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近年の物価高や不景気の影響で、「周囲の人に優しくできる<精神的なゆとり>をなかなか持てない」という方もいるのではないでしょうか。そのようななか、精神科医の和田秀樹先生は「こんな時代だからこそ、『優しさとは何か?』を改めて見つめ直す必要がある」と指摘しています。そこで今回は、和田先生の著書『なぜか人生がうまくいく「優しい人」の科学』から、毎日を前向きに過ごすためのヒントを一部ご紹介します。

【書影】精神科医が教える、毎日を明るく前向きに過ごすための考え方。和田秀樹『なぜか人生がうまくいく「優しい人」の科学』

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人に優しくすることは、見返りを求めなければ「気分がいい」ものです

人に親切にして、「どうして感謝の気持ちを示さないんだ」とか、「あの人はなぜ、ありがとうのひと言が言えないんだろう」と腹を立てることは、自分が勝手に見返りを期待して、勝手に裏切られているだけのことですから、相手の反応にすべてを委ねていたのでは、余計なストレスを抱え込むことになります。

こうした「独りよがり」を回避して、自分の感情を安定させるためには、視点を変えて考えてみることが大切です。

人に優しくすることは、本来は気分のいいものです。

年配の方に席を譲って、相手に感謝されなかったり、「ありがとう」の言葉がなかったとしても、「少しだけ人の役に立てたな」とか、「ちょっとだけ、いいことをしたな」など、気分の良さを素直に享受すればいいのです。                                                                                                      

大事なポイントは、一人で勝手に自己満足するだけで、すべてを終わらせてしまうことです。

相手からの見返りを期待してしまうから、損をした気分になるのです。

人に奢る理由

「見返りを期待しない」→「自分の気分が良くなればいい」というのは、人に食事やお酒をご馳走するときの気分と似ているかもしれません。

私はどちらかというと、人に「奢(おご)る」のが好きなタイプですが、なぜ人に奢るのかというと、その方が気分がいいからです。

学生時代の同級生と食事をすることになったとします。

こっちの仕事が上手くいっていて、相手が経済的に苦しい状況にありそうなら、「ここは俺が出すから」という話になります。

それは同級生に対する同情や優越感ではなく、あえて名目をつけるならば「気分代」のようなものです。

相手の懐事情を忖度するというより、その方が自分の気分がいいから、こちらが支払うだけの話です。

一切の見返りを求めない替わりに、勝手に自己満足しているのです。

気分の良さだけで満足する

人に優しくするときには、その気分の良さだけで満足することが大切です。

それだけで「チャラ」と思わないと、どんなに相手のことを思って行動しても、お互いが気まずい思いをします。


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「奢ってあげたのだから、せめてこのくらいはやってほしい」と見返りを期待してしまうと、その通りにならないだけで気分がムカッとします。

こちらが気分を害していると相手が感じると、「誰もやってくれとは頼んでいない」とか、「自分がいい人だと思いたいのか?」と考え始める人もいます。

見返りを求めると、相手に「恩着せがましい人」と思われてしまうのです。

損得勘定で考えない

人に優しくすることを、損得勘定で考えてしまうと、見返りを期待する気持ちが芽生えます。

見返りを求めていると、相手がその期待に応えてくれなかっただけで、相手を恨んだり、敬遠するようになって、気まずい関係になります。

自分の気持ちがいいのだから、「それだけで十分」と考えることができれば、人は自然と優しくなれるものです。

※本稿は、『なぜか人生がうまくいく「優しい人」の科学』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。