「鉄のメンタル、とかよく言われますが、普通の女の子です。強いというより、小さい頃は友達にイヤなことを言われても気づかず、あ、あれはイジメだったんだ、と後からわかったりするタイプでした。」(撮影:本社写真部)

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2019年9月に不動産会社社長と結婚、3ヵ月のスピード離婚を経て、妊娠を公表した加藤紗里さん。その破天荒な人生が注目の的となり、YouTube やInstagramで発言するたびにニュースに取り上げられている。今年4月28日に無事に女児を出産、子育てを始めた現在の心境、そしてこれまでの騒動の顚末について飾らない言葉で語ってくれた(構成=岡宗真由子  撮影=本社写真部)

【写真】「世界中に嫌われても娘だけがわかってくれればいい」

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自宅出産を生中継

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、病院で出産すると家族も赤ちゃんに面会ができないと知り、助産師さん立ち会いのもとでの自宅出産を選びました。出産の模様をYouTubeで生中継すると予告してカメラを回していたのですが、赤ちゃんがなかなか出てこられずにお腹の中で眠ってしまい、吸引しなくてはいけない状況になったため、結局病院へ。ほぼ意識のない状態で出産したようで、気がついたら点滴につながれていました。

病院では落ちつかないので、一刻も早く自宅で赤ちゃんを抱いてゆっくりしたい! と、無理を言って早めに退院させていただきました。助産師さんの助けもあり、思い通り赤ちゃんと存分に一緒に過ごすことができて、幸せです。

今年1月に離婚しましたが、子どもの父親が誰なのかは、公表しないと決めています。離婚を発表した際も「3ヵ月で1億円使わせた」など、多くのご批判をいただきましたけど、気にしていません。“芸能界最速離婚”を狙ったんですが、上には上がいましたね。(笑)

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広島の裕福な家に生まれ育ち、2006年に「お見合いに箔をつけるため」母親がミス日本に応募、中国・四国代表に選出された。その後、恋人を追いかけて上京。フリーで雑誌の専属モデルをしていた。4年前にある芸人との関係がメディアで話題になり、以来「炎上の女王」と言われてきた。ネットで叩かれ続けても自分らしく振る舞えるメンタルは、どのようにして培われたのだろうか。

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鉄のメンタル、とかよく言われますが、普通の女の子です。強いというより、小さい頃は友達にイヤなことを言われても気づかず、あ、あれはイジメだったんだ、と後からわかったりするタイプでした。

小学生でバレエを習い始めた時、教室の指導者の方に「紗里ちゃんはフランス人形みたいだね。今度の発表会の『コッペリア』では君が主役のコッペリアをやってね」と言われたんです。その日から、私より前から教室に通っていた女の子たちが話しかけてくれなくなって、見学している母も保護者の間で仲間外れになりました。

ある日、教室に行くとトウシューズがなくなっていました。その時、女の子たちが、「一緒に探してあげるよ!」と言ってくれたのですが、持ってきたのは、トイレの汚物入れに入ったトウシューズでした。母がわっと泣き出して私を抱きかかえ、すぐにバレエ教室を出ていったのを覚えています。

私は、トウシューズが見つかって良かったなと思って、「お母さん、なんで泣いているんだろう?」と不思議でした。今考えると、まず汚物入れを捜しに行くのはおかしいですよね。大人になってから何が起こったのかを理解しました。

常に本命以外にも6、7人の彼氏がいました

私の実家は、広島市内では結構有名な代々続いた呉服商で、父は呉服だけでは生き残れないと、飲食業も始めた経営者。意外かもしれませんが、子どもの頃から今までお金に困ったことはありません。小学校から高校まで通ったのも、ここに行っているなら「いい家の子」とされている、地元の名門一貫女子校でした。

その学校はとてもお堅くて、生徒手帳には「男女交際禁止」と書いてあり、髪形は二本のおさげ。そんななか、多分私は学校一の問題児でした。校則では、スカート丈は膝下15センチと決められていて、毎朝校門でチェックがあります。私は普段スカートをウエストで折って短くし、門を入る時だけそれを下ろすというのを毎日繰り返していました。

でもいい加減それがイヤになってしまって、ハサミでスカートをザクザク切ったんです。これならもうスカートを長くすることはできないでしょ? って。もちろん、買い直させられましたけど。(笑)

母はその事件を含めて、何度も学校に謝りに行ってくれましたが、校則違反や成績に関しては全然うるさく言いませんでした。母が私に日頃注意したのは、「靴を揃えるように」とか「お箸をちゃんと持ちなさい」とか日常の当たり前のことだけ。一方習い事には熱心で、日本舞踊からお琴、茶道、お花、バレエまで、たくさん習わせてくれました。

両親は、「いろいろあっても紗里は地元で専業主婦になるだろう」と思っていたみたいです。でも私は「恋愛依存症」だったので、18歳の時、つき合っていた年上の彼とともに上京してしまいました。その人は地元の有名企業の御曹司です。

広島を出たことがなかったので、「広島ではモテたけど、東京では通用しないかな」と思っていたのですが、意外なことに東京でも結局めちゃくちゃモテました(笑)。いろんな尊敬できる男性との出会いもあり……。一方、地元ではカッコよく見えていた彼は、親の仕送りをあてにして毎日麻雀ばかり。向上心もないことがわかると、途端に色褪せてしまって。あっという間に別の人に乗り換えました。

それも1人では満足できなくて、常に本命以外にも6、7人の彼氏がいましたね。めちゃくちゃ忙しかったです(笑)。話題になった相手もその中の一人でしたが、弁解をするとややこしくなりそうで、そのままにしちゃって。当時はロスに住んでいる実業家が本命で、遠距離恋愛中でしたから。

「『叩かれ役』の加藤紗里以外はいらない」

いったんメディアに大きく取り上げられると、ちょっと何か発言するだけで、世間からバッシングされるようになりました。そこで誘われたこともあり、仕方なく、芸能事務所に所属することにしたんです。社長には、「可愛いだけの人間、おっぱいが大きいグラビアの女はゴマンといるから、『叩かれ役』の加藤紗里以外はいらない」と繰り返し言われていました。

今でも忘れられないのは、カンニング竹山さんの三軒茶屋での飲み屋のロケです。竹山さんが「紗里ちゃんってさ、実は良い子だよね。そのまんまでいいんじゃない?」と言ってくれたんです。精神的に弱っていたこともあり、とっさに気の利いた返しもできずに、沈黙のまま出番が終わってしまって。すると社長に「もう一度乱入して、竹山さんを挑発してこい! 25年間生きてきたお前は俺が生ゴミとして捨てた!」とメチャクチャ怒鳴られました。

番組は生放送で、迷惑なのはわかっていたのですが「すみません! さっきの紗里は間違いでした!」と言いながら、ロケ現場に無理やり戻っていったんです。社長のダメ出しに「ひどい、悔しい」と思いましたが、実際、バラエティ番組で上手にトークもできなかったし、もっともだなと思ったこともたくさんあります。

そんな毎日が続くうち、いつの間にかすごく疲れて、死にたいと思うようになっていました。マンションの自分の部屋に内側からロックをかけて、ベランダからずっと階下を見下ろしていたのですが、怖くて怖くて何時間も飛び降りることができませんでした。

救急車や警察が来て、下にマットも用意されて。広島から両親も呼ばれ、下から母に「紗里ちゃん、お願いだから飛び降りないで」と泣いて説得され、やっと鍵を開けました。それ以外にも、信頼していた親友に裏切られたりして、もう一度自殺未遂を起こしています。

事務所の社長も、「そんなにつらかったのならもうやめていいよ」と。でもその時母が、私に意外な言葉をかけたのです。

「紗里ちゃんね、このまま広島に帰るのもいいけど、帰っちゃったらね、そんなつもりなかったのに、芸人さんを踏み台にしようとして、消えていった人になっちゃうよ。それじゃあ悔しいんじゃない? 芸能界で、もう少し頑張って『タレント加藤紗里』になって、踏み台より高いところに行ったら紗里ちゃんの勝利かもしれないね。帰ってくるのはいつでもできるよ」

「両親は、私を広島に連れ帰って世間から隠して守ることもできたのですが、それでは私が幸せになれないとわかっていたのかもしれません。」

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励ましてくれた母は、まだ広島にいた頃に紗里さんにきた芸能界からの誘いを「あんな汚い世界に入るのはダメ」と全部断っていた。それだけに、その言葉が重かったという。一方で、娘が上京してメディアに出た後は、「紗里ちゃんはきっとそういう運命だったんだね」と背中を押してくれてもいた。

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もう後戻りはできないとわかって励ましてくれたのだと思います。両親は、私を広島に連れ帰って世間から隠して守ることもできたのですが、それでは私が幸せになれないとわかっていたのかもしれません。

それを聞いて私も、「そうだな、『タレント加藤紗里』になれるまで頑張ろう」と気持ちを切り替えられたんです。新型コロナウイルスのせいで広島にいる母とは直接会えていませんが、毎日、子どもの写真を送り、電話で話をしています。

私のSNSは、疲れた人たちのゴミ箱

自殺未遂のことを今までお話しすることはありませんでした。当時は、そんなことですら「話題作りだろ?」と叩かれそうな空気でしたから。今はやっと普通にお話しできるようになりました。世間からバッシングされて、それでも死ぬのは怖くて死ねなくて……。

でも、母の言葉で、覚悟を決めました。私の場合は最初から強かったのではなく、「タレント加藤紗里」になることを決めて、変わったのかもしれません。それ以来、自分のことを「公人」と捉えているので、とにかく何を言われてもいい、というスタンスです。

私のSNSは、ストレスが溜まったり、疲れた人たちのゴミ箱だと思っています。ここを私が閉じてしまって毒を吐けなくなったら、また違う人のところに行く。だったらここでどうぞ、と。アンチの人たちは、毒を吐くことが喜びだと思うので、楽しみを奪ったら気の毒です(笑)。それに、本当に嫌いなら無視して、わざわざSNSを覗きにこないと思っています。

だからアンチに反論することはあってもブロックはしないし、コメントを削除したりもしません。私に関しては、どんなことを言われても相手の身元を開示請求したり、訴えたりも今は考えてないです。むしろ、アンチの方のご意見に興味があって、対談しませんかと募集をかけましたけど、全然、出てきてくれないですね。(笑)

娘に償いながら生きる

これまですべてを赤裸々に語り、バッシングをものともしなかった紗里さんだが、娘の写真は公開せず、子育てに関することはSNSにほとんど載せていない。その理由を尋ねると、突如、言葉に詰まり、涙を見せる場面も。

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世間の私へのイメージ通り、子どもを愛せないのではないかと恐れていたんです。でも生まれてみたら、完全に優先順位が子ども第一になりました。自分にこんなにも母性があったのかと驚いています。

先ほどもお話しした通り私は「公人」ですが、娘は私の一部ではなく別個の「私人」なので、公開するつもりはありません。攻撃の対象になってほしくないからです。

一方で、出産後も、ネイルや買い物、美容院に行くなどの私生活を発信しているので、「子どもをほったらかしにして遊んでいる」「児童虐待で通報します」などの書き込みをされることも。

でも、家で世話をしてくれている家族はいますし、SNSに載せている私の生活はあくまで一コマであって、華やかさを見せる、「お仕事」。「料理もしない、家事もしない、家のことは家政婦に任せっきり」の加藤紗里のイメージのままでいい、と割り切ってのことなのですが、どうしても「悔しい」と泣きたい気持ちになることもあります。そんな時は、世界中に嫌われても娘だけがわかってくれればいい、良いママか悪いママかは娘が決める、と自分に言い聞かせています。

いろんな方が指摘される通り、爪を伸ばしていますが、料理もしていますし、赤ちゃんを傷つけずに抱っこもおむつ替えもできる。でも、そういうことを言い訳がましくSNSに書きたくありません。「子どもを産んで、過去をなかったことにして、リブランディングしようとしている」と言われるのは、嫌われることよりもイヤなんです。

それでもいつか娘が「加藤紗里」をネット検索するかもしれない。「加藤紗里の子ども」ということで、つらい思いをすることもあるでしょう。そう思うと怖いし、私の娘であることで、普通ではない私の人生に巻き込んでしまっているので、申し訳なく思っています。

事務所は去年退所し、個人事務所を立ち上げました。今年で30歳になったので、自分の会社の経営をもっときちんとやることが目標です。娘には、法律上可能な年齢になったら自分の会社の役員にして、役員報酬を渡します。娘のためにお金を残してあげたいから、私は殿方のお金を使います。(笑)

でも、幸せのあり方は娘自身が決めることなので、話せるようになったら、娘に残せるものを一緒に考えていきたいですね。100%完璧なママじゃないぶん、これからはたくさんのことを償いながら、一緒に生きていきたいです。

今は仕事で家を離れなければいけない時がありますが、本当は一分一秒でも一緒にいたい。予防接種も済んで、もう少し大きくなったら、仕事にも連れていくつもりです。