日本企業の人材育成で重視されている「OJT」について、その効果と限界を解説します(写真:Jake Images/PIXTA)

人材育成はどの企業にとっても重要な課題だ。「我が社は育成はしていない」という企業は皆無だろう。だが、その育成方法は多種多様で、効果的なものもあれば、必ずしもそうとは言えないものもある。『経営を教える会社の経営』(東洋経済新報社)の執筆者であるグロービスの内田圭亮氏が、日本企業の人材育成で重視されている「OJT」について、その効果と限界を解説する。

社員に対する育成には、どのような考え方で向き合うことが望ましいでしょうか。この点を考えるにあたって、まず最初に、社員が成長することの意味合いから確認しておきましょう。


社員が成長することで、その人がこれまでにできなかったことができるようになり、それによって組織能力や組織としての成果も高まります。故に、社員が成長することは、その本人にとって望ましいことであること以外にも、組織としても大いに歓迎すべきことです。このことから、社員の育成にあたっては、「どうしたら社員の能力が最も開発されるのか?」という個々人の成長に主眼を置いて考える必要があります。

そう考えたとき、社員育成はどうあるべきなのでしょうか? 組織として、どのくらい手をかける必要があるのでしょうか? また、育成に使う予算はどの程度を考えるべきなのでしょうか?

OJT とOff-JTへの向き合い方

最初に、社員1人あたりどのくらいの育成予算をかけていくことが望ましいのかについて考えてみたいと思います。日本企業における従業員1人あたりの年間平均研修費用は、おおよそ3万〜4万円くらいが相場となっています。これは実務とは切り離した場で行われるOff-JTと呼ばれる研修といった教育施策にかける費用に関するものです。

あくまで日本企業における平均値なので、企業規模や業種によって実態はそれぞれ異なります。皆さんは、この3万〜4万円という平均値を高いと感じますか? それとも低いと感じるでしょうか? 私は非常に少ないと考えています。欧米の主要先進国ではそれぞれ平均10万円前後が教育研修費に使われると言われていますし、アジアの中国・韓国・シンガポールといった国々においても日本と比べて2倍くらいの予算が割り当てられています。これでは、どんどん日本企業と外資企業との力の差が広がる一方です。

では、日本企業においては人材育成が重要視されていないのかというと、私は決してそんなことはないとも感じています。多くの日本企業において、「我が社の最大の資産は人材である」といった趣旨の発言はいろいろなところで耳にします。これが実態を伴わない嘘も方便のように使われているわけでもないでしょう。では、なぜ同じように人材が育つことの価値を考えている日本企業が、海外の企業と比べて明らかに人材育成予算が少なくなっているのでしょうか?

伝統的に日本企業がOJT好きな理由

日本企業においては、確かにOff-JTに使われる予算は少ないのですが、「人は現場で育つ」という考えのもと、OJT(職場での実務における育成手法)に力を入れていることが多いのです。OJTで人材を育てることはとても大切なことですし、それ自体は素晴らしいことです。

実際に、携わる業務に必要なスキルはOff-JTで学ぶよりもOJTで業務を通じて習得してしまったほうが、効率性が高いとも言えるでしょう。ただし、一方でOJTにはOJTならではの限界があることも見落としてはなりません。

OJTは、目の前の業務に効率よく対応できるようになるためには優れた育成手法なのですが、逆に言えばそこで伸ばせる知識・スキルというのは、その業務でしか通用しないものに限定されてしまうことが多いのです。要は、OJTのみでは、次なるキャリアステップにおいて必要とされる能力や知見を獲得することは難しいのです。

もしかすると、「いや、そんなことはない。事実、私は研修等のOff-JTには頼らずに、OJTの中だけで経営リーダーになるまでに至った」と思われる方もいらっしゃることでしょう。もちろん、それはそれで事実であるとは思いますが、前提となる環境の違いに目を向けることも忘れてはなりません。

OJTだけで成長できたという方は、ご本人の努力もさることながら、自身が携わっていた事業が成長・拡大していくフェーズに携われていたり、逆にヒリヒリするような修羅場事業を運よく経験することができていたりするものです。「失われた30年」と呼ばれる時代に突入するまでの日本社会は、経済全体が底堅く成長していましたし、各社も成長期にある企業が多かったため、企業全体で挑戦できる機会というものが多くありました。そういった環境下においては、若手にも裁量をもって挑戦させてくれやすい機会が十分にあるでしょう。

しかしながら、昨今の経済状況においては、一部の企業を除いて多くの日本企業は成長が停滞し、それと同時に全体的に挑戦できる機会そのものが減っていきました。加えて、人権や環境問題等に対する社会的要請の強まりを受けて、年々、企業に求められるコンプライアンス対応もハラスメント対応も高い基準が求められるようになってきています。さらには働き方改革も含めて、対応するべき法の要請も増えたことから、より働き方・働く時間に関しては個人の自由度を制約する方向に進んできました。

Off-JTによる知見や能力の習得が必須の時代

このようにかつては成長していた企業が一度その成長性に陰りが生まれると、どうしても組織は細分化され一人ひとりの裁量は減っていく傾向が生まれます。また、対応すべきリスクサイドの観点が多くなると、そのリスクを生じさせないようにあらかじめリスクの芽を摘むような管理手法になりやすいため、個々人が挑戦できる領域は減っていきがちです。こういった環境下においても、一昔前と同じようにOJTだけで次なるステップに必要な知見や能力を身につけられるとは到底思えません。

人は成功したときよりも、失敗したときにこそ、より多くのことを学ぶことができます。そうした思い切ったチャレンジングな機会を提供し、時には派手に失敗してもいいとされるような場を与えられない限りは、OJTだけで十分な育成ができるものではないのです。こういった時代において、Off-JTでは、企業としてはリスクを取らずして、失敗経験を意図的にデザインすることが可能です。

さらに付け加えるならば、これからの時代は「人生100年時代」と言われるようになりました。1つの企業、特定のスキルだけで職業人生を全うできる時代ではなくなったことから、至るところでリスキリング(学び直し)の必要性が叫ばれています。AIをはじめとして、さまざまな進化が非常に速いサイクルで訪れる環境下においては、今、目の前で向き合っている仕事に必要なスキルを磨くだけでは足りず、人生100年時代を生き抜くことが難しくなってくるでしょう。これからは、もっと先々を見据えた新たな能力の獲得が必要になってくるのです。こうした現業務で必要とされる能力とは別のスキルや知見を獲得することは、もはやOJTでは不可能に近く、今ほどOff-JTが必要とされる時代は過去になかったのではないでしょうか。

「人的資本経営」の意味

そう考えると、現状の年間3万〜4万円という日本企業のOff-JTにかける育成投資金額は低過ぎると考えていいでしょう。このままでは、日本企業の大きな成長は見込みにくく、日本経済全体としても、失われた40年・50年へと突き進んでいかないかという不安がもたげてきます。

ただ、明るい兆しは、そんな日本においても「人的資本経営」の重要性が叫ばれ、各社がその実践に向けて動きを始めたことです。この「人的資本経営」の中では、人的資本を最大化させるための具体手法が述べられ、リスキリング(学び直し)の重要性について強調されています。今こそ、この流れを踏まえて、各社の育成施策がより充実化されてくれることを願ってやみません。

ちなみに、グロービスにおけるスタッフ1人あたりのOff-JT予算は、少なく見積もっても日本企業全体の平均よりも10倍以上を投じています。

(内田 圭亮 : グロービス経営大学院教授)