(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

アジアの和食伝道師――。

スリランカの首都コロンボで、日本食レストラン「日本ばし」を経営し28年。「アジアのベストレストラン50」にも選ばれるなど世界中で根強いファンを持つ、スリランカの蟹専門レストラン「ミニストリー・オブ・クラブ」のオーナーシェフでもあるダルシャン・ムニダーサさん(52)は、今では世界中でそう呼ばれる機会が増えた。

2014年には、農林水産省日本食海外普及功労者として表彰された。その後、2021年に農林水産省から「日本食普及の親善大使」へと任命された。この賞の保有者は日本政府から和食を広める存在としてお墨付きを得たことを意味するが、選出は世界で187名のみと非常に狭き門でもある。中でも外国人に関してはアジアでわずか4名のみ、とより限定的だ。

今年11月には、スリランカにおける日本食文化の普及に寄与したとして、「旭日章」を受賞している。そんなダルシャンさんだが、驚くことにシェフとして自身は和食店での修行経験はないという。

海外で働く日本人シェフたちの功績もあり、世界的に和食人気は高まっているが、外国人シェフが和食を究め、政府から認定された例は稀有でもある。「日本人の方々に助けてもらった結果、今の私がある」と明かす、和食の伝道師の人生の軌跡を追った――。


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

家庭で日本食を食べる機会は多くはなかった

9月上旬、ミニストリー・オブ・クラブのスリランカ本店で筆者を出迎えると、流暢な日本語で取材対応を行うダルシャンさん。語学力だけでなく、言葉の節々から感じられる日本への深い理解から、まるで日本人と話しているかのような感覚すら覚えた。

「よく家族の影響で日本食に興味を持ったのか、と言われますが違うんですよ。家庭では日本食を食べる機会はそこまで多くなかったので、単純に僕が食いしん坊だっただけ(笑)。アメリカやいろんな国の食文化に触れて学んでいく過程で、日本の食文化を勉強し、その豊かさに驚かされた。語学もそうで、学校で日本語の勉強はしていないんですが、興味があることを深く知りたいから自然と身についていきました」


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

スリランカ人の父、日本人の母を持つダルシャンさんは、幼い頃から日本文化に接する機会は多かったという。実際に家族も父が東京工業大、弟は東京農業大、妹は筑波大学へと進学している。

しかし、ダルシャンさんは兄弟で唯一日本への進学を選ばずアメリカに渡り、ジョンズ・ホプキンズ大学でコンピューター工学を専攻した。兄弟で唯一アメリカにて学んだダルシャンさんが、家族の誰よりも日本文化に惹かれていった、ということは興味深い。その1つの理由は、アメリカの食文化が合わなかったことだ、と打ち明ける。

「アメリカの食事が私の口に合わず苦労したんです。その結果、できるだけ自分で料理をして食べるような習慣がついてきて。特にアメリカにいる間は無性に日本食が食べたい、と感じる時間が多かった。母や祖母に連絡して日本食の作り方を教えてもらい、スリランカから塩も送ってもらって、秋刀魚の塩焼き、味噌汁、漬物などを作って食べていましたね」


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

内定していた日本企業への就職から方向転換

卒業後は日本のIT企業で働く予定だったというダルシャンさんだが、父が急死したことで、その考えが変わった。「本当にやりたいことをやろう」という想いが強まり、内定を受けていた東京の会社に断りをいれたという。スリランカへ帰国後は、24歳の時に母と2人で和食レストラン「日本ばし」を開業し、切り盛りしてきた。

当初は一般的な家庭料理を振る舞う店だったが、ダルシャンさんの好奇心は尽きなかった。時間を見つけては単身日本へ渡り、自身のレストランに合う食材を探し求めたという。特に築地には毎年のように通い詰め、コロナ前は毎年10度ほど訪れるまでにのめり込んだ。

「僕のスタンスは、『食べることから料理を研究する』ということ。視察で日本のレストランを食べ歩き、そのレベルの高さに本当に驚いたんです。どんな食材を使用しているかを聞くため、スリランカの紅茶を40パックほど鞄につめて、料理人や卸しの方に話しを聞くために足繁く通った。

日本人は基本的に優しくて、スリランカ人の私にも仕入れから技術まで本当にいろんなことを教えていただけた。特に赤坂の鰻屋『重箱』さんに強い影響を受け、技術だけではなく、空間や雰囲気づくりも含めて多くのことを参考にさせてもらいました」


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

日本での出店も視野

現在経営に関わるのは3つの和食レストランの他にも、スリランカ料理店やステーキ屋など多岐にわたる。そんな中でも、ダルシャンさんがシェフとして名声を得たのは、「ミニストリー・オブ・クラブ」の成功が大きい。

アジアを中心に世界に7店舗を展開し、来年2月にはオーストラリアでの出店も決定。日本でも六本木を中心に具体的な出店計画も立ち上がっているという。蟹やエビの専門店でもある同店だが、ここでも日本の調理法が活きているのだ。

シンガポールではクラブ(蟹)料理の店舗が増え、その系譜であるシンガポールのクラブレストランは日本でも近年出店が目立つ。これらのレストランで使用されるのは、主にスリランカで採れる「ノコギリガザミ」となる。日本では希少性が高いが、スリランカでの漁獲量は多い。この利点を活かし、ダルシャンさんは独学で学んだ「和」のアレンジを加えた。

「ウチのレストランは冷凍庫がないんですよ。蟹は生きたまま料理をはじめるなど、食材は基本的に朝届いたものを、その日のうちに調理して新鮮な状態で提供することにこだわっています。

そのインスピレーションは、江戸時代のお寿司屋さんから。さらにウチのソースは出汁を重視しており、蟹は黒胡椒で出汁をとる。エビも淡水エビを使用し、出汁は鶏ガラから。アサリなどの貝類も醤油バターがベース。日本の調理法を参考にしているのです。

ウチは旅行客が多いなかで、調理方法を聞かれると『日本の和食のフィロソフィー、テクニックを採用している』と伝えると、日本食の奥の深さに驚かれる方が本当に多い。そういった、より広義な意味でも、和食を広める貢献ができたらな、と考えているんです」


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

実際に同店を訪れて驚いたことのひとつが、スタッフ数の多さでもあった。約100席に対してホールだけでも30人以上、調理場を含めると70名ほどが忙しなく動いていた。

客単価は1人あたり100ドル前後と、スリランカの物価を考えると非常に高額なこともあり、「料金とサービスレベルを考えるとこの人数でもギリギリ」だ、とダルシャンさんは明かす。日本の飲食業の常識で考えると、“多すぎる”ともいえる人員数にもこだわりがあるという。

「コロナ前でスリランカに来る旅行者が約200万人。その中でウチに来ていただける方は年間で約10万人と、非常に多くの方にお越しいただいている。飲食業は店の雰囲気、会話などのトータルでの満足度が大切で、ウチはサービスの質のためにもこの人数は必須なんです」


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

日本の食文化を伝えていきたい

スリランカは欧州の植民地だった歴史の長さもあり、実は多くの食文化が交差する場所でもある。そんな中で、とりわけ日本の調理法や技術を重視する理由を尋ねると、こう答えた。

「スリランカはポルトガル人にはじまり、オランダ、イギリスといろんな国の文化がミックスされていますが、実は日本との関係性は非常に深く、経済的な支援だけではなく、病院やテレビ局、道路なども作ってもらい、日本という国へのリスペクトが深い。

僕も縁があって日本との関係ができたので、そういう日本の豊かな食文化や歴史も含め、国籍や人種を問わずお客さんには伝えていきたいんです。出汁のとり方1つとってもそう、四季の素材を活かすアイデア、包丁さばきの技術や保存法など、これだけの“食”が洗練された国は、世界中探してもほとんどないですから」

長らく続いた内戦に、2019年のISテロにコロナと観光客にとって決して“開かれた場所”ではなかったスリランカだが、今年に入り多くの旅行者が訪れる国に戻りつつある。その魅力の1つには食も大きく関わり、和食の概念も徐々に広まってきている。和の文化を心から愛するダルシャンさんには、今後生涯をかけて取り組んでいきたい目標もあるという。

「単なる食だけではなく、日本の文化を深く学べるような世界のどこにもないレストランを作りたい。それを必ず実現させます。僕の人生は、できるわけない、といろんな人から否定されることの連続でしたが、やりたいことは成し遂げてきたので自信はありますよ」

昨今の世界中で広がる和食ブームのなか、スリランカの地で独自のアプローチで和食と向き合うシェフの存在に、今後も注目していきたい。


(写真:ミニストリーオブクラブ提供)

(栗田 シメイ : ノンフィクションライター)