいですか?』と質問していたことがありました。それに対して、先生から『この方法でも解けるんだけれど、これはレベルが高すぎて教えていなかった』と言われているのを聞いて、私とは大きな差があるんだなと感じましたね。

私もなんとか予備校の授業についていこうと思って頑張ったのですが、京大の数学となると根本の考え方を理解しないと解けないので、もうあと2年ほど時間をかけないときびしいと感じました。

膨大な量のパターン暗記で補うか、基礎のレベルに戻ってどこでつまずいたかを確認しないと解けないと思ったのですが、いずれにせよ膨大な時間がかかります。やっと数学の解き方がわかり始めたくらいで、浪人生活を終えることにしました」

彼はこの年も京都大学農学部に出願しますが、併願で私立大学を受けるかどうかはギリギリまで悩んだそうです。

「最初は前期で京都大学、後期で九州大学だけ出すつもりだったんです。すると予備校の先生に、『今のままだと、お前はセンターで失敗したらもう1浪だな!』と言われて『そのとおりだ』と思い、焦りました。2浪は絶対にしたくなかったんです。そこでセンター利用に加えて、消印当日に一般受験でギリギリ出願したのが早稲田大学の先進理工学部でした」

結局、センター試験の得点率は9割を超えて、センター利用で東京理科大学、明治大学、同志社大学、立命館大学など複数の大学に合格しました。

しかし、最後まで苦手だった数学を克服できなかった彼は、その年の京大の2次試験でもアイデアが出てこずに、1問も完答できませんでした。完全に落ちたと考えた彼でしたが、後期の九州大学の受験を検討していたところで、母親から早稲田に合格していたことを知らされたそうです。

「早稲田の受験も完全に失敗して落ちたと考えていましたが、合格していたので、親にお祝いで回転寿司に連れて行ってもらいました。そこで、母親に『早稲田だったら後期も受けなくていいんじゃない?』と言われて。東大か京大に進学する以外は、九州から出る選択肢はないと思い込んでいたので『いいんだ!』と思いました」

こうして親から進学許可を得られたナポ・レボリューションさんは、「人生を考えるいい転機になった」と語る浪人を経て、1浪で早稲田大学先進理工学部に進学しました。

中退して、VTuberになることを決意

早稲田大学に入った彼は、好きだった生物の勉強をしつつも、カラオケや塾講師などのさまざまなアルバイトを経験します。

しかし、1年が経過して、「やはり自分は社会生活に向いていない」という思いが確信に変わります。「このまま社会の歯車として生きていくのは、自分には苦痛だ」と。

親のことを考えて早稲田までは進学したものの、やりたいことがお金を稼ぐことや、学歴を生かして出世することではなかった彼は、自分が本当は何がしたいかを考え「生きられる程度のお金を稼げて、ちやほやされる仕事」として最適だと思ったために、大学を退学してVTuberになることを決意しました。


ナポ・レボリューションさん(写真:ナポ・レボリューションさんのYouTubeより)

こうして現在、彼は登録者3万人のVTuber「ナポ・レボリューション」として活躍しています。

その内容は、過激なものも多く、人を選ぶ内容ではありますが、どれも「本当に自分が面白いと思っていること」を動画にしており、まさに「好きなことで生きていく」ということを実践していることがわかります。

「世の人は、何者かにならないといけないと思いすぎている気がするのです。『自分はこうならなきゃいけない』と思っているから、つらくても必死に頑張らないといけない。でも、そんな様子を見て私が伝えたいのは、『そんなことは知ったことではない』ということです。

自分がやりたいことに素直になれて、今好きにやらせてもらっているのは、浪人生活の鬱屈した日々があったからだと思います。自分で自分の人生を決めた感があるかが、楽しく生きるうえで大事なことだと思います

本当に面白いと思えるものを作る

現在、個人で運営するVTuberとして、「自分が本当に楽しいと思える、面白いと思えるコンテンツを出し続けるようになれた」と語るナポ・レボリューションさんは人生を謳歌しているように見えます。

「いろいろ楽しく生きているけれど、それを浪人のおかげとは言いたくはないです(笑)」とは語るものの、人とは違う人生を歩むことにためらいがないのは、浪人生活で得た影響が大きいのではないか、と改めて思いました。

ナポ・レボリューションさんの浪人生活の教訓:人生は自分で決めた感があるかで楽しさが決まる

(濱井 正吾 : 教育系ライター)