約12畳のワンルームマンションで、好きなものに囲まれて小さく暮らしています(筆者撮影)

ロスジェネ世代で職歴ほぼなし。29歳で交通事故にあい、晩婚した夫はスキルス性胃がん(ステージ4)で闘病中。でも、私の人生はこんなにも楽しい。なぜなら、小さく暮らすコツを知っているから。

先が見えない時代でも、毎日を機嫌よく、好きなものにだけ囲まれたコンパクトライフを送る筆者の徒然日記。

東京都港区在住です。


「チェーン店最強のモーニングを探して」の大木奈ハル子さんの短期集中連載です。連載一覧はこちら

と言うと聞こえは良いですが、実際は高層ビルの谷間にひっそりとたたずむ、築50年超えのオンボロワンルームマンションに、夫婦2人で肩を寄せ合いながら質素に暮らしています。

今でこそ東洋経済オンラインをはじめ、いくつかのメディアで執筆をさせていただき、偉そうに「ライター」なんて名乗っているワタクシですが、1年ほど前まで、夫に養われるぐうたら主婦でした。

忘れもしません。きっかけは、2022年1月に、夫がスキルス胃がん(ステージ4)と診断されたことでしたーー。

ある日突然、ステージ4のスキルス胃がんと告知された夫

ことのはじまりは、2021年の年の瀬。テレビを見ていると大きな音がしたので振り返ると、夫が倒れていました。

慌てて駆け寄り、名前を何度も呼ぶと数分で意識が戻ったものの、何度救急車を呼ぼうと提案しても夫はかたくなに首を縦に振りません。それどころか、失神していた間の記憶がないため「何を大袈裟な……」と、少し私を小馬鹿にするような態度を見せるのです。

気が気ではない私を尻目に、

「気を失う瞬間って、フワッとしてけっこう気持ち良いもんだよ」

などと呑気に体験談を聞かせてくる始末です。

そんな夫の態度もあり、結局その日は救急車は呼ばず、翌日病院へ。精密検査の結果で胃がんと診断され、2回の開腹手術を経て胃を全摘出しました。この時点で腹膜への転移があり、ステージ4のスキルス胃がんだと告知されましたが、本当に大変なのはその後でした。

手術後に投与していた抗がん剤は副作用が強く、たびたび昏倒し、吐き気で食べられない、眠れない日が続きました。そして、秋には肝臓への転移も見つかり、主治医から、

「早ければ年内、来年の桜は見られないかもしれません」

との余命宣告を受けてしまったのです。

幸いにも進行は止まるが、完治は見込めず…

その後、抗がん剤を変更したところ効果があり、現在はがんの進行を抑えられている状態です。とはいえ、もう完治することはない、手術もできないと言われており、今年の春にはポート(抗がん剤を投与するための管)から感染症になり敗血症になりかけたりと、なんだか常に心が折れそうな状況ではあるのです。

今でも、抗がん剤の副作用でだるさがでるため、週の半分ほどは寝て過ごしています。


週に1度の抗がん剤治療の翌日から数日間は、倦怠感が強いようで日中もほぼ寝ています。病気の判明は、夫婦の役割分担が変化するきっかけとなりました。横にいるのは添い寝する犬と猫(筆者撮影)

と、ここまでの話だと「さぞ暗く暮らしているんだろう」と思われるかもしれませんが、夫は毎日機嫌よく暮らしています。そして、私もそんな夫を見ながら、毎日機嫌よく暮らしています。


骨が弱っているので、万が一の転倒に備えて、長袖&革手袋で自転車に乗ります(筆者撮影)

抗がん剤の副作用は長く使うほど強くなり、がんの進行を遅らせることはできても治るわけではありません。だんだんできることは減っていきます。夫は抗がん剤投与をはじめてから半年ほどたった頃、手足の痺れが増し、大好きな車とバイクの運転をあきらめる決断をしました。

私はもっと落胆するかと思っていたのですが、本人は意外にもさっぱりしたもので、シェアサイクルのサブスクに登録して自転車で出かけるようになりました。

ただ、おじさんが1人で出かける先ってなかなかないんですよね。東京タワーや銀座、六本木なども、ひととおりめぐり、自転車で行ける範囲は行き尽くし、図書館にも通ってみたものの、家に居場所のないおじいさんの溜まり場みたいになっているらしく、新参者としては居心地はいまいちだったよう。

そんな夫を見ていた結果、出かける理由が欲しそうな時は冷蔵庫をチェックして、「たまごが切れたから買ってきて」とか「マヨネーズの残りが少ないから買ってきて」とか、おつかいをちょこちょこ頼むようにしていたのですが、

「いっそのこと、冷蔵庫の在庫管理も含めて、買い物全般お願いできひんやろか?」

と、考えました。

提案してみたところ、夫は即快諾。こうして「夫:会社員(大黒柱)妻:専業主婦(少しだけ働く)」から「夫:買い出し係 妻:大黒柱(ライター1年目)」へと、夫婦の役割がなんとも大胆な変化を遂げることになったのです。

冷蔵庫に常備しておいてほしいものは、あらかじめキッチンの黒板ボードに書いておけば、私は一切関わることなく、夫1人で買い出しを完結できます。ふたりの間で「買い出しチャレンジ」と命名。自転車での買い出しが、ワクワクするミッションに早変わりしました。


吊り棚の扉に黒板シートを貼り、「スタメン」と名付けて常備食材を書き出しました(筆者撮影)

当時の私は、フリーランスとしてライター活動を始めたばかりでした。夫の発病前から文章は書いていたのですが、あくまで扶養の範囲内で趣味程度という感じだったのが、急に稼ぎ頭として家計を支えることになり、締切に追われててんてこまいだったのです。

「東洋経済オンライン」では「チェーン店最強のモーニングを探して」という毎週更新の連載をしているのですが、毎週取材先を探し、半日かけて取材して、まる1日かけて記事を書くというルーティンを繰り返し、その合間にいくつかの媒体でも執筆。

しかも、今は手が回らず休止していますが「どうしても私たちの生活を動画で残しておきたい」という気持ちもあり、YouTubeチャンネルにまで手を出しました。

つまり脳内は常に締切でパンパンで、買い出しと献立決めに費やすリソースが足りない状況が続いていたのです。

そんななか、夫が買い出し担当を請け負ってくれたことで、時間的にも精神的にも大助かりです。また、夫が何を買ってきたのかを確認するのが、夫婦の毎日の楽しみになり、会話のきっかけにもなったのでした。

夫が食材を買って冷蔵庫に片付ける。私は冷蔵庫にある食材で料理をする、夫が残った食材をチェックして買い出しに行く、というルーティンは、夫の生活にハリをもたらし、私の生活にゆとりをもたらしました。

妻が「とにかく褒める」ことで夫に起きた「変化」

「買い出しチャレンジ」にあたり、最初に心に決めていたのは、「何があってもとにかく褒める」ということでした。私の代わりに買い物に行ってくれる心優しき夫を、しょんぼりさせるようなことがあってはなりません。

夫は買い出し初日に、100g98円の特売品の豚肉のジャンボパックを、なぜか2パック買ってきました。2人暮らしなのに、2パック。どうやら出かける前に「いくらぐらい買ってきたらいいの?」と聞かれたので「3000円分ぐらい」と答えたため、3000円になるように調整したらこうなったようでした。


初買い出しチャレンジで買ってきたのがこちら(筆者撮影)

内心は2パックも買うのはちょっとなぁと思いましたが、とりあえず褒めます。

「初めてとは思えないほど買い物上手やん。豚肉が1g1円を切ってるのはお得なんやで。豚肉は鶏肉と違って日持ちするから沢山買っても問題ないねん」

すると買い出しに行くたびに、豚肉のジャンボパックばかりを買ってくるようになりました。あまりにも連続で買ってくるので、なぜ豚肉ばかりを買うのか聞いてみたところ、

「だって、牛肉は1g1円以上したし、鶏肉は豚肉と違って日持ちしないから」

と言うのです。彼は私の言葉を全部覚えていてくれて、牛肉は高いから買えない、鶏肉は日持ちしないから買えないと思いこみ、豚肉ばかりを買って帰ってきていたのでした。還暦のフォレスト・ガンプがここにいました。こんなかわいい人を、愛さずにいられるでしょうか? 

バブル世代の夫、「おつとめ品大好きおじさん」に進化

本連載の初回でお話ししましたが、以前はお金にだらしなく、金遣いが派手なタイプだった夫。

マンションや車、オーディオやカメラなど高額なものを後先考えず買うので、結婚した時の貯金はゼロ(借金は1000万円)。思わず「バブルの残り香」と揶揄するほどでしたが、「夫婦は合わせ鏡」という言葉さながら、ケチで倹約家な嫁(私のことです)に強い影響を受け、いつの間にか「おつとめ品大好きおじさん」に変貌していたようです。

割引シールが貼ってあるものを見つけるととにかく買わないと気が済まないようで、半額シールが貼ってあれば「豆腐」「卵豆腐」「厚揚げ」という、似通ったものでも買って帰ってきます。


ある日の買い出しチャレンジ。みごとに割引シールだらけ。夫の「おつとめ品大好きおじさん」っぷりがよくわかる写真です(筆者撮影)

こんなに手堅い買い物をしてくるとは、全くもって予想外。「1カ月2万円ぐらいで」と軽い気持ちで伝えた予算を、しっかりと守れる買い物上手だったのは嬉しい誤算です。

いい感じに生活のハリになっているようで、1日1回は冷蔵庫をチェックして「バナナはあるから大丈夫。牛乳はそろそろ買っておこうかな」とか「何か食べたいものある?」とか、買い物番長として立派に冷蔵庫まわりを取り仕切ってくれています。

リハビリを遊びにする工夫

「夫が病気になって、お世話が大変なのでは?」

最初のうちはそんな不安もあったのですが、今のところは発病前よりも家事の負担が減っています。

「買い出しチャレンジ」はそれからさらに「お料理チャレンジ」にまで進化し、買ってきたもので簡単な料理もしてくれるようになりました。指先の感覚がにぶいので包丁は使えませんが、3食入りのむしそばと、ソーセージ、カット野菜を買ってきて、フライパンで炒めて焼きそばをつくり、私に振る舞ってくれるようになりました。


朝にはコーヒーを淹れてくれることも(筆者撮影)

その後、左手の小指を骨折したり、爪がはがれたり、猛暑に見舞われたりと、自転車に乗るには厳しい状況になったため、しばらく「買い出しチャレンジ」を休止していたのですが、9月から再開。現在は味覚障害が強く出ているので、買い置きはなるべくせず「今日食べられそうなものを今日買う」というコンセプトで買い物をしてもらっています。

同じマンションのマダムに近所のスーパーの割引シールが貼られる時間を教えてもらってからは、その時間を目がけて出かけていき、半額のお惣菜やお弁当を買って、ニコニコ顔で帰ってきます。

こうやって「一生夫の扶養でラクしたい」と思っていたぐうたらな私は、夫の病気がきっかけで大黒柱として文筆業をはじめることに。夫も、おかげさまで病状が安定し、現在は週に数日ですがテレワークで働けるようになりました。

絵に描いたような幸せな家庭とは言い難い状況ではありますが、それでも日常には幸せがちりばめられています。SNSで自慢できるような、大げさな幸せではないかもしれないけど、私たちらしく、小さく生きることを心がけてきたからこそ、今ここにある幸せ。何気ない日々を上機嫌で過ごせる尊さが身に沁みる、そんな日々を過ごしています。

(編集部より)本連載は隔週連載です。下のボタンから読者登録をすると、更新時に通知が来るのでご利用ください。大木奈さんのもうひとつの連載「チェーン店最強のモーニングを探して」も好評更新中です(こちらは毎週)。

(大木奈 ハル子 : ブロガー・ライター)