岸田奈美さん。1991年神戸生まれ、東京暮らし。『文藝春秋』2020年1月号では巻頭随筆を執筆。株式会社CORK(コルク)所属(撮影:谷川真紀子)

車いすユーザーのお母さんと知的障害のある弟さんとの生活を、「100文字で済むところ2000文字で書いて伝える」文筆家、岸田奈美さん(28)。軽妙で愛に満ちたその筆致に、一般読者のほか、糸井重里さんや前澤友作さん、写真家の幡野広志さんなど、有名人にもファンが広がっています。

ブレイクするきっかけとなったのは2019年9月、彼女がnoteに投稿した1つのエッセイでした。「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」――お金を持たずに出かけたダウン症の弟がコンビニの商品を持ち帰り、万引きか!? と思ったら、なんとコンビニの店主が……という、意外な顛末を描いたものです。

この作品は多くの人に読まれ、日本財団の投稿コンテストでは準グランプリを受賞。以来、各種媒体から取材や原稿依頼がたくさん来ているといいます。

筆者もSNSでシェアされた「赤べこ」の話を読み、大いに笑わされ、泣かされた1人です。お話を聞かせてほしいとお願いし、気持ちよく晴れた師走のある午後、彼女の勤務先のオフィスを訪れたのでした。

ダウン症知的障害のある弟に周囲は・・・

奈美さんの3歳下の弟・良太さんは、ダウン症知的障害があります。小さいときは、一緒に歩いていると1人遅れがちだったり、道路に飛び出してしまったりすることもあり、母親はどうしても良太さんのほうに多く手をかけていました。


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母親によると、奈美さんは小さい頃、母親に叱られた際に、こんなふうに訴えたことがあったそう。

「ママは、私のことなんか嫌いなんやろ。いらんのやろ。なんでもかんでも、良太のことばっかり。良太のほうが大切なんやろ」

母親はこの言葉に大変な衝撃を受け、奈美さんに謝り、それからはオーバーリアクションで、かつ頻繁に愛情表現をしてくれるようになったといいます。奈美さんが良太さんに優しくなり、2人で仲良く遊ぶようになったのはそれからだと、母親は言います。

「でも(母に言ったことを)私はまったく覚えていないんです。私は物心がついたときから良太とレゴや塗り絵、ゲームをして遊んでいた記憶があるので、仲良くない時期があったことは覚えていなくて」

奈美さんはこの件について、障害の有無にかかわらず、「長女や長男はみんな、多かれ少なかれ経験していることではないか」とも感じているそう。

忘れられないのは、良太さんが小学校に入学したときのことです。良太さんは人と話すのがとても好きなので、特別支援学校ではなく、あえて奈美さんと同じ学校の特別支援学級に入ったのですが、そのときに先生が集会の場で、こんなことを言ったのです。

「奈美さんは家でも知的障害のある弟さんの面倒をみていて、大変でかわいそうだから、学校ではみんなで助けてあげましょうね」

この言葉は、奈美さんにとっては非常にショックなものでした。彼女は「障害があってもなくても良太はそのままで良太」と思っており、自分や弟のことを「大変」とも「かわいそう」とも思っていませんでした。

なのにそれを、哀れみの対象のように言われてしまったのです。家に帰った奈美さんは、母親に「私は大変じゃない」「良太はかわいそうじゃない」と言って泣いたといいます。

もちろん今なら、先生が親切で言ってくれたことはわかるのです。しかし、みんなの前で「かわいそう」な存在にされるのは、とてもつらいことでした。

話せるようになるまで待ってくれることが1番うれしい

経験がないとちょっと想像しづらいかもしれませんが、「かわいそう」という目で見られる側は、決していい気持ちはしないものです。筆者もシングルマザーという属性から同情視されることがたまにあり、親切心はわかるものの、複雑な気持ちにもなります。


その後、奈美さんが学校に持っていった『わたしたちのトビアス』(編:セシリア・スベドベリ 訳:山内清子 偕成社)。障害児の弟をもつ姉・兄たちが描いたスウェーデンの絵本です。

でも筆者も、うっかりほかの人に同じような発言をしてしまったことはあります。以前、子どもの学校の特別支援学級のお母さんをムッとさせてしまった、ある失敗を思い出し、奈美さんに話したところ、彼女はこんなふうに言いました。

「たぶんみんな『何かしてあげたい』という思いは、すごくあるんですよね。でもその『何かしてあげたい』という思い自体が、そもそも押し付けなのかもしれません。

私は中学生のときに父を突然亡くしたり、高校生のときに母が病気で半身麻痺になってしまったりして、いろんな人に声をかけられてきたんですが、1番うれしかったのは、私の話を聞いて同じように悲しんでくれる人の存在でした。『何かしてあげる』というよりも、ただただ一緒に泣いてくれて、私が話をできるようになるまで待ってくれた人のことって、やっぱり今でもずっと覚えているし、縁もつながっている。

だからその先生も、『かわいそうだから助けてあげないと』じゃなくて、『奈美ちゃんが何も言いたくないならそのままでいいけど、もし何か言いたくなったら、いつでも話を聞くよ』と言ってくれたら、たぶん1番うれしかったんだろうなって思いますね」

まずは相手が話したいかどうかを尊重し、そのうえで耳を傾けること。「相手が望むことをする」という発想が、その先生にも私にも欠けていたのでしょう。今後、肝に銘じます。

「そういう人もいるんだね」で終わるくらいが1番いい

弟の良太さんは幸い、保育園や学校でいやな思いをすることは少なかったようです。保育園のときは、同じ組の子どもたちが「きっしー(良太さんのあだ名)にも運動会のリレーに出てもらおう!」と言い出し、みんなでバトンパスの練習をして、見事1位になったこともあったそう。


岸田奈美さん(撮影:谷川真紀子)

小学校でもみんなに仲良くしてもらい、慕われる存在でした。卒業式のとき奈美さんの母親は、ほかの子のお母さんから「この子、良太くんと一緒のクラスになってから、弟の面倒もみるようになったんです」と、お礼を言われたこともあったといいます。

「弟の人間性も大きかったんですけれど、母もすごく頑張ったんです。良太が小学校に入るときは孤立しないように、『ありがとう』と『ごめんなさい』と、『おはよう、こんにちは』の挨拶をしっかり言えるように、すごく練習したんですね。

それから母は、子どもたちの登校班にも勝手に付いていってました。そうすると、子どもたちがみんな寄ってきて、『聞いて、きっしーのお母さん聞いて!』ってなるから、母を介して、良太とも話をするようになる。そういう空気をつくっていったのも、よかったことだろうなと思います」


親の状況によっては、奈美さんのお母さんのように登校班まで付いていってあげることまでは難しいでしょう。でも、良太さんがそんなふうにして周囲となじみやすくなったことは、何よりでした。

「違う考えを『認める』ってよく言いますけれど、それは無理だと思うんですよ」

奈美さんから出た思わぬ言葉に、つい顔をあげました。私はまさに「違いを認める話」だと思って奈美さんの話を聞いていたのですが、違うのでしょうか。

「『認める』というと、『正しいこと』と認識しないといけないけれど、『正しい』と思えないことだって絶対ある。だったら『多様性があるということを認識する』、というくらいでいいんじゃないかなって。『あ、そういう人もいるんだね』で終わるっていうのが、1番いいと思うんです。

私のエッセイにいただくのは9割9部が応援コメントなんですけれど、やっぱり中には、私の考えを変えようとして、いろいろ言ってくる人もいます。でも本当は、『あなたはそうしたんだね、私にはわからないけど』で、いいんですよね」

多様性の受け入れとは「自分の考えを変える」ことではなく、「自分と違う考えや状況の人もいるのを認識する」こと。そんなふうに言われれば、腑に落ちる人もいるかもしれません。

始まったばかりの2020年。今年はもっと、自分と異なる考えや人の存在をナチュラルに受け止める世の中になるといいな、と思います。