黄昏だからこそ見える景色もある

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先週末、NHKで「大往生 〜わが家で迎える最期〜」と題した番組を観た。明治の文豪、森鴎外の孫で、外科医から訪問診療医に転じた小堀鴎一郎氏が行う訪問診療や在宅看取りの現場を密着取材したドキュメンタリー番組だ。

撮影当時はまだ80歳だったと察するが、先月81歳の誕生日を迎えた小堀医師が自ら四輪駆動車を運転し、自身と同世代から100歳を越える年齢まで、病状や家庭状況が異なるさまざまな患者の自宅を日々精力的に往診する。患者とその家族に対し、時には厳しく悲しい現実について医師として淡々と、時にはユーモアを交えながら接し、自宅で最期を迎えることを希望する高齢者たちの診療や看取りを行う。同じ高齢者として、また医師として、人生の最終段階の過ごし方や終末期医療における医師の役割など、いろいろと考えさせられる内容だった。

小堀医師は昨年の「文芸春秋」11月号、「訪問診療医が看た355人の在宅死」という記事でも紹介されていたが、元は食道がんの治療を専門とする外科医。東京大学医学部を卒業後、同大の附属病院に約30年間、その後、国立国際医療研究センターに10年間勤務した。定年退職後は、東大附属病院時代から関わりのあった新座市の堀ノ内病院に専任の外科医として着任。医師として第二の人生を歩む中で訪問診療に出合い、その後、70歳の誕生日直前に外科手術から引退し訪問診療医になったという。訪問診療医の場合、もちろん外科医としての知識や経験が役に立つことも多いが、内科医としての知識や経験が重要だ。職人的な外科医だったことを自認する小堀医師が外科手術から引退することを決心した理由は、「テクニックの衰えといった身体的な変化ではなく、精神面の限界」だったそうだ。

僕は小堀医師より医学部の年次では10年上。卒業後、東京の米軍病院でのインターンを経て渡米し、30代半ばまではアメリカの大学病院で修業していたということもあり、小堀医師とは同窓ながら面識がない。ただ、同じ外科医として、「テクニックの衰えといった身体的な変化ではなく、精神面の限界」から外科手術を封印した心境はとてもよく理解できる。僕の場合、大学病院在職中に取り組みたい実験研究があり外科手術からは60歳の時に手を引いたが、一般的に外科医の場合は体力的なピークが早く、技術的なピークもそれに多少なりとも引っ張られる。そのピークを過ぎたことを自覚したのちの「引き際」は悩ましく難しい。

話は少しそれるが、日本では医師免許さえ持っていれば自分の専門とは異なる分野・診療科の診療を行うことができる。正確には、麻酔科と歯科に限ってはそれぞれ専門の資格を有する必要があるが、専門用語で「標榜(ひょうぼう)診療科」と呼ばれる、医療機関が掲げる「科(標榜科)」に関しては、厚生労働省が規定する名称の範囲内であれば、その専門分野における訓練や経験を積んだ医師でなくても掲げることができる。極端な例を挙げるなら、僕のような形成外科医が開業する際に心臓血管外科を標榜することも可能だ。ただ、その分野における医師としての知識・技術や実績、また、特に開業する場合は標榜する上で必要となる医療機器や設備など、現実的にはさまざまな要件や制約があることで、多くの分野で一定の秩序が保たれている。

僕の専門である形成外科や美容外科は、僕自身、当時の厚生省との長きにわたる交渉を経て、それぞれ1975年と1978年に標榜科として認められた。美容外科に関しては、医学・医療以外の一般的な美容との境界線に曖昧な部分があることや、他の分野を専門とする開業医が標榜科として掲げることも多いため、専門医制度も含めいろいろな課題がある。

この標榜科制度や専門医制度を巡る問題や実情の話はまた別の機会に譲るとして、小堀医師の話に戻そう。専門性や分業度合いの高い大学病院に長年勤めた外科医が、地域密着型の医療機関において内科主体となる終末期の訪問診療医を務めることは、知識・経験面だけでなく心理面でもかなりハードルが高い。勝手な想像だが、小堀医師の場合、そのハードルを越える決断には祖父であり同じ医師でもあった森鴎外の影響が多少なりともあったのかもしれない。

森鴎外は西洋医学を学ぶ一方で漢方医書を読み漁り、旧陸軍軍医学校の校長や陸軍省医務局長など歴任するも、小説のみならず漢詩や漢文にも傾倒し作家活動に励んだ。その作品の一つに「高瀬舟」という短編がある。「足るを知る」という概念と「安楽死」をテーマにした作品だ。この「足るを知る」は、老子の「知足者富」(足るを知る者は富む)に由来する。足るを知る者、つまり、満足できる人こそ富める人。天の邪鬼的な言い方をするなら、向上心を持たず現状に甘んじて、ささやかな幸せに満足することを良しとしているようにも読めるが、この「知足者富」には「強行者有志」(強(つと)めて行う者は志有り)という語が続く。

老子は、足るを知ることこそが富であるとしつつも、志を持って努力することの重要性を説いている。足るを知るということは、満足や限界を知ることにもなるかもしれないが、必ずしもその先の向上心を否定するものではない。仮に外科医として「足るを知る」に至ったとしても、医師としての道や使命が無くなるわけではない。外科医や医師に限らず誰しも、一つの道や役割を極める、あるいはその限界を悟る状況に至ったとしても、その先の役割や使命、向上する余地が無くなるわけではないのだと思う。

知足者富(足るを知る者は富み)
強行者有志(強めて行う者は志有り)

[執筆/編集長 塩谷信幸 北里大学名誉教授、DAA(アンチエイジング医師団)代表]

医師・専門家が監修「Aging Style」