今季限りでの引退を発表した高松。サポーターに別れの挨拶をした29節・YS横浜戦でチームは首位に浮上し、最終節で昇格を決めた。写真:柚野真也

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 大分トリニータで16年プレーし、今季限りでスパイクを脱ぐ高松大樹は、クラブ創設23年目となる大分の歴史上、生え抜きで最も長くプレーした選手になる。高松は2000年に当時J2だった大分に加入し、生え抜き選手として初めてオリンピックに出場。日本代表にも選出された。
 
“ミスタートリニータ”として、クラブ史上最もファンに愛された選手は、J1では195試合・45得点、J2で162試合・29得点、J3で8試合・1得点をマーク。リーグカップ、天皇杯も合わせると、通算で87得点を記録している。
 
「チームが勝つことがすべて。そのためのプレーをすることがプロだと思う」と常々話していた高松は、自分のゴールよりチームの勝利を誰よりも喜んだ。しかし、チームの歴史に刻まれる数々のゴールを決めたのも事実。そんなミスタートリニータが、自身のベストゴールを5つ選んだ。
 
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5位
2004年 アテネオリンピック グループリーグ
日本2-3イタリア
 
「今でも思い出したくないし、試合も見てないです。決勝リーグに絶対に行けると思っていたのに、1勝しかできず予選敗退した悔しさは忘れられない。監督の(山本)昌邦さんを中心にまとまったチームでした。あのチームでずっとプレーしたかったし、本気でメダルを狙っていましたから、悔しい思いが一番強いゴールです。得点は阿部(勇樹)ちゃんのFKからでした。ニアに行くふりしてファーで合わせました。形としてはキレイなゴールでしたが、やっぱりあまり思い出したくないゴールです」
 
 
4位
2001年 J2・14節 大分3-1京都
 
「ビッグアイ(現・大銀ドーム)のこけら落としの試合でした。1週間前から県のおエラいさんとかが来て、『絶対に負けては困る』ってプレッシャーをかけるんです。(その年優勝した)京都はめちゃくちゃ好調で石さん(石粼信弘監督)はピリピリしていました。翌年に日韓ワールドカップが控えていて、俺はそんなスタジアムで試合出来ることが嬉しかった。今でもあの時のゴールは良かったと言ってくれる人がいるんです。最近ですかね、歴史に名を刻めて良かったと思うようになったのは」
 
 
3位
2005年 J1・3節 大分1-0浦和
 
「ダイビングヘッドでズドーンっていうゴールでした。(吉田)孝行さんのクロスを(松橋)章太が流し、飛び込んだ。初めてトリニータが浦和に勝った試合だった。ビッグクラブに勝つ喜びを味わえました。観客も3万人弱(2万8847人)入っていて、注目度の高い試合でした。今では考えられないけど、地鳴りのような声援が続くんです。ゴールが決まった後の熱気は本当に凄かった。あの頃のように大銀ドームが埋まってほしいです」
2位
2000年 J2・12節 山形0-2大分
 
「個人的に一番嬉しかったゴールです。プロ初ゴールですから。石さんが1年目の俺を使ってくれたんです。当時はJ1昇格のために即戦力ばかり集めていたチームだったから、高卒の俺が試合に出るなんて考えられなかった。あのゴールが入っていなかったら、その後のチャンスはなかったと思います。当時は考えられないくらい練習がハードでした。午前に筋トレして、午後から練習。その後の居残り練習では石さんのマンツーマン指導でしたから。おかげでプロの土台ができたけどキツかった……」
 
 
1位
2008年ヤマザキナビスコカップ決勝 大分2-0清水
 
「チームが最高の状態でした。あの年はリーグ戦で最少失点記録を更新したんですよね。(クラブマスコットの亀のニータンにちなんで)“カメナチオ”と呼ばれた鉄壁の守備のおかげで1点取れば勝てるという雰囲気がありました。攻撃する側としては気持ちが楽でした。あの得点はスカウティング通り。シャムスカ(監督)から清水のサイドが狙い目という指示があって、エジ(エジミウソン)がつないでムウ(金崎夢生)がいいクロスを上げたので合わせればいいだけでした。大分でタイトルを獲ることが目標だったので、最高のゴールでした」
 
取材・構成:柚野真也(フリーライター)