モニカ・セレス、刺傷事件を含めた選手時代を回想

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1993年の刺傷事件がなければ、モニカ・セレス(アメリカ)は史上最も偉大な女子テニス選手になっていたかもしれない。事件当時20歳だったセレスは、既にグランドスラムで8度の優勝を果たしていた。この不幸な事件は彼女の未来を大きく変え、セレスは最終的にグランドスラム9度優勝という実績に甘んじなければならなかった。


しかしながら、セレスは今もテニスを象徴する人物の一人であり続けている。元世界ランキング1位の彼女が選手生活を振り返った。Tennis World USAが報じている。

1990年に16歳で「全仏オープン」を制したことで、一躍時の人となった。間違いなくこの瞬間が、選手としての成功の入り口であったとセレス自身は考えている。「永遠に特別であり続けるのが、1990年の“全仏オープン”での優勝ね。16歳にして、初めて優勝したグランドスラムだもの」とセレスは振り返る。「プロの大会に出場するようになるとたくさん期待されるけど、心の奥底では自分はまだ10代の若者に過ぎなくて、『私って本当にこれが得意なのかしら?』って自問しているのよ。あの瞬間まではそうだった」


それから3年後の1993年、19歳になった彼女は「全豪オープン」で8つ目のグランドスラムのタイトルを獲得していた。セレスにとってはこの優勝も特別なものだ。彼女は自身のキャリアと情熱、そしてファンやスポンサーからの期待によってもたらされる重圧の間で、うまくバランスを取ることができるまでに成長していたからだ。


「もう一つの決定的な瞬間は、何と言っても1993年の“全豪オープン”ね。あの時までは、10代の若者らしく個人的なことと格闘していたの。自分がどうしたいのかを見出そうとしていた。若い時って、自分のやることなすことが大げさに見えるものよね。でも、スポンサーや他の誰もが、常に結果を出すこと、試合に出ることを求めるでしょう。1993年の1月までに、そういうことのバランスを保てるようになっていた気がするわ」


しかし、そんな「全豪オープン」から3ヶ月後の1993年4月末にコートで刺されたことで、セレスに危機が訪れた。この事件により、2年間試合を離れなければならなかったのだ。彼女にとっては心理面での影響が大きかった。この2年間、セレスは心のバランスを保とうとした結果、テニスから離れているということの未知なる恐怖と対峙することとなった。


「1993年に刺された時はもっとずっと辛かったわ。自分の世界全部が崩れてしまったから。心理的な面でも他の面でも、バランスを保つためにとにかく努力した。本当にあの瞬間は、極致とでも呼ぶべき状態に私を放り込んだのよ」


それでも1995年に復帰すると、セレスは1996年の「全豪オープン」で9度目のグランドスラム優勝を果たした。この優勝は彼女のテニスへの復帰を示すものであり、また、彼女を最も鼓舞する人物であった父が、あの恐ろしい事件後に安心して彼女のプレーを見られた試合であったということから、セレスにとって思い出深いものとなっている。


「約2年半後に困難な状況から脱したわけだけど、本当に一番特別だと思える勝利は、1996年の“全豪オープン”でしょうね。事件後では初めてのグランドスラム優勝だったし、父が健康な状態で、治療を受けながらでなくしっかりと私の試合を見られた最後のグランドスラムでもあったから」


(テニスデイリー編集部)


※写真は1990年「全仏オープン」でのセレス
(Photo by Bob Martin/Getty Imagess)