「落ちてるタバコを拾って吸う」生活から抜け出せた理由…「無職」の期間をどう過ごせばよいのか

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“キャリアブレイク”とは

“キャリアブレイク”という言葉をご存じだろうか。誰にでも起こり得る離職や休職という場面。キャリアブレイクとは「一時的に雇用から離れる離職、休職など、キャリアの中にあるブレイク期間のこと」である。欧州やアメリカでは一般的な文化だが、今の日本での認知はまだこれからといったところだ。

会社を辞めるなんてできない、現実的ではないし想像できない、仕事がないなんて生きていけないし、そんな状況は怖い。キャリアブレイクという言葉から連想されるのは、やはり前向きではない印象が強い。これは当然の反応である。キャリアブレイクの実体が分からなかったり、まわりに経験した人がいないため、話を聞く機会がないことも多い。

一時的に職を離れる目的は人それぞれであり、旅、留学、自主的な挑戦、勉強や休養、療養、出産、子育て、家族のケア、など多岐にわたる。「無職」という肩書きに対して、ネガティブな感情を抱く人は少なくない。悪いことをしているわけでは全くないのにも関わらず、どこにも属していないことへの居心地の悪さや肩身の狭さを感じてしまうことがあるようだ。

ポジティブに捉えられるまでにはまだまだ距離があるが、少しずつキャリアブレイクの概念が広がり始めていると感じている。それは、キャリアブレイク経験者から話を聞く中で、「今の選択に納得している」「実は周りにもキャリアブレイクをしている人がいることを知ることで、自分だけではないとわかった」など、意識の変化を耳にするからだ。

この変化はどうして起こったのか、キャリアブレイクをよい転機にできたのは、その期間の過ごし方にヒントがあるのではないか。

人生に一時的なブレイクを取り入れる「キャリアブレイク」という考え方を研究し、発信しているのが、一般社団法人キャリアブレイク研究所である。

今回、キャリアブレイク研究所で行ったアンケート調査から、そのヒントが見えてきた。

アンケート調査をやってみる

キャリアブレイク研究所は、2024年7月、キャリアブレイク中にして良かったことについて100人に調査を実施することにした。キャリアブレイク中に、自分以外の人は一体何をして過ごしているのだろう。人それぞれだからこそ、自分はどう過ごしたらいいのか正解を探し、悩む人が多いのかも知れない。みんなが知りたいと思っている問いについて投げてみることにした。

同調査の対象者は離職や休職を経験した人たち。103人から293の回答が集まった。

「キャリアブレイクはよい転機になりましたか?」の問いに対して、10=よい転機になった、として、1から10の10段階で回答してもらったところ、「10」が63人、「9」が7人、「8」が19人となった。この結果から今回調査の母集団は、キャリアブレイクを比較的よい転機になったと考えているグループだといえる。

続けて、「キャリアブレイク中にやっていたこと(よかったこと)」を3つ挙げてもらい、合わせて理由も回答、集まった293個の回答を整理する中で、「自分を整える」「自分を深める」「自分を広げる」「自分を繋げる」の4つに分類した。

「自分を整える」83のことの中には、普段はできない「なにもしない」をあえて行い、その結果知らない自分に気づくことができた、心身休めていなかったので基本的な生活を送るところからスタートするために「よく寝てよく食べる」など身体的健康を考える時間になった人も多く見られた。また、「大切な人、家族と過ごす時間を作った」という意見も挙がっている。

「自分を深める」80のこと、「自分を広げる」90のことの中には、「旅」というキーワードが多く見られた。会いたい人に会いに行く旅をする、日常や自宅から離れた場所へ身を置く、などである。その結果、肩書きの関係ない知り合いが増え視野が広がったとの意見が見られた。

「自分を繋げる」40のことの中には、YouTube制作や小説を書くなどの創作活動によって自由を感じたり、ボランティアや地域コミュニティへの参加により、所属していた会社が全てだと思いこんでいたが、自分の知らない世界があるのだと世界が広がったという意見もあった。

集まった意見の中から、2人の事例を紹介する。

「落ちてるタバコを拾って吸うような生活」

1人目は、20代男性のSさん(仮名)。離職後1年未満のキャリアブレイク期間を経て異なる会社へ転職をした。彼はキャリアブレイクの期間中、「堕ちるところまで堕ちた」感覚を覚えたという。「色々酷かったですけど、落ちてるタバコを拾って吸うような生活」だった。

また、「人に甘えること=負けを認めることだと思っていた。人に頼らず何事もひとりで切り開いていかなければならないと思い込んでいた」Sさん。

しかし、キャリアブレイクを経て結果的に気負いが剥がれ、虚勢が張れなくなったために、そうした思い込みはなくなった。その理由の一つとして、「人に会いに行く(飲みに行く)」ことがあった。「交友関係が狭く、社会との接点がほぼ切れてしまった中で、幅広い立場の人とフラットに出会える場はよかった」という。

キャリアブレイク研究所の活動の一つに「無職酒場」がある。有職の人がお金を支払い、無職の人は無料で飲食ができる場を提供する活動だ。肩書きを聞くことも聞かれることもなく、幅広い立場の人とフラットに出会える。そんな無職酒場という場所では、キャリアブレイク中であることが否定されず、むしろそこから生まれる会話があることを実際に体験し、自分のことを自ら語りたくなるような機会になっているのではと感じている。

2000人フォロワーのいたアカウントを消した

2人目は、同じく20代男性のMさん(仮名)。

休職を経て退職、1年半ほどのキャリアブレイク期間を経験し、その後フリーランス(起業)で独立をした。

Mさんは、「ネガティブなもの、見たくないものが入ってくるSNSがいやで、2000人フォロワーがいたアカウントを消した」ことがよかったという。これまでのつながりが消えてしまう恐怖はあったものの、むしろ「大切な友人とのコミュニケーションに絞る」ことができた。その中で、同じくキャリアブレイクをしている仲間と出会うこともできたのだという。

SNSという存在は、想像以上に繋がりを離してくれない。退職して会社から離れ、引っ越して生活の場を変え、それでも携帯ひとつで離れたはずの場に引き戻される、そんな話を耳にする。SNSのアカウントを消し、その繋がりからも離れる行動はとても勇気が必要で、今まで積み上げてきた繋がりがわかりやすく見えてしまうからこそ躊躇してしまうようだ。それでもMさんのように離れることに一歩踏み出したことで感じる思いや、新しい繋がりが生まれることもある。

SNSの繋がりを残すことで社会との繋がりを感じておきたいという意見もある。自分と同じ無職の仲間を探したい、近しい境遇の人との出会いが欲しいなど、SNSが新しい繋がりのきっかけになることもあるという。正解はひとつではなく、自分の思う「離れる」と「繋がる」の手段としてSNSがあると良いのではと考えている。

結局のところ、キャリアブレイク中は何をしたらいいのか、正解があるわけではないことが見えてくる。人それぞれのキャリアブレイクのきっかけがあり、人それぞれの意識の変化の過程があるからである。アンケートを踏まえて、キャリアブレイク研究所の運営する無職のための月刊紙『月刊無職』のライターを務める無職ライターたちが、語ってくれたことがある。「ひとりではないことを知ることだけでも心が軽くなって、自分にも未来があることをイメージするきっかけになる。小さなことから動いてみるといいのではないか。」

整える、深める、広げる、繋げるの過程の中で、キャリアブレイクをよい転機にしようと自主的に動く人の姿からも、ただ何をしたかということよりも自分で決めたということこそが大切なのではないか。

正解はないことを受け入れて進む

どうしてキャリアブレイクの活動をしているんですかと聞かれる時、私はいつも「どうしてだろうね」と答える。例えばそれは、いい社会を作りたいという社会的意義や、ミッション、使命感。よい転機が増えたら社会はどうなっていくだろうというワクワク感かもしれない。私自身、キャリアブレイクを経験したわけではない。

いや、経験したという意識はないけれど、振り返ると産休育休でキャリアをストップしたあの頃は今で言うキャリアブレイクだった気がしている。私のそれは決してユニークではなく、繋がりをもつ手段もわからず、一人途方に暮れながら、自分を自分なりに納得させていた。あの機会をよい転機にしたいと思えていたらと振り返る。

何度も書くこととして、キャリアブレイクを推奨したいわけではないし、正しい方法が明確にあるわけではない。もちろん、無理に何かを始めさせたいわけでもない。あくまでもひとつの選択肢である。だからこそキャリアブレイク研究所としてはこうした方がいいというアドバイスをすることはしていない。誰もが起こり得るキャリアブレイクという機会が巡ってきたとき、感性を回復し、また自分を取り戻す機会にする方法は意外と多いのかもしれない。

以下のURLより、レポートをダウンロードできます。レポートには、リリース内の資料に加えて、一人ひとりの「やってよかったこと」「その理由」が一覧にしてご覧いただけます。

https://drive.google.com/file/d/19Rze7y3JtLWKpbiNSxUYd844lN8KenOn/view?usp=drive_link

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