密着・小林可夢偉(2)

 スーパーフォーミュラの第3戦が行なわれる富士スピードウェイのピットガレージ内にあるプライベートルームで、小林可夢偉はマッサージ用のベッドに腰をかけてリラックスしていた。

「ル・マンはね、年に一度のお祭りやっていう特別感がすごくあるんですよ。ドライバーとしても、そこで戦う特別感、自分たちが素晴らしい場にいるんやっていう気持ちは、モナコGP以上に感じた。(中嶋)一貴ともそんなことを話してたんやけど......」

 トヨタの一員としてル・マン24時間耐久レースを戦い、優勝争いをして帰ってきた可夢偉は、レーシングドライバーとしてひと回り大きくなったように感じられた。

 今年の可夢偉はWECのために、ヨーロッパと日本を行き来する忙しい日々を送ってきた。

「あるとき飛行機に乗り遅れて、その場でどうしようかなって考えて、思いつきでウクライナに行ったんですよ。そしたら、街は綺麗で安全やし、食べ物は安くて100円とか200円くらいしかしないし。これからも年に1回は行きたい場所になったね」

 レーシングスーツの上をはだけて黒いデザインTシャツを着て、相変わらず可夢偉らしいエピソードを披露する。既成概念に囚(とら)われず、自由な発想で行動し、思わぬ発見を手に入れる。それが時に見るものを魅了し、惹きつける――。可夢偉の魅力のひとつだ。

 実はその数分前、決勝朝の30分のフリー走行を終えてマシンを降りたばかりの可夢偉は、ヘルメットを脱ぐなり苛立っていた。

「なんで出られへんかったん? 何やってたん?」

 わずかな時間でも無駄にしたくない、たった30分のセッション。最後に慌ただしくコースインをしようとしたところで、メカニックが止めに入った。タイヤの内圧調整が行なわれておらず、その作業を待たなければならなかったからだ。

 待たされたのは、ものの10秒程度だっただろうが、その瞬間の可夢偉にとってはその何倍も長い時間に感じられたことだろう。実際、セッション終了のチェッカードフラッグが振られる直前の数秒の差でコントロールラインを通過できていれば、あと1周多く走ることができたのだ。

 その苛立ちを押し殺して、可夢偉は気持ちを切り換えようとしていた。

 スーパーフォーミュラで2年目の今年、可夢偉の目標はもちろん勝つこと。そしてチャンピオンを獲ることだ。1シーズンの経験から、その自信も十分にあった。

 しかしフタを開けてみれば、チームは低迷した。スポンサーが減って財政が圧迫され、経験豊富な人材も他チームに流出してしまったからだ。チーム・ルマンのガレージを見回してみると、若いスタッフが多いのがわかる。経験の浅い彼らは、実戦を通して学び成長していくしかない。緊迫したレースの場では、ミスも起きやすくなってしまう。

「入ってくるぞ! おい! メカニックッ!」

 決勝の最中にも、スーパーGTで監督を務める元ドライバー・脇阪寿一の怒鳴り声がピットガレージに響いていた。

 セーフティカーの先導中に新品タイヤに交換してしまおうと、可夢偉がピットに入ってきた。しかし、肝心のタイヤ内圧が調整されておらず、間に合わない。慌てた雰囲気のなか、チームは朝の走行で使った中古のタイヤをつけて可夢偉のマシンを送り出した。

「1セット目の内圧設定が低すぎて外してたんで、どうせセーフティカーが入ってるなら、その間にピットインして希望どおりの内圧にしたニュータイヤに換えて走りたいなって(山田健二エンジニアと)話してた。それで入ったんですけど、内圧の設定ができてなくて、『朝のウォームアップで走ったタイヤだから』って言われて。それは結構、高めの内圧設定やったんです。だから、最後まで希望どおりの内圧で走れないまま終わっちゃった。低すぎるのと高すぎるので、中間はないんかい!っていう感じで......」

 可夢偉はこの第3戦に、大きな決意を持って臨んでいた。

「今年はスーパーフォーミュラを盛り上げるためにいろいろやろうと思ったけど、走ってみたら思いのほか自分が遅いから、今はまだおとなしくしてる。まずはこのスランプから立て直すために、取り組んでるところなんですよ」

 開幕戦の鈴鹿で「この現実から逃げない」と話した可夢偉は、その後も時間を見つけてはチームのファクトリーに通い、問題点の洗い出しに力を注いできた。開幕戦でタイヤ交換時にリアタイヤが外れたのは、ホイールナットを締めるホイールガンの整備不良だとわかり、それ以外にも見直すべき箇所はいくつもあったようだ。

 ヨコハマタイヤに変わった今年に入ってからも、チームはブリヂストン時代の経験と方法論の延長線上でマシンセットアップをしてきた。しかし、セルモやインパルといった速いチームを見れば、異なる方法論でマシン作りをしている。具体的に言えば、マシン挙動の根幹のひとつであるロールセンターの位置を高く設定していた。これによって、マシン作りはガラリと変わる。脚回りやデフをはじめとして、さまざまな箇所をそれに合わせ込んでいかなければならない。

 金曜の練習走行では、これまでに使ったことのないリアダンパーが搭載されていた。タイムは下位に沈んだが、これは「何か理由があったとかではなく、単純に遅かった」という。

「金曜から残念ながらずっと雨で、セッティングの確認ができないままレースになってしまって......。完全なドライはレース前の8分間だけやから、フロントウイングを調整したくらいしかできなかった(苦笑)。だから結構、ギャンブルしてレースに臨んだんです。それがあんまりいい方向に行かなかったなっていう今週末でした」

 だからこそ、適正なタイヤ内圧で走れなかったことも痛かった。できることなら、ここでしっかりとデータを蓄積しておきたかったからだ。

 チーム・ルマンと可夢偉は、まさにこれまでの方法論を捨てて、白紙から再構築を始めたばかりなのだ。

「ゼロからの再スタート。まだ、勝てるとかそういうレベルじゃない。それはわかったうえで、この道を選んだんです」

 マシンもチームも、ゼロからの再出発――。

 長年にわたって積み上げてきたものを捨て、もう一度新たな道を進むというのは、言葉で言うほどたやすいものではない。可夢偉のように自由な発想でチャレンジできる人間だからこそ、挑むことができる挑戦。チームも、そこに飛び込む決意をした。

 可夢偉の新たな挑戦は、始まったばかりだ。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki