協会は監督選定のコンセプトを明示すべきだった<br>(Photo by Koji YAMAZAKI/PHOTO KISHIMOTO)

写真拡大

日本代表監督選びはいまが佳境。新聞各紙には様々な名前が取り沙汰されている。たとえば、Nスポーツに載っていたのは、ビクトール・フェルナンデス、ファンバステン、バルベルデの3人。悪くない顔ぶれだと僕は思う一方で、いまひとつ釈然としない気持ちもある。

決める前に、いや、探す前に、協会として踏んでおくべき手続きがあったはずだ。ファンに代表監督選びのコンセプトを示すことだ。まず岡田ジャパンの反省と検証、そして南アワールドカップの総合的な総括をし、日本のあるべき姿はこうだから、こんな感じの監督を探そうと思っているという話が、記者会見で語られなければならない。契約期間についても、どのように考えているのか示す必要がある。従来通り、次回のワールドカップまで4年間丸投げするつもりで探すのか。あるいはその慣例は止めるのか。

何の説明もないまま、原博実技術委員長は東奔西走している。で、おそらく、今週中とかそれくらいに、新監督発表の運びになるのだろう。

その名前を聞いた、多くの人の反応は「ふーん」になると思う。「それって良い監督なの?」。その道に明るくなさそうな人は、明るそうな人に訊ねることになる。だが、明るそうな人も、実はあまり知らなかったりする。長い説明はできないはずだ。そんな中、新監督は来日し、今月下旬あたりから9月4日のパラグアイ戦に向けての強化合宿に臨む。

交渉に当たっている原サンとファンとの間には、著しい開きがある。原サンがよかれと思って交渉に当たっている候補を、普通のファンは大抵、知らない。ビクトール・フェルナンデス、ファンバステン、バルベルデと言われても、現役時代超有名だったファンバステンはともかく、他の2人について詳しく知る人はファンの中でも10%未満だろう。

選手の名前はそこそこ知っていても、監督の名前まではあまり知らない。馴染みのある監督の絶対数が少ない。これが日本のサッカーファンの現実だと思う。「日本代表にも、モウリーニョのような有名監督を」という声をよく耳にするが、有名監督の名前を20人、さらさらっと口に出来る人は多くない。それこそ10%未満になる。

欧州を中心とする海外の試合を、テレビ観戦する環境が諸外国に比べ悪すぎることがその大きな原因だ。映像はほぼスポーツニュース頼みなので、知り得るのは一部のスター選手ぐらい。監督采配やその戦術的特徴を知る機会がない。

代表監督選びを見ていると、外国との距離の遠さをつくづく思う。

いまやインターネットの充実で、海外のサッカー情報に接する機会は、かつてとは比較にならないほど増えた。情報は山のように入ってくる。スポーツニュースでも、チラッとではあるが、扱う機会は増えている。試合中継を見なくても、かつてより海外サッカーが分かった気になれる。

だがそこから得られる情報の大半がニュースだ。言葉は悪いが、単なる情報であり、単なる記事だ。サッカーの中身に迫るものは、決して多くない。

見出しになりにくい監督にまつわる情報は中でも少ない。目に止まるのは更迭、解任ニュース。それから記者会見で吐いた刺激的な言葉ぐらいになる。情報化社会、インターネット社会の盲点と言ってもいい。いくらキーボードを叩いても、日本の代表監督に相応しいか否かの答えは見えてこない。

検索文化、トピックス文化ならではの誤解も目につく。たとえば、モウリーニョと文字を叩けば、「守備的」という言葉に簡単に辿り着くことができるが、モウリーニョのサッカーを「守備的」だと述べたのは誰か。言い出しっぺは欧州人だ。欧州人にはそう見えたのだ。それがインターネットを通して世界各地に流れるわけだ。日本も例外ではない。モウリーニョのサッカーは「守備的」だと、思い込む人がいても不思議ではない。