北川教授は、1993年秋に文部省(当時)科研費重点領域研究「文明と環境」プロジェクトとして、国際日本文化研究センターの安田教授のグループが1回目の水月湖のコア採取(SG93)を行った際に助手として参加していたのだが、その北川教授が個人的な見解としていうには、「INTCAL09は暫定的なもの」だそうだ。

しかし、今回のSG06からの炭素14年代のキャリブレーションデータは、SG93コアの解析で指摘された問題のほぼすべてを解決している。

SG93の時は、欠落なく連続的にコア採集をすることができなかったのだが、今回はSG06の4本にSG93の1本を合わせた5本のコアを対比させ、その連続性を保証することに成功した。

また、SG93の時にはまだなかった蛍光X線スキャナーという技術の進歩の恩恵にも授かっており、SG93の時の年縞編年とは比較にならない高精度でのデータも得られたというわけだ。

こうして、水月湖からのキャリブレーションデータセットをINTCALに組み込むことで、過去5万年の世界中の人間の歴史や気候変動、各種イベントを同じ時間軸でより正確に論じることが可能になるのである。

なお、INTCALに水月湖の分析結果を組み込むことは、20年におよぶ日本の研究者の夢であり、中川教授は「20年来のジャパニーズドリームの実現」という。

そして、去る2012年7月13日にパリのユネスコ本部で開催された500名以上の研究者が参加した世界放射性炭素会議総会で、遂に水月湖のデータが組み込まれることが正式に合意され(次のINTCALは来年発表の模様)、事実上水月湖が過去5万年の標準時になることになったのである。

また米延准教授によれば、海洋堆積物や極域のアイスコア、鍾乳石など複数ある中で、水月湖のような湖沼堆積物は、人間圏に近い地域での環境変動の情報を得られることも大きいという。

水月湖の堆積物(画像17)には、前述したように、ケイソウの死骸、落ち葉、花粉、火山灰、黄砂、枝などが含まれるわけだが、それらを調べることで、過去の気候、湖沼の水質・水温、周囲の植生、周囲の森林なども含めた環境、さらには火山噴火、地震、津波、そして人類の活動による自然改変も検出することが可能だ。

要は、人類社会と自然との相互作用を明らかにできるというわけである。

米延准教授は、現在、文部科学省科学研究費補助金・新学術領域研究の助成を受けて、「環太平洋の環境文明史」という大型のプロジェクトに携わっている(2009年〜2013年度)。

その中で、中米のマヤ・アステカ文明、南米のアンデス文明、琉球などの島嶼(とうしょ)文化、東南アジアのクメール文明、そして日本本土も含めた環太平洋地域の古代文明の盛衰と自然環境の変動との因果関係を調査中だ。

このプロジェクトにも、今回の水月湖からの年代目盛りを適用できることになった。

よって、例えばこれまでなら初期の約4000年分の年代測定の精度が低かった縄文時代(現代より約3000年前から約1万6000年前まで)の考古学も、より正確な年代目盛りで研究ができるようになったというわけである。

このほかにも、各地で採取した試料の分析が現在も進行中で、今後はこうした広い地域の環境と文明の変動を正確な年代軸に沿って対していく予定だとした。

そして、今回の水月湖で得られた正確な年代目盛りは、災害予測などにも役立つ。

原口准教授が関わっているのが「災害予測などへの応用」であり、東日本大震災の津波の被災地で津波堆積物を用いた研究を行っている。

その結果、過去6000年間に、500〜800年感覚で繰り返し巨大津波が発生していることがわかってきたという。

中には、平安時代に仙台平野を襲った貞観津波の堆積物も見つかっており、この津波を起こした地震は連動型の超巨大地震だった可能性があることもわかってきている。