女性にも男性にも悩みはある

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さまざまな事情により、子供の出産が困難であることを知った女性の多くが、その事実を飲み込めず、苦しみ、打ちひしがれ、絶望感を味わっている。ネットでも、そうした女性たちのものと思われるコメントがよく上がっている。最近では、タレントの藤田ニコル氏が5月に誕生した長女のお宮参りをXに投稿したところ「病気で子供を産めない人の気持ちを考えたことありますか」といったコメントが多数書き込まれ、炎上した。【中川淳一郎(ネットニュース編集者)】

【写真】子供がいない筆者(52)の「ぼくのなつやすみ」的日常風景

肩身が狭い思いを

 無論、この件について、藤田氏に非はないと私は思う。しかしその一方で、そうしたコメントを書き込んだ方が、藤田氏の投稿を見て、心臓をえぐられるような痛みを感じているのもまた、事実なのだ。かくいう筆者も子供がいない52歳男性である。

女性にも男性にも悩みはある

 そうした人々の気持ちに寄り添う記事が、集英社のライスタイルマガジン「LEE」のウェブ版に、7月18日と19日に掲載された。

 トレンドウォッチャーで大人ライフプロデューサーのくどうみやこさんのインタビューだが、子どもがいない女性を応援する「マダネ プロジェクト」を2012年に立ち上げた人物。きっかけは、42歳の時に子宮の病気が発覚し、出産の可能性が絶たれたこと。その後、ママ向けの本はたくさんあるのに、子どもがいない女性向けの本はないことに気付く。

 そこからリサーチを開始し、交流会などを行い、多くの子どもがいない人々の胸中を聞き取ったという。こうした体験やアンケートのデータを基に書籍も執筆する。たとえばくどうさんの著書『誰も教えてくれなかった 子どものいない女性の生き方』(主婦の友社)で紹介された「子どもがいないことで肩身が狭いと感じることはありますか?」という質問の結果は、「ある」が81%、「ない」が6%、「どちらでもない」が13%だったという。

 かくしてくどうさんの活動と、同様の境遇にある人々の存在から救われた女性も数多くいることだろう。

子供のいない男性の苦悩

 その一方で、「子どもがいない男性」の場合はどうだろうか。国立社会保障・人口問題研究所 人口動向研究部の守泉理恵氏が2023年に発表した「日本における無子男性に関する分析」によると、45〜49 歳の男性の無子割合は、1990 年に 12.0%、2010 年に 30.1%、2015年に 33.8%となっている。団塊ジュニア・氷河期世代がアラフィフになっている現在はさらに増えているのではないだろうか。

 前出のくどうさんは、文春オンラインの「女性の『約4割』が生涯子どもを持たなくなる時代…それでも子どものいない女性たちが『肩身が狭い』と感じるワケ」というインタビューにも登場しており、「無子女性」も増えると分析している。なお、OECDの2024年調査では、1975年生まれで子どものいない女性が日本では28.3%で、比較可能な26カ国で最多だった。

 このように、「無子男性」「無子女性」はともに多いわけだが、子どものいない男性の苦悩というものはあまりメディアでは語られない。筆者の知人には苦悩する人はいたものの、それは妻が苦悩する姿を見て自分が苦悩しているといったケースである。何としても子を授かりたい妻が不妊治療に取り組む姿を見て、自身の精子に問題がないのかと疑問に思い、検査を受け、彼女に寄り添ったということである。

親に対する尊敬の念

 では実際のところ、私も含めた周囲の「無子男性」は、子を持つ親、そして自らのこの状態についてどう考えているのか。私の主観で恐縮だが、分析してみたい。

 基本的には、子がいる親に対しては尊敬の念を持っている。子育ての喜びはあるものの、子がいなかった時に当たり前に参加していた飲み会、友人との旅行、突然の釣りなどができなくなるからだ。だからこそ、我々は彼らに敬意を持っているし、お子さんを育てている親御さんに対する感謝の気持ちでいっぱいである。

 しかし、自らに子供がいないことについては、あくまで私の感覚だが、男性は女性と比べて、そこまで悲壮感はないように感じられる。私は第二次ベビーブームの中でもっとも人数が多い約209万人の同級生がいる1973年生まれだが、無子男性の知人・友人は珍しくない。こうした人々は気軽に「今から飲まない?」「今日、オレの家でワールドカップ見ないか?」と誘ってくるし、佐賀県唐津市という遠方に住む私に対し東京の男性が「来週末唐津行くけど会えますか?」なんて言ってくる。

 これに気軽にホイホイ応じることができるわけだが、お子さんがいる人からすればとんでもない話だろう。だが、我々は子どもがいないことに対して、何もショックも負い目もない。あくまでも子育てをする人を、エライな! と思っているだけである。

結局人生、最後はトレードオフ

 なので私は尊敬の念も込め、友人の息子さんが出場する野球の試合は応援に行くし、時にはお小遣いも渡すし、クワガタを欲しがれば喜んで差し上げる。旅行のお土産も、友人のお子さんのことを考えながら買う。ただ、こうした振る舞いを、「その程度で威張るな!」「自分のことだけ考えておけばいい人間に子育てを安易に考えてほしくない!」と子を持つ人は言いたくなるかもしれない。だが、お互い、自分でそのような人生を選んだのであり、そうした私の行いに対して、文句を言われる筋合いはないと私は思う。

 とはいえ、「子育てをする人はエラい」という価値観がある中では、子なしである私が一歩引き、恐縮するのが礼儀であろう。ただ、子を持つということは、絶大なる生きがいが得られることも同時に意味することも付記しておきたい。

 自分の周囲の親・祖父母を見ると、子がいる、孫がいることは、「自分の生きがいができる」という意味で素晴らしい人生の利点なんだなということがよくわかる。親については、「子供が目指す学校に行かせるよう伴走する」「我が子の部活のために役員をする。文句はあるが、我が子の達成感を見て嬉しくなる」といった事例を何度も見てきた。

 祖父母世代にしても、孫の送り迎えをすることが楽しかったり、子育てを終えた娘と一緒に温泉に行くのを楽しみにしているお婆さんもいたりする。こうした人生を彩ってくれるものを我々子ナシの男は持ちづらいのである。日々、刹那的な楽しみはあるが、ふと死ぬ前に「オレの人生、誰かに何か残せたっけ?」みたいな感想をもってしまうのでは、と今は思っている。結局人生、最後はトレードオフの関係になるのだ。であれば、「私は子供がいたから……」と嘆くことも、「私は子供がいなかったから……」と後悔することもないはずだ。

ネットニュース編集者・中川淳一郎

デイリー新潮編集部