■「5類」になっても、やはり咳はしづらいが…

新型コロナが「5類」となった。しかし「5類」になったからといって、このウイルスが私たちのまわりから消滅してしまったわけではない。むしろ「5類」になったことによって、「この3年間行ってきた感染対策など一切止めて、すべてコロナ前の生活に戻しても大丈夫になったのだ」という認識が広がってしまった場合、今後の流行が水面下で拡大する危険さえ懸念される。

一方で、このまま「コロナは風邪」との意識が私たちの間で広がっていったとしても、電車の中や職場で咳き込んでいる人に向けられる視線は、そう簡単には弱まることはないだろう。この3年間で、その正誤は別として感染症にたいする認識と対策はかつてないほど強まり、とくに「咳エチケット」は十分すぎるほど私たちの習慣に染みついてしまったといえるからだ。

写真=iStock.com/Liubomyr Vorona
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Liubomyr Vorona

外来でも「咳をしていると、電車や職場で冷たい視線を浴びるのでなんとか止める薬を処方してもらえないだろうか」との相談を受けることは非常に多い。たしかに電車内で少しむせ込んでしまっただけでも、サッと振り返られ眉をひそめられた経験は私にもある。音楽会や図書館など、静かな空間にいるときにかぎって咳が止まらなくなって困ったという経験を持つ人もいるだろう。

■そもそも咳はなぜ出るのか?

このように当事者がつらいのはもちろんのこと、周囲の人からも迷惑がられる咳であるが、いったいどのように対処すれば良いのだろうか。今回はこの誰もが困った症状として経験したことがあるであろう「咳」について、私たち医師が日頃の臨床現場でどのように考え対処しているのかを概説してみたい。

ただ本稿は呼吸器科専門医によるものでもなければ、紙幅の都合からも咳を生じる疾患およびその診断と治療を網羅的に説明することを目的とするものでもない。あくまでも「咳」についての一般的な考え方である。とくに今現在、咳症状で悩んでおられる方は、本稿を鵜呑みに自己診断してしまうことなく、必ず医療機関への速やかな受診をしていただきたい。

まず「咳」とは何か? 端的にいえば、「咳」とは多くの場合、気道に存在する異物を体外に排出する役割を担う反射である。つまり呼吸を妨げる異物から身を守るための生体防御反応といえるものだ。こう言うと「いやいや、咳自体が苦しくて呼吸が妨げられているのだから、早く薬で止めてくれないか」と言われてしまいそうだが、原因が除去されていないかぎり、いくら薬を飲んだところで咳を止めることはできない。

■市販の「咳止め薬」は飲まないほうがいい

外来では「市販の咳止めでは全然効かないので、もっと強力な咳止め薬を出してください」と懇願されてしまうこともあるが、患者さんが持参した市販薬のパッケージを見てみると、それにはすでに「強力な咳止め薬」の成分が含まれている。その薬が効かないのは、咳の出ている原因が除去されていないか、咳の原因がそもそもその「咳止め薬」では効かないものである可能性があるのだ。

つまり、いずれにしても、まずは原因が何であるかを見極める必要がある。そしてその原因によっては、服用している薬が効かないばかりか、「生体防御反応」を妨げることで悪化させる可能性さえ懸念される。

例えば、カゼでも肺炎でも、気道に炎症が起きると痰が増えるが、この不愉快な痰は、気道を清浄化するための粘液である。この痰が絡んだ咳を薬で無理矢理抑え込もうとすれば、どうなるか。うまく痰が異物と一緒に吐き出せなくなってしまって、むしろ症状を悪化させることさえ起こしうるのだ。

すなわち「咳が出始めたから、すぐ薬を飲んで止めてしまわなくては」と考えて、その原因を知らないままに咳止め薬を服用するのは勧められないし、危険さえ招きうるということを、まず認識しておく必要があるといえる。

■たんなる「カゼ」の咳でも1週間は出るもの

もっとも医療機関で診察を受けても、その咳の原因を初診の段階でズバリと診断できる医師がいるのかと問われると、私も含めてその自信のある医師は正直のところ多くはないだろう。だが、いわゆる「カゼ」(普通感冒)の咳であれば、喘息などの慢性呼吸器疾患の既往がない人の場合は、薬を飲まずに放っておいても7〜10日くらいのうちに改善傾向となることがほとんどだから、大きな問題となることはない。

かりに症状が完全に消失しきっていなくとも改善傾向が実感できているのであれば、あとは時間の問題と思って待っていれば良いとも言える。それにそもそも、たんなる「カゼ」の咳であっても2〜3日のうちに完全に消失してしまうことなど、まずありえないと思っていたほうがいい。

したがって、とくに基礎疾患もなく「昨日から咳が出始めた」などという患者さんが来院した場合、症状も軽微で聴診所見でも異常を認めなければ、「経過を見る」と判断されることも少なくないのだ。「せっかく症状の出始めにすぐ薬を飲めば治ると思って受診したのに、たいした薬も出されなかった」という経験をした人もおられるだろうが、あまりにも発症早期であると、どんな名医であっても診断はつけられないから、このような対応になることは仕方ないともいえる。

■熱がないのに咳が止まらない場合は?

問題は、明らかな熱発が4日以上続いたり、呼吸が荒く息苦しさが出ていたりする場合だ。もちろん呼吸器疾患をはじめとした基礎疾患を有している場合や高齢者の場合はこのかぎりではないが、とくに持病がない人でも、日ごとに悪化してこのような症状に至った場合は、いわゆる「カゼ」である可能性はかなり低く、肺炎の可能性もあるといえるため、早急な受診が勧められる。

写真=iStock.com/RyanKing999
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RyanKing999

では、熱がないのに咳が出続ける場合は放っておいていいのだろうか。こちらもそうとは言えない。市販薬を飲み続けている場合は、それに含まれている解熱鎮痛剤によって見た目に発熱がないようにマスクされてしまうことがあるからだ。じっさい、咳が日ごとに酷くなっているものの、体温を実測しても高くて37度前半などという人であっても、聴診で肺雑音を聴取し、レントゲン写真で肺炎像を確認できたケースもある。

このケースも、あらゆる「最強の成分」が混ぜ込まれている市販の総合感冒薬を服用することが引き起こした害の典型例といえるだろう。いわゆる「咳止め薬」は咳の原因を除去するものでも、咳を治すためのものでもない。繰り返すが、原因を除去しないかぎり薬は効かないという認識を持つことは非常に重要なのだ。

■カゼでもコロナでもないのに咳だけが出る疾患とは

一方、咳の種類によっては薬が著効するものもある。熱もなく肺炎でもなく、数々の医療機関を渡り歩いて「強い咳止め薬」を処方されてきたにもかかわらず、まったく効かないという咳で数週間悩んでいる人に、たびたび出会うことがある。このような人の場合には、ある疾患が見えてくる。

私たち医師のうちでは「後医は名医」という“格言”がある。これは、後に診た医師のほうが前に診た医師よりも正確な診断を下しやすいことから効果的な治療を行える可能性が高く、あたかも「名医」であるかのように患者さんに思われやすいという意味だ。

じっさい、数々の医療機関で薬をもらっても治らないという患者さんが外来を訪れたときに、「お薬手帳」を見せてもらうなど、それまでの治療経過を把握できたことで正しい診断にたどり着き、非常に感謝されてしまうという“こそばゆい経験”を持つ医師は私ばかりではないはずだ。

……最初はちょっとしたカゼみたいな感じだったんです。熱もなくて。近くのお医者さんに行って、咳止め薬を5日分ずつ2回ほどもらいましたが効かなくて。ええ、コロナは抗原もPCRも陰性でした。で、医者を変えたんですね。そしたら一応レントゲンと採血をしようということになって。そしたら肺炎ではないし炎症もないんだけれども、念のために抗生物質を飲んでおきましょうということになったんです。これで治るかな、と思ったんですが、全然効かなくて。それでこちらに伺ったんです……。

■それは「咳喘息」かもしれない

こういう人の「お薬手帳」を見てみると、「メジコン(デキストロメトルファン臭化水素酸塩)という中枢性非麻薬性鎮咳薬や、フスコデ(ジヒドロコデインリン酸塩、dl-メチルエフェドリン塩酸塩、クロルフェニラミンマレイン酸塩)という中枢性麻薬性鎮咳薬が処方されていることが少なくない。いわゆる「強い咳止め薬」だ。これらでも止まらなくて困っているというのである。

こういう人に「これまでにも同じような咳で数週間にわたって悩んだことがありますか?」と訊(き)いてみると、けっこうな頻度で「経験がある」との返事が返ってくる。そして聴診をしても喘鳴が聞かれない。このような人は「咳喘息」という疾患である可能性があって、喘息に使用する吸入薬(ステロイドと気管支拡張剤の合剤)などの使用で症状がかなり緩和されることがあるのだ。

もちろん、これはあくまで個々の事例に応じて丁寧な問診と診察を前提としたものであるから、このまま鵜呑みにしていただいては非常に困る。ただ「咳にはまず咳止め薬、効かなければ強い咳止め薬」という考え方は、けっして正しいものではないという一例であると考えていただきたい。

■咳はさまざまな疾患を調べる機会でもある

コロナの影響によって、医療機関によっては咳をしているなどの「カゼ症状」の人は受け入れなかったり、受け入れても聴診などの対面の診察は一切せずにコロナの検査しか行わなかったりしたところもあったと聞くが、「咳」という症状ひとつとっても、カゼから肺炎から喘息から、さらには悪性腫瘍まで、じつにさまざまな疾患がある。

放っておいても問題ないもの、早期に診断を要するもの、緊急性はないが丁寧な問診と診察によって診断がつけば回り道することなく適切な治療につなげられるもの、これらを鑑別することは非常に重要なことなのである。

コロナの5類化によって、多くの医療機関がコロナ禍以前と同様にカゼ症状や発熱者への外来対応を行うようになるという政府の目論見通りに現場が変わるとは到底思えない。それは院内感染防止の観点からも当然のことである。

しかしこの3年間のコロナ禍を経て、オンライン診療が日常化され、聴診器を患者さんの胸に当てると「お医者さんに聴診器を当てられたことなんて初めて」と驚かれてしまうといった、「患者さんに直接触らない“診察”」が時代の流れの中で一定の地位を確立しつつある。これは今後も「コロナ禍のレガシー」として受け継がれていくのだろうか。そしてそれは、果たして患者さんの利益となりうるものなのだろうか。私のような昭和生まれの古い医師からすれば、「負のレガシー」としか思えないのだが。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。
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(医師 木村 知)