誤解されがちな「性悪説」の本当の意味を解説します(写真:あやちゃん/PIXTA)

なぜ「無敵の人」が増え続けるのか、保守と革新は争うのか。このたび上梓された『武器としての「中国思想」』では、私たちの日常で起こっている出来事や、現代社会のホットな話題を切り口に、わかりやすく中国思想を解説している。本稿では、同書の著者である大場一央氏が、誤解されがちな「性悪説」の本当の意味を解説する。

性悪説は「人を疑ってかかれ」ではない

中国思想の講義を担当していると、たまに学生から面白い話が聞ける。その一つとして出てきたのが、某テレビ番組における「性善説vs.性悪説」という企画である。


筆者は直接視聴していた訳ではないのだが、要するに人間を信用してかかるか、疑ってかかるかという議論をしていたらしい。番組の内容はともかく、そうした性善説や性悪説の(意図的な?)誤解はたまに耳にするから、一定数そうした理解が定着しているのだろう。

確かに、人間は人づきあいをし、組織に所属する中で、少なからず喜びや失望を感じる。そんなとき、「人間」という大きな主語で、信用できるかできないかを考えることはよくある。そこにそれらしく性善説と性悪説と名づけることで、何となく証明された気持ちになる。

とはいえ、それはあくまでも個人的な喜びや失望を、理屈で正当化しているだけで、あまり意味がない。みんなを信用してかかれば痛い目に遭うし、みんなを疑ってかかれば社会生活を送れない。そんなことは自明であり、どちらも間違いだからだ。

では、本当の性善説と性悪説はどんな議論なのか。性善説については以前解説した。そこで、性悪説の意味を簡単に紹介してみたい。

性悪説をはじめに提唱したのは荀子(生没年未詳)である。

性とは「生まれつき」という意味で、荀子は、人間の心には生まれつき善と悪があるとした。これはちょうど、心を○で表して真ん中に縦線を引き、左右を善悪で分けるイメージである。そのうえで、悪の部分を強調すると、「性悪説」になる。

これは善の部分を強調して性善説を説いた孟子(前372?〜前289?)と同じ心の理解である。つまり、孟子と荀子、性善説と性悪説はどちらも同じ心のイメージを持っており、善と悪、どちらに注目すべきかで対立したのである。

荀子のいう善悪とは、社会性の有無で説明できる。すなわち、人間は生まれつき社会的な言動をとる心(善)があるものの、一方で身体的な快楽や利益の独占をもとめて人々と争う心(悪)がある。

性善は放っておいても問題ないが、性悪は矯正しなければ社会を壊す。よって性悪を強調して矯正を図るのである。

人間は社会教育を受けないとまともにならない

孟子の場合は、善なる心を拡充することを説いた。善を拡充すれば悪はその領域をせばめていく。

これに対し荀子は、社会におけるルール(礼)づくりを徹底した。荀子のいうルールとは、国家の制度や法令、規範から、生活における調度品や服装、所作までを含む。

「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがあるが、これはもともと、藍を加工することで青色がさらに際立つことから、人間も人為的なルールによって教育されることで良くなるという、荀子の言葉である。

このように、人為的なルールづくりによって人々を誘導し、社会教育を施すことで、荀子は悪を矯正しようとしたのであった。これはちょうど、法令や政令、ガバナンスやコンプライアンスを整備し、それに従わせることによって、一人ひとりの内面を変えていく、教育効果を狙っていく考え方と同じである。

荀子は、「君主は舟で人民は水である。水は舟を載せるし覆しもする」と言ったように、ルールにのっとって動く、一人ひとりの人間の意欲と力を重視した。

したがって、ちょうど治水事業によって河川を穏やかにし、農業や水運に使うように、君主はルールによる社会教育で、それぞれ異なった快楽や利益をもとめる人間を、一つにまとめていかねばならないのである。

ルールの前に恩賞を

だが、人間が快楽と利益を求める限り、彼らが進んで一つの方向を向くには、ルールだけでは足りず、恩賞を与えることで、ルールに従うことが快楽や利益につながると思わせねばならない。

全ての人々に行き渡る最大の恩賞とは、恒久的な収入上昇である。最低限の生活に不足がなく、ちょっとした贅沢ができるような収入を保証し続ければ、大多数の人々は喜んでルールに従おうとする。

荀子は当時の生活必需品と贅沢品を列挙し、それがみなに行き渡る方法について、執拗なほど詳細に述べているが、それは人々の意欲を引き出し、その力をまとめあげるために、極めて重要だったからである。

つまり、ルールと恩賞がかみあって、はじめて人々の力にベクトルが発生し、社会が回り出す。これが本当の性悪説である。

これをビジネスや政治にあてはめると、ガバナンスやコンプライアンス、法令や政令を整備するのはもちろん大事な仕事である。しかし、それに比例して、末端の社員や大多数の中間層に、手厚い福利厚生や賃金上昇を保証しないのは、無理な河幅や分岐を設定するようなものである。これでは水が涸れ、あらぬ方向に氾濫してしまうように、人々の意欲は減退し、生産性は地滑り的に低下するであろう。

こういうときは、むしろ受け取る側がびっくりするくらいの利益を与え、彼らのやる気を引き出してから、あらためてルール設定を徹底したほうが、組織の安定と活性化につながる。これが性悪説の活用法である。

(大場 一央 : 中国思想・日本思想研究者、早稲田大学非常勤講師)