担当M(以下M):9月一杯で東京Vの運営会社が代わりまた。しかも予算は大幅削減になりそうで、J2中堅クラスの規模が予定されているそうです。

ラモス(以下R):その件について僕はどうなっているか分からないんですよ。

M:東京VはJリーグが発足した当初、一番人気があるクラブでした。なのにどうして観客動員数が減ったり、経営が厳しくなったのですか。

R:一番影響が大きかったのは等々力を離れたこと。川崎のサポーターは僕たちを支えてくれていた。でもそれに背中を向けて出て行ってしまった。そんなことしちゃ、もう好きになってもらえないですよ。それでお客さんも減るし経営も厳しくなる。

M:ホームタウンが変わるというのは大きな話ですよね。

R:それから98年シーズン終了後に読売新聞が経営から撤退したこと。それまでチームを支えていた選手をみんな出しちゃった。サッカークラブをどう経営するか、わからないままだった。もし僕がテレビ局の社長になったらどうなりますか? それと同じですよ。

M:結構おもしろい番組が作れたりして。

R:いや、それはない。やっぱり専門家に任せないとダメですよ。サッカークラブという組織がよく分かっている人に。

M:当時の社長に話を聞きに行ったこともあるのですが、経済的に厳しいので主力選手を放出せざるを得なかったということでした。

R:でも、当時僕たちは年俸を下げてもいいと言ってたんですよ。僕たちはクラブが好きだったから、弱いチームになったまま辞めたくなかった。どうしてももう一度強くして、それから辞めたかったんです。半年だけの契約でいいからって。残念ながら、その声が届かなかった。

M:人気選手が次々に移籍しましたからね。

R:僕たちの前にも都並敏史が移籍したし、武田修宏もレンタルで出た。ファンは悲しかったと思いますよ。

M:その当時は選手個人の人気と入場者数が連動していました。クラブそのものの人気を作ろうという考えはどうだったんですか。

R:それはホームタウンを川崎(等々力)から東京に変えたことで崩れたと思いますね。その当時から僕は言ってたんですよ。移転すれば人気が落ちるよって。サポーターの気持ちを置き去りにするんだから。もしクラブの人気を作ろうと思うのなら最初からのホームタウンをちゃんと大切にしなきゃダメなんです。僕は今でもサポーターに申し訳ない。だから今も川崎フロンターレが気になってるんです。

M:東京に移転した後も、東京Vのサッカースクールにはいつも子どもたちが溢れていて、楽しそうにボールを蹴ってます。その子たちを大事にするクラブでいてほしいですね。

R:そうですよ。子どもたちや、サポートしてくれる人たちをいつまでも大切にしないと、また同じことになっちゃいますよ。

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ラモス瑠偉ラモス瑠偉プロフィール
1957年2月9日、リオデジャネイロ(ブラジル)生まれ。
1989年11月、日本に帰化し、1990年北京アジア大会、
1992年アジアカップ、1993年ワールドカップ予選などで日本代表の中盤をリードした。
竹を割ったような性格で、厳しく文句も言うけれど、一方で面倒見の良さでも知られている。

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リストランテ・カリオカ