伝説のトレーダーが心酔する元日銀理事が警告！ 「異次元緩和」の出口には途方もない困難と痛みが待ち受けている
「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」
元モルガン銀行東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、11年にわたって行われた超金融緩和「異次元緩和」はきわめて罪深く、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。史上空前の経済実験と呼ばれる「異次元緩和」のツケを、私たちはどのような形で払うことになるのか？
（※本記事は、『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。）
慣れとは恐ろしいもので、時間をかけてじわじわと進行する症状には、なかなか気づきにくい。
2024年3月、日本銀行はついに�牋杣仝鬼墨足瓩暴�止符を打った。前総裁黒田東彦(くろだはるひこ)氏の就任直後に導入して以来、11年近くもの歳月が流れていた。いま振り返って気づくのは、日本経済が世界に例をみない異形の姿となったことだ。
日銀が保有する国債残高は約590兆円に上り、普通国債の発行残高の56％に達する（24年3月末時点）。中央銀行が政府の資金繰りの面倒をみることは、財政規律を維持するための人類の知恵として、世界的に禁じられてきた。日銀の国債買い入れは、法律上、財政法の禁じる国債引き受けには当たらないとされるが、経済機能の面からはほぼ同等である。市場経済を掲げる国の中央銀行として異例の事態だ。
財政規律の後退も著しい。IMF（国際通貨基金）の世界経済見通し（2024年4月）によれば、政府の財政状態を示す「一般政府の債務残高対GDP比率（2022年実績見込み）」は257％と、世界約190ヵ国・地域中第2位の高さにある。200％を超えるのは、第1位レバノン（283％）と日本の2ヵ国だけだ。これに、100％台後半のスーダン、ギリシャなどが続く。国と通貨に対する信認は先人たちの努力の積み重ねによって築き上げられてきたものだが、このような財政状態を続けていて、いつまで信認を保ち続けることができるだろうか。
外国為替市場では、2024年7月、円・ドル相場が37年半ぶりの1ドル=161円台後半まで下落した。ただし、これはあくまで私たちが日々目にする名目の為替レートの話である。為替レートには、このほかに、「実質実効為替レート」と呼ばれる指標がある。実質実効為替レートは、各国間の貿易ウェイトと物価の変動率格差を調整し、一国の真の国際競争力を表すものとしてBIS（国際決済銀行）が公表している。24年7月の同レートは、1971年8月のニクソンショック時よりもさらに円安の水準、すなわち当時の1ドル＝360円を大きく下回るレベルまで下落した。多くの日本人にとって、未知の世界の円相場だった。
これらすべてが日銀のせいというわけではないが、異次元緩和が果たした役割は大きい。にもかかわらず、日銀や政府からはあまり危機感が聞こえてこない。異次元緩和の総括なしにこれからの金融政策を進めていけば、将来再び物価上昇率が低下した際に同じ道を辿る危険性がある。あるいは、物価目標2％にこだわるあまり、さらなる円安など、インフレ圧力への対処が遅れるリスクも否定できない。
積み上がった国債とETFの行方
黒田日銀が行った異次元緩和は空前かつ異例ずくめだった。日銀は、2013年4月の異次元緩和の開始後、資金供給量を増やすために、前例のない規模の国債買い入れに踏み切った。黒田総裁は「戦力の逐次投入はせず、現時点で必要な政策をすべて講じた」と自信たっぷりに語ったが、その後も物価目標2％はいっこうに実現しなかった。
異次元緩和から3年が経過した16年、日銀は資金量重視から金利重視の方針に舵を切ったが、今度は長期金利をゼロ％程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを続行した。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった（24年3月末時点）。
それだけではない。日銀は、他の先進国の中央銀行が行っていない、満期のないリスク性資産（ETF〈上場投資信託〉など）の買い入れも行ってきた。通貨の信認を守る中央銀行が相場下落の危険がある満期のないリスク性資産を購入することは、長く禁じ手とされてきた。
この政策は、黒田総裁の前任である白川方(しらかわまさ)明(あき)総裁時代の日銀が、リーマンショック後の経済停滞を踏まえ、苦渋の選択として導入したものだった。その際は、中央銀行にとって異例の措置であることを強く意識し、限られた規模の購入にとどめていた。その慎重さを黒田日銀はほぼ全否定する形で、積極的な買い入れ姿勢に転じた。24年3月末時点での日銀の日本株式保有額（ETF）は約74兆円（時価）と、世界最大級の機関投資家であるGPIF（年金積立金管理運用独立行政法人）の約62兆円を凌駕するに至っている。
異次元緩和を終え、金融正常化を進める過程では、国債やETFなどの巨額買い入れを停止し、積み上がった国債やリスク性資産を減らしていくのが基本となる。しかし言うは易く、行うは難し。
日銀が、保有国債を中途売却すれば、債券価格が急落し、金利が急上昇するおそれがある。市場の混乱を避けるには、必然的に、満期まで待って保有国債の残高を落としていかざるを得ない。しかし、日銀は、償還期間の長い長期国債を大量に買い込んできた。10年後の2034年4月から40年後の64年3月までに償還を迎える長期国債が約97兆円もある（24年3月末時点）。期落ちを待ったとして、平時に戻るまでには長期の時間を要する。
一方、ETFは満期がないため、日銀が売却しない限り減ることはない。24年7月、日経平均株価は史上最高値を更新し、ETFは日銀に多額の含み益や配当金をもたらす資産となった。しかし、株式市場が急落するような局面では、財務を傷める危険がある。かといって、ETFを市場で売却すれば、株価下落の引き金となりかねない。市場にほとんど影響しない程度の規模で売却を進めようとすれば、完了に何十年もかかる。だからこそ、世界の中央銀行はリスク性資産の購入を基本的に避けてきた。日銀にとって、今後ETFをどのようにして減らしていくかは、極めて悩ましい問題である。
当然ながら、財政も大きな問題を抱える。13年度から22年度までの10年間の新規国債発行額（GX経済移行債、年金特例債、復興債を含む）は、合計約480兆円にのぼった。この間、日銀の保有国債残高は約456兆円増加した。新規国債発行額の実に95％に相当する。つまり、日本銀行は、10年間に積み上がった巨額の財政赤字を、ほぼ丸ごと吞み込んだ形になる。
新規国債の9割以上を購入してきた日銀が国債市場から退出する際には、その穴埋めを誰かが行わなければならない。想定される買い手は、国内の金融機関や海外の機関投資家だ。満期到来国債の見合いに発行される借換(かりかえ)債だけであればまだしも、今後の財政赤字を賄うために発行される新発債を含めれば、十分な買い手を見つけるのは必ずしも容易でない。日銀不在の国債市場では、これまでのような超低金利での国債発行は不可能だ。必然的に国債の発行金利はリスクに見合う形で上昇し、国の利払い費は増加することになる。そうなれば、国もこれまでのような財政の大盤振る舞いはできなくなるだろう。
それでも、財政支出の拡大への期待は、何かにつけ高まる。過去にも、自然災害や感染症の拡大などがあった。そうなれば、国債買い入れを再び日銀に求める圧力が高まるに違いない。将来のインフレの芽を膨らませないためには、日銀は毅然と立ち向かわなければならないが、異次元緩和で財政赤字をほぼ丸吞みしてきた日銀に、対峙するだけの力が残っているだろうか。だからこそ、世界各国は中央銀行による財政ファイナンスを禁止するとともに、中央銀行の独立性を尊重する制度を設け、政府と中央銀行の間の一線を画すよう努めてきた。異次元緩和はこの一線を危うくするものだった。財政ひとつをとってみても、異次元緩和の出口には隘路(あいろ)が待ち構えている。
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