「歓楽街で女性の体をもって生きることについて、生涯をかけて考えていくことになるのだろう」―鈴木涼美『ギフテッド』に寄せて

大学在学中にキャバクラのホステスやAV女優を経験し、日本経済新聞の記者を経て、作家に。『「AV女優」の社会学』(青土社)、『非・絶滅男女図鑑』(集英社)など、独自の視点で世の中や社会を鋭く批評するエッセイやコラムには定評のある鈴木涼美さんが初となる小説『ギフテッド』を上梓。第167回芥川賞候補にもなった本作への思いを聞いた。

『ギフテッド』は「音フェチ小説」という面もあるんです

鈴木涼美さんは大学在学中から夜の街で働き、AV女優としてもデビュー。

その後、日経新聞の記者を経て、フリーとなったのちはアカデミズムから書評、エッセイなど多様なテキストを世に送る作家、コラムニストとして活動してきた。

『ギフテッド』はそうした鈴木さんの処女小説である。

物語の主人公は夜の街に暮らす女性。彼女の身体には、母がつけた傷があった。そしてその傷は、夜の街ではある特別な意味を持っていた――

――金属のドアの軋む音ではじまって、静かな言葉で終わる物語。すごくかっこよかったです。

ありがとうございます!

――主人公は、自分の部屋にいてさえどこか現実感が乏しい。そうしたときに「扉と鍵の音がうまく鳴れば、少し安心感がある」と言う。身体的な「リアル」を感じさせるのが性や食ではなく、音なんですね。

自分自身が歌舞伎町の近くで暮らしていたことは過去に何回かあるんです。そのときは、たとえば実家から学校に毎日通っていた高校生のときや、新聞記者をやっていたときと比べて「自分が社会の中にいる」みたいな現実感が、なにかふわふわして希薄だったりしたんです。なんだか地面から5センチぐらい浮いて生活しているような感覚で。

そうしたときに「ここに生々しい肉体があるんだ」と感じさせる要素として、セックスや食を求めるという場合もあると思いますけど、でもふわふわした毎日の中で「ここだけは現実感を感じられる」というものって、意外と音なのかもしれない。ドアの音や鍵の締まる音とか、そういうものだったりするのかなと。

だから『ギフテッド』は「音フェチ小説」という面もありまして。ヒールの音とか、ドアを押したときに鳴る「ぎいっ」という音を書き込んでいます。そうした音に耳を澄まして暮らしている様子からも、夜の街にいるとき独特の、社会と自分がぎりぎりでつながってる感覚が表現できたらいいなと考えていました。

――登場人物が持つ「この身体には値段がつくか、つくとしたらいくらか」みたいな目線からも、彼女たちが暮らす世界のリアリズムが伝わってきました。

そうですね。『「AV女優」の社会学』以来、夜の街について書いてきたものもそうだし、男女のことを扱ったエッセーなどで書いてきたこともそうなのですが、私はたぶん、夜の街の魅力や残酷さ、あるいはその街の中で女性の体をもって生きることについて、生涯をかけて考えていくことになるのだろうと思うんです。

自分の身体に、ある人は意識的に、ある人は抵抗しようと思ってもなかば強制的に、ある人は無自覚に、値札が貼りつけられる。歓楽街の中であれば、それがより露骨に行われていて、ほかの社会よりもくっきり浮かび上がる。

「この人はいくらぐらい」といった価値観が自分の中で内面化してく感覚は、私自身が執筆者としてつき合ってるひとつの大きなテーマなので、それが最初の中編小説には色濃く出ているところはあるのかなと思います。

――主人公の女性も、常に自分の身体の持つ価値と向き合っていて。

肉体が価値を持ってしまう、あるいは「価値を持つ肉体とはどういうものか」を知ってしまった女の人たちは、それが商品化される現場に引き込まれていってしまう。

その流れにあらがうことはなかなか難しくて、ある意味、不可能なんだという小さな絶望、というとネガティブなワード過ぎますけど、そうした"受容の気持ち"が私の中にあるんです。

小説では、わりとプライドの高かった主人公の母親ですら、自分の身体に値段がつけられることに、あらがい切れなかった。もし女の身体が値札から逃れることができるとしたら、それは言葉や倫理とかではなく、意外と他者から見るとネガティブに思えるような事情であったり、身体に刻まれたなにかだったりすることもあり得る。

主人公の女の子も、歓楽街で生活しながらあるところでとどまっていることができたのは、たまたま「女の身体の商品価値」にかかわるような痕が刻まれていたためでした。

それは母親のまちがった愛情の表現として残されたものだったのですが、その「ギフト」が与えられていたから、裸になるような仕事からはうまいこと距離を置いて生きることができていた。女の身体が商品価値を持つという界隈にある、そうした逆説的な事情を示すことができたらいいなと考えていました。

極端に乾いた文体に持っていった理由

――乾いた語り口が、これまで書かれてきたエッセイなどとはずいぶん文体が違うように感じて驚きましたし、結末の美しい言葉にすごく感動してしまいました。

そこまで詩人としての才能なかった母の、不器用な詩。主人公の彼女にとってだけ意味を持つ言葉みたいなものを最後に置いておきたかったので、それが印象に残ってもらったのはうれしいです!

文体なんですけど、物語の向かうところが死。なおかつ舞台が歓楽街。そう言うと、すごく刺激的で湿っぽい題材を扱っていることになりますけど、でも「そこに流れてるこの人の日常は意外と淡々としたものだよ」という感覚を、文体で醸し出してみたいと考えていたんです。だから、なるべくきらびやかじゃない文体を探して、ここまで極端に乾いたところに持っていったっていうのはあります。

文章を書くときって、私は文体を考えるところから始めるんですよ。たとえば『身体を売ったらサヨウナラ』とか、『非・絶滅男女図鑑』などでは女子が集まってしゃべってる雰囲気を切り取ったようなものにしたいと考えていました。

その本の色って、まず文体で変わるじゃないですか。ある意味で、文章の内容よりも物を言うと感じているんです。それはたぶん、私が若いときから、井上ひさしさんとか橋本治さんとか、文体の達人みたいな人たちにすごく憧れていたからなのですが。だから、文体をまずつくって、それで扱っている題材によって語尾のリズムとかを意識していくことは、習慣としてありますね。それはそれで楽しかったりしますし、その辺はカメレオン的でありたいなと思っています。

――創作と、ノンフィクションやエッセイとでは文章といっても書き方が違うのかなと思うのですが、そんなハードルなどなくて軽々と行き来していらっしゃるように感じました。

小説自体はずっと書きたいと思っていたんです。ただ、自分自身が読者として小説が好きだったので、ハードルはわりとありましたよ。思い入れがあるだけに、逆に腰が重くなってしまっていました。

ただ、書くことを仕事にしたのは新聞記者が最初ですけど、その後もフリーになってからはエッセイや書評とか、どちらかというと批評文のようなものが多かったと思います。それはそれで好きなのですが、そこに書ききれないものもあって。

たとえば音が積み重なってく感じとかって、なかなか短いコラムの中では消化できない表現だったりするじゃないですか。特に新聞記事とくらべると、記事の場合は、事実をわかりやすく短く羅列していくことが大事。基本的には「空気感をつくる」みたいなことはないですよね。でも、そうじゃない曖昧な領域みたいなものの描写って「フィクションが負うべきところかな」って思うんです。

新聞記事では曖昧なことはあまり書けないですけど、世の中、だいたいが曖昧なことでできているような気がする。だからこそ、小説が負うべきことはたくさんあるように思っていました。それがようやくひとつかたちになって安堵しています。

物語の主軸は母と娘の関係で、テーマとなっているのは女の体が負ってしまう値札みたいなもの。だから「女の人には伝わりやすいかな」と考えていたのですが、でも、意外と男性の読者の方にも、いろんな解釈で読んでいただいていて、面白いと思ってもらえる人もいるみたいで。こういう読者さんの反応は、小説ならではだなと感じて、すごくうれしいですね。

文/堀田純司 撮影/井上たろう

ギフテッド

鈴木涼美

2022/7/12

1650円(税込)

118ページ

ISBN:

978-4163915722

第167回芥川賞候補作にして、『「AV女優」の社会学』『身体を売ったらサヨウナラ』などで知られる鈴木涼美の、衝撃的なデビュー中編。歓楽街の片隅のビルに暮らすホステスの「私」は、重い病に侵された母を引き取り看病し始める。母はシングルのまま「私」を産み育てるかたわら数冊の詩集を出すが、成功を収めることはなかった。濃厚な死の匂いの立ち込める中、「私」の脳裏をよぎるのは、少し前に自ら命を絶った女友達のことだった――「夜の街」の住人たちの圧倒的なリアリティ。そして限りなく端正な文章。新世代の日本文学が誕生した。