倉木麻衣
 1999年に発売したシングル「Love, Day After Tomorrow」で鮮烈なデビューを飾り、昨年12月8日から記念すべきデビュー10年目に突入した倉木麻衣。2005年3月の大学卒業後は音楽活動に専念していくとともに、環境問題にも取り組み、音楽を通じて自らの言葉でメッセージを届けている。2007年からはアジアの歌姫としてその活動の場を広げ、2006年末からスタートしたカウントダウンライブも3年連続となり、また新たな一年を迎えた。

第1回「16歳でデビューして、学校との両立の中で」(2009年01月07日)

――2007年には中国、台湾、韓国などアジア各国を訪れてライブを行う機会が増え、つい最近も台湾、香港に行かれていましたが、海外でライブを行うきっかけはあったんですか?

倉木麻衣(以降、倉木):元々デビュー当時に、台湾で自分の音楽を知っているファンの子から手紙が来たんですね。それで「台湾にはファンがいるんだ!」って、ずっと「何かの形で台湾でも活動できたらいいな」という夢をもっていたんですけど、大学とのバランスがあったりして、なかなか行けずにいて。卒業してからは余裕も出てきたので夢を叶えようと、台湾でライブをしたいと思って。そこから、まずファンの人達に会って、自分の気持ちだったり、歌を直接届けることが一番いいのかな?って、一昨年ぐらいからスタートして。去年もファンクラブイベントを台湾でやってきて、来年も再来年も毎年ずっと続けていきたいなって。

――日本と台湾とで何か違いを感じたり、逆に同じだなって感じる部分はありますか?

倉木:もちろん、まず言葉が違うのもそうなんですけど。でも、空港に降りた時に、台湾って日本語をすごく勉強してる方がたくさんいて、日本語で出迎えてくれて。「頑張ってー!」という言葉だったり、何かものすごく熱いものを感じて。もう終始、車で移動する度にみんなが駆けつけてくれるわけですよ。ホテルとか撮影場所とかから、プラカードみたいなのを作って、「Mai-K」って書いたやつとか持って(笑)。「結構、積極的だなぁ」というのが最初の印象で。やっぱりライブも、台湾の人は本当にみんな熱くて、もう最初から日本語で歌ってくれたり、すごく表に出して応援してくれる所が熱い国だなと。

――メロディだけじゃなく、歌詞の内容まで理解してくれているのかもしれませんね。

倉木:そうですね。言葉だけではなく、その想いとか音楽全体的な。私達が洋楽を聴いたりしている様な感覚で、台湾の人も感じ取ってもらえている部分がすごくあって。

――音楽以外で、印象に残っていることはありますか?

倉木:台湾には日本のものが結構入っていたりするんですよね。話を聞くと、習いたい語学のベスト1が日本語みたいなんですよ、英語が結構後の方で。「それは何故なんですか?」って聞いたら、「もう英語は小さい時からみんな当たり前にできるから、英語よりも日本語の方がカッコイイ!」って(笑)。その言葉を聞いて、すごく嬉しかったのと。逆に日本って英語もまだまだ学校でも、ちょっとしか触れなかったりするんですけど、向こうはそれ以上に日本語が、日本の学校とかもあったり。タクシーの運転手さんとかも、ある程度は日本語が通じる方も多いですね。