かつて戦争は景気対策だった!?現代とはぜんぜん違う日本人の「戦争観」とは?

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「満州事変は二の次」になった国民の側の事情

昭和初期、日本がどんどん抜け出せない戦争へと突き進んでいった経緯を見ていると、なんで満州事変を止められなかったのだろう、ほったらかしにされてしまったんだろう、という疑問が湧きますね。

満州事変で瀋陽に入る日本軍(Wikipediaより)

政府の側の思惑については別の記事で書きましたので、今回は当時の国民の側の事情について考えてみたいと思います。

国民の側も、満州事変について全く無関心だったわけではありません。当時は、新聞も事変のことをネタにすると飛ぶように売れたと言います。ただそれは、世界情勢がどうなるかという問題よりも、大陸に行った身内の安否はどうなのか、という心配の方が大きかったようです。

で、満州事変直後に行われた総選挙では、政治家たちも「国民は満州事変に興味しんしんで、関東軍のやってることに賛成らしい。今回の選挙は景気対策を争点にしよう!」と考えました。そこで景気対策を公約に掲げた政友会が大勝しています。

政治家たちがこの点について微妙に勘違いしたのには、理由があります。今の時代からは想像もつきませんが、当時の人々の頭の中には「戦争」が「景気対策」になるという認識があったのです。

もちろん、当時の選挙で、政治家も国民も諸外国との衝突を積極的に支持したわけではありません。ただ満州事変の処理は二の次になり、仮に武力衝突が起きたとしても、それは最大の優先順位である景気対策にもつながる、という無意識の認識があったかも知れません。

実際、戦争は儲かるのです。軍需産業が盛り上がり、賃金も上がり、雇用も増えます。

ただ問題点は、そんなに長くは続けられないという点です。

「戦争で景気回復」は危険なカンフル剤

戦争で景気を回復させるなどというのはいわばカンフル剤で、長くやっていると悪影響が出てきます。例えば物資が不足すれば物価が上昇しインフレを招きますし、景気を支える働き手が戦地に動員されたりします。

しかも戦争が都合よく終わってくれるとは限りませんし、コントロールするのも不可能です。勝てば賠償金をもらえるから国家も潤う、というのは昔の感覚ですが、それならそれで負ければ大変なことになります。景気対策のための方策としてはリスクとデメリットが大きすぎます。

ある意味で不幸なことに、戦前の日本は「敗戦」を経験していません。日清・日露戦争はいちおう勝利していますし、第一次世界大戦でも形式的には戦勝国になっています。しかもどの戦争もわりと短い期間で終わっています。

よって、当時の日本国民には「戦争は短期間で終わり、その過程で景気が良くなるもの」というイメージしかありませんでした。

昭和初期の当時は格差社会でした。だからこそ、積極財政による経済政策で恐慌から抜け出そう! と訴えた政友会に、国民は投票したのです。

満州事変直後の総選挙で成立した犬養内閣親任式後の閣僚たち(Wikipediaより)

もちろん、だからと言って満州事変の処理が完全に忘れられてほったらかしにされたわけではありません。政府が優先順位を見誤り、処理を怠った結果、関東軍は勝手に行動して規制事実を積み上げ、「満州国」を完成させてしまったのです。

参考資料
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』SB新書、2016年