2016年9月、神奈川県横浜市にある旧大口病院で、亡くなった数名の患者の体内から異物が検出される殺人事件が起きた。この病院では事件前の3か月間で48人もの患者が死亡。その一部を殺害したとして、2018年7月7日に逮捕された犯人はこの病院に勤める医療関係者だった。この事件について、裁判資料、警察関係者などへの取材に基づいて再現ドラマで紹介した。

事件の1週間ほど前、興津朝江さんは自宅の玄関先で右ひざに怪我をした。傷口の化膿がひどく抗生物質の点滴治療が必要なため、入院することになった。

足以外はいたって元気で猫の世話をするため病院にお願いして一時帰宅。翌日、興津さんは猫に餌をやろうと、医師の許可を取らずに出ようとして警備員に止められていた。

その翌朝、医師からは「この後血液検査をしてみて、結果が良ければ午後には退院しましょう」と告げられ、退院が近づいていた。

ところが、その日、抗生物質の点滴を看護師が行った数分後、腕が痛いと訴え、容体が急変。

医師達の懸命な処置が行われたが、興津さんは帰らぬ人となった。

実は、病院ではそれ以前から不可解な出来事が起こっていた。

興津さんが入院していた4階の病棟は彼女のような軽症患者もいたが、いわゆる終末期の患者を多く受け入れる病棟で、ほとんどが寝たきりで呼吸器や点滴により管理されていた。そんな病棟で、3か月間で亡くなった人の数は48人にも上っていた。そして亡くなる直前、多くの患者に血尿のような症状が出ていた。医師たちもその原因を探っていたがわからず。次第にいつしか「呪われた4階」と噂されるようになっていった。

興津さんの死から2日後。ある男性患者の異常を知らせるアラームが鳴った。看護師が駆けつけた時にはすでに呼吸も心臓も停止、まもなくして亡くなった。

その後、88歳の男性は誤嚥性肺炎を起こして入院。脳梗塞の後遺症もあり点滴投与での栄養摂取を行っていたが、呼びかけに応じることが出来る状態だった。

しかしその男性患者は心拍が弱く危険な状態に。看護師が点滴の落下速度を上げようとした時、点滴袋の中が泡で充満していたのに気づいた。必死に処置を行ったがまもなくして男性は息を引き取った。そして、看護師が目にしたのは赤く染まった尿だった。

先輩看護師に報告すると彼女もこんなに泡立つ点滴は初めて見たといい、すぐに保管されている点滴を全て確認。すると、そこに穴の開いた痕跡を見つけた。さらに未開封のはずのゴム栓のフィルムに破れた跡があり、泡立つ点滴はその全てに穴が空いていた。

警察に通報し、警察はすぐに残された点滴を回収。するとそのうちの6袋からあるものが検出された。

それは消毒液の主成分、界面活性剤である塩化ベンザルコニウムだった。

泡だった点滴を受けていた男性の遺体を解剖。その結果、体内から消毒液の成分を検出。こうして殺人事件として本格的な捜査が開始された。

すると、亡くなった別の男性の遺体からも消毒液の成分が検出された。

警察が病院関係者への聞き込みを開始すると、ある看護師から「一緒に夜勤に入っていた同僚が、タオルに消毒液の容器を包んで持っていたことがあったんです」と証言があった。

その看護師とは、久保木愛弓という看護師だった。興津さんが無断で自宅に帰ろうとした時迎えに行き、男性患者が亡くなった当日、その患者を担当していた。

警察は久保木をマーク。そして警察は全看護師立ち合いのもと病院内のロッカーも調べると、久保木の押収した看護服のポケットから消毒液の成分が検出された。

だが、犯行に使われた消毒液と点滴は病院内では日常的に使われるもので多くの人が手にしている。

報道後この状況で新たな入院患者の受け入れも困難となり、事件から3か月後、病院は入院病棟を閉鎖。すると久保木は別の病院に看護師として勤務していた。

2017年7月、興津さんのお姉さんのもとに神奈川県警から電話が。亡くなる間際に搬送された病院に血清が保管されていたことが判明し、その血清から消毒液の成分が検出されたのだ。

そして2018年6月。警察は再度、任意での事情聴取を要請。

久保木は「点滴に消毒液を入れました」と、ついに犯行を自供した。

以前、久保木はある女性患者の看護を担当していたが、突如容態が急変、亡くなった。その1時間後、患者の息子が状況説明を要求。説明はベテランの看護師が行い、久保木が説明をすることはなかったが、この時非常に強いストレスを感じたという。

それから、決して自分のいる時に死んでほしくないという思いがとんでもない考えにたどり着く。それは「みんな私の勤務時間外に亡くなれば、遺族への対応をしなくて済む」というものだった。

そして、久保木は段ボール箱に入っている点滴袋の中から、興津さんに翌日投与される点滴を探し消毒液を入れた。

取り調べでは、亡くなった男性患者の時だけ直接消毒液を入れたと自供。それは報道されていなかったので犯人以外には知りえない事。この供述が逮捕の決め手となった。

久保木は取り調べで20人程度の犯行を自供していたが、裁判が始まると、「興津さん以前の犯行に関しては言いたくありません」と口をつぐんだ。すでに火葬された患者は血液も残っていないことから立証することはできず、立件されたのは3人に対しての殺人・点滴袋から消毒液が発見された4人に対しての殺人予備とのみなった。

横浜地方裁判所で行われた裁判員制度による裁判では、あまりにも身勝手な犯行としたものの、久保木は自己の犯した犯罪の重大性を痛感し死んで償いたいと述べた。また前科前歴がなく「更生を歩ませるのが相当」と無期懲役が言い渡された。だが、これには検察側も弁護側も控訴。そして今年の6月19日、東京高裁が出した判決は無期懲役。一審で裁判員を含めて慎重な議論が行われ、死刑という判断に至らなかったのであれば死刑を科すことはないとし、無期懲役が確定した。