しかし、「6000年の間に500〜800年間隔で大津波があるから注意してください」という地質学的時間スケールで警告したところで、一般市民にはまったく危機感も何も湧かないことだろう。

そこで、より正確にイベントの年代や特徴などを記録することが、より正確な将来の災害予測へつながると考え、研究や調査を続けているわけだが、地層による高分解能の古環境解析には、これまで解決すべき2つの課題があったのである。

それはもちろん、欠落のない連続的な地層の記録と、正確な年代目盛りなのだが、それを解決したのも今回の水月湖プロジェクトというわけだ。

例えば、今回のSG06の中には、7240年前と3万年前の南九州の火山の大噴火の証拠も記録されているという具合だ。

そのほかにも地震や洪水の痕跡が保存されているという。

古文書のレベルではない、人が(少なくとも日本人が)文字情報などを残せないような遙か昔のイベントもわかることから、原口准教授によれば湖沼堆積物は「マルチ記録計」なのである(画像19・20)。

しかし、湖沼など世界中で数えたらどれだけあるかわからないし、日本に限ったとしてもいくらでもあるにも関わらず(実際、水月湖のすぐ周囲にも4つの湖があるが、それらは適していない)、どうして世界でも水月湖しかこのようなきれいで長大な年縞がほかでは見つかっていないのかというと、それだけ条件がそろうのが難しいからだ。

前述したように、湖底をかき乱す要素である直接流れ込んで来る川がない、湖底は無酸素状態で生物がいないというのがまずある。

そしてもっと重要なのは、遙か太古からその湖沼が存在している、ということ。

例えば、一部のカルデラ湖などのように、人の歴史上でいつできたかがわかっている湖沼もいくつもあるわけで、樹木年輪を上回るような時間で存在していなければ意味がないのだ。

また緯度的に日本の辺りがいいというのは、植生が豊かなことが1つ。

そしてもう1つは、もっと南方に行ってしまうと、水温が高くなって落ち葉が腐ってしまうからダメなのである。

もちろん、北に行って寒くなり過ぎてしまえば、植生がやはり豊かではなくなってしまう。

緯度的にはヨーロッパも問題はないのだが、実は植生が豊かではないため、やはり適していない。

よって、年縞を探すという点でも、日本は非常に恵まれた土地といえるのだ。

ちなみに、日本にはほかに年縞のある湖沼はないのかというと、実は複数ある。

秋田県男鹿半島の一ノ目潟(日本では数少ない「マール」と呼ばれる、噴火後の爆裂火口に地下水が溜まって形成された火山湖)、長野県の下伊那郡阿南町ある深見池(1662年に地震による地滑りで形成)、青森県三沢市の北部にある小川原(おがわら)湖(青森県一、全国11位の大きさを持つ)で、鳥取県の中央に位置する東郷池(鳥取県で2番目の大きさを持つ)などだ。

これらは、現在も調査・研究中のものも多いが、やはり水月湖が最も条件がいいようだ。

そして最後に、今回の研究プロジェクトの概略も説明された。

堆積物コアの採取には、主として英国のNERC(Natural Environment Research Coucil)から中川教授が代表者として獲得した助成金と、米延准教授の前述した文部科学省科研費を使用して実施し、試料の分析には中川教授がNERCから得た別の助成金が使用された。

よって、安田教授による1993年のコア採取、北川准教授によるアイディアの萌芽と開拓期の研究、その経験を踏まえた2006年の2回目のコア採取、そしてその後の分析と、一貫して日本人のリーダーシップによって遂行された研究プロジェクトといえる。

まさに「20年越しのジャパニーズドリームの実現」なのである。

そして安田教授が20年前に描いた、人間の歴史を考える上で重要と考えられる「過去の数万年間の気候変動研究や植生変動を年単位で復元する」という目標も、いよいよ実現が近づいてきたというわけだ。

私事だが、先日、113番新元素の命名権獲得に王手がかかった旨のリポート記事を書かせてもらったが(記事はこちら)、日本人科学者ならではの粘り腰による先駆者から受け継がれてきた夢の実現が、またここに結実したという場面に立ち会うことができて非常に嬉しい限りである。

日本人として、誇らしい限りだだ。

日本人はすごいんだということを、もっともっと日本人に知ってもらいたいと強く願う。

今回の水月湖のキャリブレーションデータセットは一部の研究ですでに活用が始まっているが、来年に最新版のINTCALが発表されれば、世界中で使われることとなる。

世界中の年代測定の精度がより上がっていくわけだ。

近い将来の、その精度の上がった研究成果が報告される日を楽しみに待ちたいと思う。



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