滋賀県にある近江鉄道の動向を全国の自治体や鉄道会社が注目する(編集部撮影)

全国で地方ローカル線の経営問題が顕在化している中で、滋賀県の近江鉄道に注目が集まっている。現在、鉄道事業の再建策への取り組みが具体化している唯一の事例ということもあり、全国の自治体や鉄道会社が視察に来ている。

滋賀県庁や沿線10市町は、バス転換案も含めて比較検討したうえで、2020年の法定協議会で鉄道線としての存続を決めた。2024年春以降、上下分離方式の新体制に移行する。

関係者の協議がスタートして7年。当初は冷めた空気も流れていたが、そこでどんな議論が重ねられたのか。彦根市にある近江鉄道本社に向かった。

営業努力しても赤字は膨らむ

近江鉄道は明治に開業した歴史ある会社で、西武鉄道の子会社である。延長60kmと規模が大きいが、輸送人員数は1967年度1126万人だったのが1980年代に500万人を割り、2002年度は369万人に落ち込んだ。鉄道事業は1994年度から営業赤字となり、以降毎年1億〜2億円の赤字が出ていた。

近江鉄道の特徴は、八日市線の存在だ。東近江市の中心となる八日市駅と東海道本線近江八幡駅をつなぐ重要路線で、輸送密度は2017年度で4681人と地方私鉄では多めの数字だ。

一方、本線米原―彦根―八日市―貴生川間の利用はかなり落ち込み、輸送密度は1500人を割った。JR西日本の東海道本線と2〜5kmしか離れていないこともあり、沿線からJR駅前へクルマで移動してJRに乗り換えるパークアンドライドの利用が目立つ。

近江鉄道の運賃に割高感があるのも否めない。JRだと彦根―能登川間13.8kmの運賃は240円だが、並行する近江鉄道線は彦根―愛知川間12.1kmで530円。通学定期でも倍以上の開きがある。

近江鉄道も自助努力で乗客を増やそうと模索してきた。エレベーター大手のフジテックが整備費を負担して、2006年にフジテック前駅が開業した。多賀線スクリーン駅は大日本スクリーンによる請願駅である。高校生の利用も増加傾向に転じた。高校の学区再編で通学距離が長くなったこと、高校の統合で彦根口駅の通学利用が急増したことが背景にある。

こうして、2002年度の利用者数369万人(うち通勤定期66万人、通学定期144万人)が、2019年度に476万人(うち通勤150万人、通学167万人)となった。この間、定期外客は横ばいだったが、定期客が1.5倍に増えているのは注目に値する。

あわせて近江鉄道は合理化に取り組み、ワンマン化や無人駅化などで人件費を削減したり、昼間の運行本数を1時間ごとに減便したりした。

ただ、営業努力だけでは解決しなかった。営業費用を増やしたら営業赤字は年2億円を超え、バス事業や不動産など他部門で穴埋めする状況が続いた。2014年に値上げするが収支改善効果は限定的だった。

明治期に造られた橋梁、旧式の電車、37kgレール……設備投資や修繕を先延ばしにして費用を抑制していたが、それも限界に来ていた。累積営業赤字は40億円を超えた。

協議会に漂う温度差と不信感

2016年6月、近江鉄道は開業120周年を迎える。往年の「赤電」カラーの記念列車に、三日月大造滋賀県知事が鉄道員の制服を着て添乗した。

そして同月、近江鉄道は県に「民間企業の経営努力では鉄道事業の継続が困難」と報告し、協議を要請した。

2018年から法定協設置に向けた任意協議会がスタートした。筆者は何度か傍聴したが、最初は各市町の温度差を感じた。人口も財政力も近江鉄道への依存度も異なる10市町の利害調整は容易ではなかった。「住民の関心があまりない」と言い切る自治体もあった。財政負担を懸念して予防線を張る首長もいた。

自治体側の近江鉄道への不信感もあった。突然「会社の純利益は4億円超だが、鉄道事業は3億円の赤字」と言われても当惑するだけである。非上場企業なので事業報告書や経営資料が開示されることはなかった。

同社は県内では大企業だが、意外に存在感が薄かった。行政や地元企業と連携するシーンがほとんど見られなかった。近年、西武グループは県内のホテル、スキー場から次々と撤退した。経済界トップが「近江さんは顔が見えない」と言い切ったのを聞いたこともある。

県は2017年度に近江鉄道線に関する報告書「地域公共交通ネットワークのあり方検討調査報告書」を作成し、鉄道存続とパス化などの比較検討を行った。

鉄道存続だと年5.1億円の赤字が出ると試算された。全線バス転換になると運行経費は鉄道の77%で、年4.3億円の赤字に抑制できる。ただ、初期投資に30億円かかるうえ、近江八幡―八日市間の所要時間は鉄道19分なのがバス29分と利便性は大幅に低下する。

最大の問題は必要とされる111人のバス運転手の確保だ。近江バスですらドライバー不足が深刻なのに、大量の人材を新規に集めるのは現実的ではない。

部分的なバス転換も検討されたが、鉄道との二重投資も発生し収支改善は限定的。利用の多い八日市線のみ鉄道で存続するならば、電車基地を彦根駅から東近江市内に移設するのに巨額の投資が必要となる。

滋賀県庁が調整役に

BRT化も試算されたが、初期投資120億円で整備期間は1年以上かかり、年11.5億円の赤字となる。LRT化だと、車両5連18編成、彦根・八日市駅付近など計7kmの軌道敷設などで初期投資112.1億円以上とされた。

こうして、沿線市町の首長、知事らは法定協議会設置で同意し、2019年11月、近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会が設立された。2020年、全線を鉄道線として存続することが決まり、運営形態を公有民営の上下分離方式にする方針が確認された。

運営のスキームとしては、岐阜県の養老鉄道(旧近鉄養老線)をモデルにした。県や10市町が設置した一般社団法人の管理機構が線路や駅を維持管理したうえで、第二種鉄道事業者の近江鉄道が鉄道を運行することになる。

では、県と10市町、近江鉄道、さまざまな思惑が交錯する中で、どうして鉄道線としての存続につながったのか。調整役となった県の役割が大きかった。

県は、鉄道事業の輸送改善に比較的熱心だった。1991年に公費負担で東海道本線新快速が長浜駅へ直通し、大きな経済効果をもたらした成功体験があった。その後も新快速の県北部への直通、輸送改善・バリアフリー化などにも取り組んできた。近江鉄道線についてもSOSが出る前から問題意識を抱え、2012年に活性化計画を示していた。また、三日月知事はJR西日本出身者ということもあり、公共交通に対して理解のあるスタンスを取ってきた。

東近江市も、近江鉄道線の存続に積極的に取り組んできた。市民の利用の多い八日市線のバス転換という選択肢はありえないからだ。市長は会議で前向きな発言を繰り返し、負担割合を決める際にも、第2位となる20.7%を引き受けている(滋賀県50.0%)。

近江鉄道サイドも考え方を変え、2018年に経営資料を公開し、県の経営分析にも応じた。鉄道部の和田武志課長は「行政には地域交通を維持するための仕組みを一緒に作ってくださいとお願いした」と語る。「助けてほしい」や「公的資金を入れてくれ」だけでは住民が置いてきぼりになる。「地域が鉄道を残す意義はなんなのか」考えてもらうチャンスと思ったという。

「鉄道は地域に必要か」の問いかけが大切

関係自治体が積極的に動くことで鉄道存続への道が開けた。将来が見えてきたことで、県と沿線市町は年6億円強の財政支援を行い、近江鉄道はCTC装置の置き換え、老朽橋梁の整備など設備更新にも資金を投じることができた。

鉄道を存続させるメリットとして、まちづくり、地域のイメージ、交通弱者の移動手段確保、安定的な走行、文化的側面……を掲げる識者は多い。

ただ、漠然として印象だけで語っていても、なかなか自治体関係者や議員、有権者には伝わらない。各地で鉄道事業やバス事業の再構築の議論が進まない主因でもある。

そうした中で、滋賀県は鉄道事業の経営状況を客観的に把握して分析し、定量的に語ることに努めた。情報開示することで、関係者が課題を共有することが可能となる。そして、県と市町、そして近江鉄道が鉄道線としての価値を再認識したことで存続は決まった。

だが、鉄道が地域で本当に必要とされているのか。沿線住民は潜在的なユーザーであり、かつ有権者でもある。彼らの支持がなければ持続的な経営支援は不可能だ。

近江鉄道は2019年に「みらいファクトリー」を立ち上げた。沿線住民と社員が一緒になって鉄道を活性化するアイデアを考えようとの取り組みである。

2022年10月には鉄道線の無料乗り放題イベントを実施し、定期外乗客数の12倍となる3万8000人が押し掛けた。2023年10月の「ガチャフェス」(大人100円で乗り放題)も2万人を集めた。同時に各駅の周辺で活性化イベントを展開し、多くの鉄道利用者が参加した。普段、近江鉄道線を利用しない住民たちが存在価値を再認識したという声も多かった。

「近江鉄道は地域のまちづくりに欠かせない存在である」との思いをどのように有権者と共有できるのか。来年春の上下分離、そしてその先を目指した模索は続く。

(森口 誠之 : 鉄道ライター)