線路上に立つマネキンに向かって進んでくる「障害物検知システム」を搭載した列車(記者撮影)

列車は線路の上に立つ人影に向かってゆっくりと進み、衝突する直前で停止した。人影の正体は生身の人間ではなく、服を着せたマネキン。「ぶつかる前に止まれるか」。わかっていても心臓が少しだけドキドキした。

障害物検知システム――。これは、JR東日本が乗務員の運転支援や将来のドライバレス運転への適用を目的として開発を進めているシステムだ。2022年12月2日、埼玉県川口市にある同社のさいたま車両センターで報道公開された障害物検知システム試験の様子を取材した。

自動車とは違う鉄道の障害物検知

前方にある人物や物などの障害物を検知すると、警告音や状態表示パネルへの表示で運転手に通知したり、衝突を回避するため運転の補助操作を行ったりするシステムは自動車の世界ではすでに実用化されている。しかし、鉄道車両の場合は列車を停止させるまでの距離が自動車よりも長いことから、より遠くにある障害物を検知する必要がある。JR東日本先端鉄道システム開発センターの菊地隆寛所長は「2014年頃から鉄道用の障害物検知システムの構想を始めた」と説明する。

同社が開発した障害物検知システムの仕組みは、2つのカメラを用いて対象物を2方向から撮影することで対象物との距離を撮影することができるステレオカメラを運転席の前方に取り付け、撮影した画像を車内に搭載した画像処理装置で解析して、障害物をリアルタイムで検知し、乗務員に通知するという仕組みだ。外部のサーバーなどと接続せず車両内で完結するシステムのため、サーバーとの通信による時間のロスがなく通信障害でシステムが使えなくなるといった心配もない。

209系を改良した試験車両「MUE-Train」や京浜東北・根岸線のE233系車両に搭載され、2020年2月から京浜東北・根岸線の本線上で走行試験が行われてきた。京浜東北・根岸線で試験を行うのは理由があり、「トンネル、橋梁、踏切の数など、いろいろな条件から走行試験にふさわしい路線を選んだ」(JR東日本の担当者)という。

この日公開された試験は、E233系列車に搭載された障害物検知システムを使って線路内上の被写体を障害物として検知し、被写体に接近した際、注意喚起の表示をするというものだ。まず、車両は止まったままの状態で、係員が車両から約80m前方の線路上に立ち、約30mまで移動する。これをシステムが検知するという試験が行われた。

運転席は狭いため、代わりに車内に設置されたモニターから試験の様子を確認する。モニターには運転台から見た前方の景色が映し出された。景色は白黒だが、係員の姿がボーっと光った。車両に近づくにつれ、光の色が緑から、黄、オレンジ、赤へと変化する。また、障害物との距離に応じて「Detected(障害物あり)」や「Caution(注意)」といったメッセージが表示された。検知が成功したのだ。

走行試験で線路上のマネキンを検知

続いて、係員の代わりに、長さ1m、高さ50cm程度で、子供が乗って遊ぶ自動車のおもちゃが線路上に置かれた。実際の車と比べればはるかに小さい。それでもこの車が障害物であることが検知された。実際の車を線路上に置くほうがリアルな気もするが、「車を線路上に持ち込むのが大変」とのこと。理論的にも、小さいおもちゃの車を検知できれば当然大きな本物の車の検知は容易なはずであり、問題はないだろう。

ここまでは車両が止まったままの状態で試験が行われたが、いよいよ車両を走らせた状態での試験が始まった。生身の人間が線路上に立つのは危険なので、白いシャツと黒いズボンを着せたマネキンが線路上に立たされた。


マネキンを線路上に立たせて行った障害物検知装置の試験(記者撮影)

列車は前方のマネキンに向かってゆっくりと進む。モニターに映し出されたマネキンに列車が近づくにつれ、その表示色が黄から赤へと変化した。試験は成功した。今回のマネキンのシャツの色は白だったが、いろいろな色のシャツを着せた検知状況も調べているという。

2023年度からは京浜東北・根岸線の営業列車にシステムを搭載して通常走行時のデータを蓄積する。営業運転ともなれば朝から晩まで運転するため、昼間、夕方、夜などの明るさや、晴れ、曇り、雨、雪など天候が異なった状態でのデータが取れる。「今まで以上にさまざまな場面に遭遇することになる。きちんと検知できるか、あるいは何もない場面で誤検知をしないか。データを積み重ねて検知機能の性能を見極めたい」と菊地所長は意気込む。

将来の実用化に向けた課題は「機器をどこまで小型化できるか」だという。データの解析は想像以上に多くの処理が必要となる。まず列車の走行にともなって発生する車両の振動による画像の“ぶれ“を除去する必要がある。画像がぶれていると障害物を正確に検知できなくなるおそれがあるためだ。大量のデータ処理を行うとなると機材は大型化せざるをえない。

データ解析装置を外部に設置して、車両との間でデータを通信すればいいのではとも思ったが、その場合、データ通信にほんのわずかだが時間がかかる。高速で走る列車はたとえゼロコンマ数秒でも数メートル移動する。リアルタイムでのデータ解析が不可欠なのだ。

実用化された際には、障害物の色が変化して映し出されるようなモニターは運転席に設置しない。狭い運転席に新たな機器を設置するスペースは少ないし、前方を見ながらモニターを確認するというのも煩わしい。ステレオカメラが障害物を検知したら、その情報を伝えてくれれば十分だ。そこで、実際の運用では障害物を検知した際に音などを発して警告することを検討しているという。

「運転支援」から自動運転へ

運転士を支援するために開発中の障害物検知システムだが、JR東日本がその先に見据えているのは運転士に代わる自動運転への活用である。

バスの運転士やトラックドライバーは厳しい労働条件から担い手が減りつつある。鉄道業界でも少子高齢化社会の急速な進行により将来、運転士が不足することが懸念されている。運転士のなり手が減れば、必要な運行ができなくなる。そのため、鉄道各社は運転士がいなくても列車の走行が可能な自動運転技術の開発を急ぐ。

ゆりかもめなど無人運転の鉄道もあるが、JR東日本が目指しているのは無人運転ではなく、「ドライバレス運転」。運転士ではなく添乗員が乗車して安全確認とドアの開閉を行うというものだ。添乗員は列車の発進、停止や加減速などの操作は行わず、システムがすべて自動で行う。緊急時の列車停止もシステムが行う。日本では、東京ディズニーリゾートの各施設を結ぶ舞浜リゾートラインがこの仕組みを採用し、車内の乗務員は扉の開閉やガイド業務を行っている。

ドライバレス運転はさまざまな技術を組み合わせることで完成する。自動運転に不可欠なシステムであるATO(自動列車運転装置)の実証運転が山手線で行われており、今回の障害物検知システムも重要な構成要素だ。

各社が進める自動運転技術開発

JR九州も独自の自動運転技術を開発しており、香椎線の営業列車を使って実証実験中。運転士資格を持たない係員が乗車するという点ではJR東日本と同じだが、違うのは、JR九州の場合は乗務員が緊急停止操作を行うという点だ。乗務員は運転席に座って前方の障害物検知を目視で行うため、JR東日本のような障害物検知システムの開発は必要ない。ただ、乗務員は緊急停止などの運転に直接かかわる操作を行うため、誰でもできるというわけではなく、運転士になるためのものほどではないにせよ、必要な訓練や資格取得が必要となる。

私鉄では東武鉄道がJR東日本と協力し、2022年11月から日光線や宇都宮線を走る営業列車に障害物検知システムを仮設搭載し、検証試験を開始した。また、南海電鉄が2023年度から和歌山港線で自動運転の実証実験を行う予定。こちらはJR九州と同じく乗務員が緊急停止操作を行うことが想定されている。

メーカーも開発に積極的だ。東芝が自動運転に用いる前方検知装置を開発中。車載カメラを活用して距離を計測するとともに線路を識別して走行上の空間に支障物があるかどうかを探索するという仕組みはJR東日本と共通する(2021年10月18日付記事「地味でも年商1000億、東芝『鉄道ビジネス』の実力」)。また、日立製作所は東武と共同で検証試験を実施している。

JR東日本が構想する自動運転を実現するためには、必要なシステム開発以外にも踏切の立体交差化やホームドアの設置など、線路への人の立ち入りや自動車の侵入を防ぐインフラ設備も必要になる。実現できるのは多額の投資が可能な鉄道事業者に限られそうだ。その意味で、もし利用者の少ない路線で自動運転をする場合は、JR九州方式のほうがふさわしいかもしれない。JR東日本方式、JR九州方式のいずれも、既存の鉄道インフラを活用しながら開発を進めているため、実際には路線の実情を勘案しながらどのような方式がふさわしいかを見極めていくということになる。


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(大坂 直樹 : 東洋経済 記者)