同期の2人(左=中山功太(本人のXより))

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 キングコング・西野亮廣(43)とのバトルで注目を集めたR-1王者(2009年)のお笑い芸人・中山功太(44)。実は「怪談の名手」として知られ、その人生も破天荒そのもの。SNS上の“口喧嘩”よりずっとオモシロい芸人・中山功太の素顔を紹介する。

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 コトの発端は7月3日深夜のラジオ番組で、中山が「(西野は)矛盾している。物欲とかが何もないって言ってるのに、クラウドファンディングで結局、お金を集めているわけやんか」と発言したことだった。

 これを受けて、西野が「本気で言っているのなら、絶望的に頭が悪い」と自身のXに投稿。クラウドファンディングは西野原作「えんとつ町のプぺル」のミュージカル上映を実現するためのもので、西野は「『活動費の捻出』と『個人の物欲』の区別がまるでついていない」と中山を批判した。

同期の2人(左=中山功太(本人のXより))

「西野さんのポストに対し、中山さんは『「本気じゃないからって許される発言ではない(中略)ごめんなさい」と素直に謝罪。すると西野も『今度は面白い話題で絡みたいです。宜しくです!』と自身のXで手打ちを呼びかけました。これで一件落着かと思われた矢先、“ホリエモン”こと実業家の堀江貴文氏が『中山ってやつ、初めて知ったけどクソ頭悪いね』と遅れて参戦し、中山さんが『カスは黙っとけよ』と激怒。一時は場外乱闘に発展する不穏な空気も漂いました」(スポーツ紙デスク)

 堀江氏が“知らない”と言い放った中山だが、お笑い界では「怪談芸人」や「型破りな半生を送る男」として知られた存在という。

4階建て・27LDKKKの大豪邸

 中山はR-1グランプリのほか、“怖い話のナンバー1”を決める「第2回OKOWAチャンピオンシップ」での優勝経験も持つが、

「高校時代に稲川淳二氏の本を読んで以来、中山さんは稲川氏の怪談にどっぷりとハマり込んだといいます。実際、中山さんは芸人としての活動以外に、怪談関連のイベントやYouTube番組にゲストとして招かれる機会も多く、実体験を含めた心霊エピソードを滔々と描写するその語り口は、本職の怪談師からもリスペクトを集めています」(お笑いライター)

 中山は大阪市出身。祖父が立ち上げた会社が父親の代でさらに成長し、「実家が大金持ち」だったことで有名という。当時の暮らしぶりを、中山は雑誌「PRESIDENT」(19年10月18日号)でこう回想している。

「生まれた家はとても裕福でした。(中略)ボクが5歳のころ、父親が建てた家は4階建て、間取りは27LDKKKの大豪邸です。ピンポンが鳴っても、外に出るまで2〜3分はかかります。(中略)欲しいものは何でも買ってもらえましたし、小さいころから1万円のお小遣いをもらっていました」

 しかし中学3年生の時に父の会社が倒産。以降、中山の人生は一変する――。

家賃4万9000円

 中山は高校を卒業すると吉本興業のお笑い養成所「NSC」に入り、デビュー後は大阪で順調に仕事を増やしていたという。

「しかしR-1王者となった翌10年、東京へ進出するも仕事がない日が続くことに。14年には電気・ガス・水道が止まり、食べる物もなくなって空腹に耐えるため、“お腹を叩いて寝た”こともあったそうです。東京に出てきた当初は家賃20万円のタワマンに住んでましたが、住居のグレードは下がっていき、長く家賃4万9000円・居室部3畳の部屋に暮らしていたといいます。当時は知人などからの借金も400万円近くあったそうで、幼少時とは“真逆”の生活を送るようになったとも。また成人後にADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けたこともカミングアウトしています」(前出・お笑いライター)

 そんな生活を送りながらも、中山はWEBメディアの取材に“本気で芸人を辞めたいと思ったことは一度もない”と答えている。

「中山さんは常々、“どんなに貧乏でも、好きなお笑いができている今は幸せだ”と公言しており、そういった悲壮感を漂わせないところが芸人仲間から愛されている理由の一つと聞きます。そんな中山さんが今後、もし売れることがあれば、ジェットコースターのような人生が映画のように完結する」(同)

「貧乏」でも「頭が悪く」ても、オモシロさとは無関係だと証明できるか。

デイリー新潮編集部