抗がん剤「エンハーツ」の大ヒットによる好決算に加えて、アメリカのメルクとの大型契約を発表した第一三共だが、足元の株価は振るわない(撮影:今井康一)

「現在の株価は過小評価されている」

10月31日、第一三共の奥澤宏幸社長はオンラインで開かれた中間決算説明会でそう漏らした。

抗がん剤「エンハーツ」の世界的なヒットにより、好決算が続く第一三共。同日には2024年3月期の業績予想を上方修正し、売上高1兆5500億円(前期比21.1%増)、営業利益1500億円(同24.4%増)と、大幅な増収増益となる見込みだ。年間配当についても、期初予想から6円上乗せした40円(前期は30円)とすることを発表した。

サプライズは、上方修正の直前にもあった。10月20日、アメリカの製薬大手であるメルクとの間で、最大220億ドル(約3.3兆円)に上る超大型契約を発表したのだ。第一三共が開発中の3つの製品に関する提携で、いずれもエンハーツと同様、同社独自の創薬技術を用いて生み出された「抗体薬物複合体(ADC)」と呼ばれるタイプの抗がん剤候補だ。

220億ドル満額の受領が実現すれば、兆円単位でのM&Aが珍しくない製薬業界でも過去最大規模の提携契約となる。

エンハーツ効果で急上昇した株価だが

まさに我が世の春を謳歌する第一三共だが、足元の株価は振るわない。

メルクとの提携発表直後は前日比で14.4%上昇したものの、その後は下降。上方修正発表後の反応も鈍く、現在は年初来高値をつけた6月と比べて10%以上低い、4100円前後を推移している。

【2023年11月14日10時20分】初出時の株価表記が一部誤っておりました。上記の通り修正いたします。

国内製薬大手では、第一三共は売上高で武田薬品工業、アステラス製薬に次ぐ3番手だ。しかし2020年に発売したエンハーツが、従来の抗がん剤よりも有効性や安全性が高いことが評価され、わずか3年で約2600億円を売り上げるなど大ヒットを記録。それに伴い株価も上昇を続け、2022年半ばからは時価総額で首位に躍り出ていた。


今回の契約は、エンハーツに続く新薬候補の将来性が評価された証しともいえるはず。にもかかわらず、市場の反応が乏しいのはなぜなのか。

契約を結んだメルクは、世界トップ3に入るメガファーマ(巨大製薬企業)で、売上高が8兆円を超える。大黒柱の抗がん剤「キイトルーダ」が2028年ごろに特許切れを迎えるため、将来の収益減少を補う候補として、エンハーツと共通する基盤技術を用いた開発品に期待を寄せたようだ。

メルクは過去にも、2018年にエーザイとの間で抗がん剤の開発・販売について最大約6100億円の提携を結んでいる。その際、エーザイの株価は大きく上昇したのとは対照的だ。

第一三共の株価が伸び悩む理由の1つは、契約金の中身にある。今回の契約金総額約3.3兆円のうち、約2.5兆円は「販売マイルストン」が占める。つまり、7割超は「販売後」まで受領できない立て付けとなっているのだ。


エーザイとの提携時は、すでに対象となる薬「レンビマ」が開発済みだった。メルクは自社のキイトルーダを併用する方法や適応症の拡大などの面で共同開発を進めるために契約を結んだ。

一方、第一三共との契約の対象となった3製品は、いずれも開発段階にある。そのうち1つはまだ安全性を確かめる目的の治験を行う第1段階で、開発までにかなりの時間がかかるとみられる。

短期的な業績インパクトは小さい

薬の開発は治験の段階が進むごとに成功確率は増すものの、最終段階であっても100%成功する保証はない。メルクからすれば、契約金のウエイトを「販売後」に置くことで、失敗した場合のリスクを抑えているわけだ。

また、販売マイルストンは販売にこぎ着ければすべてを受け取れるというわけでもない。それぞれの製品の発売後、一定の売上高を達成するたびに一定額を受け取るという内容だ。

会社側は、マイルストンが受領できる売上高の条件などを開示していない。こうした不透明さが、株価の重しとなっている可能性が高い。

契約時一時金についても、現時点で計上が確定しているのは30億ドル(約4500億円)のみ。しかも業績に一度に反映されるのではなく、薬の開発が成功した際に想定される販売期間で割った額が、複数年度にわたり計上される。

今2024年3月期は、約100億円分の契約時一時金が計上されるという。3兆円超という契約金の総額と比べると、短期的な業績へのインパクトは小さく見えてしまう。

ほかにも株価の押し下げ要因とみられるのが、提携によって、第一三共が得られる利益が半減するという点だ。

今回の提携により、メルクは3製品の開発費の半分以上を負担し、販促も共同で行うことになる。開発スピードを上げ、製品をより早く世に出すという意味では大きな支えとなるだろう。

一方で契約では、日本を除く地域での販売後の利益と販促費などをメルクと第一三共で折半する条件となっている。これは第一三共が将来的に海外で得られるはずの利益を、半分失うことになったともいえる。

薬には特許期間があるため、製薬企業は特許が切れる前に新たなヒット薬を生み出さなければならない。エンハーツの場合、少なくとも特許が有効な2030年半ばまで後発品の参入はないとみられているが、メガファーマとの提携によって新薬の開発サイクルを早める戦略は合理的だ。

ただ、新薬の継続的な開発には巨費がかかるため、会社の長期的成長を考えると、その原資をまかなうための利益の追求も欠かせない。実際、奥澤社長は6月に東洋経済が行ったインタビューで、今後の研究開発費用をまかなうためにも、企業規模のさらなる拡大を目指すと言及している。

グローバル企業へ脱皮できるか

もともとエンハーツが成功する前の第一三共は、海外売上高比率が4割以下と、ほかの製薬大手と比べて国内を中心に事業展開をしてきた。エンハーツの拡大によって急速に海外比率が高まっている状況だが、会社のグローバル化への対応はこれからという面も多い。

今回の提携によってメルクの販売力を借りることはできる反面、海外市場を開拓するノウハウを社内にどこまで蓄積できるかは不透明だ。UBS証券の春田かすみアナリストは「がん領域でグローバル企業を目指すのであれば、リスクを取って自社販売するという選択肢もあったはず。3製品すべてでメルクと提携したという点に、会社の保守性を感じた」と指摘する。

ほかの開発薬の動向でも、注視すべき点がある。エンハーツと同様のADC技術を用いてアストラゼネカと開発中の抗がん剤「Dato-DXd」だ。

Datoは肺がん向けで治験の最終段階にあった。しかし7月、がんの増悪は抑えられたものの、既存薬を使った患者とDatoを投与した患者を比べた場合に生存期間では差がつかなかったという結果が発表された。この発表後に株価は大きく下落。第一三共は「最終解析まで引き続き評価する」としているが、結果の発表時期は今のところ明示されていない。

投資家の関心が「エンハーツ後」へと移る中、がん領域での独自技術をバネにグローバル企業へと脱皮できるか。市場の信頼を高めるには、中長期的な成長へとつながる要素を継続して示していくことが求められる。

(兵頭 輝夏 : 東洋経済 記者)