日本ハムの栗山英樹監督が、花巻東高の大谷翔平を獲得するにあたり「投打二刀流」を約束した。気持ちが大きくなったようで、栗山監督は中田翔の二刀流にも言及した。

野球というスポーツには一定の進化の道筋がある。初期の野球では、いちばん能力のある選手が投手で4番を務める。しかし、徐々に分業がはじまり、中心打者と投手は別個の選手が担うのが普通になる。そして指名打者制によって、投手は打席に立たなくなる。

「個体進化は系統進化を模倣する」というが、中学、高校では当たり前だった「エースで4番」は、プロでは見られなくなる。
栗山監督が言う「二刀流」はそれほど簡単ではない。

NPBで通算10勝以上し、かつ100安打以上した選手について調べてみた。
安打数順で並べてみる。グレーは現役。

Bat&Pitch20130114




野球進化の話を裏付けるように、機能分化が進んでいなかった昭和戦前、1リーグ時代に活躍した選手が上位に並ぶ。
川上哲治、西沢道夫、田宮謙次郎のように、投手から野手に転向した例も多い。
昔の投手は打撃が良くて、好きだったから成績を残しているが、あくまで「余技」である。

捕手と投手を掛け持ちした選手には野口明、服部受弘、多田文久三などがいる。呉昌征、野口正明は外野手と掛け持ちをしている。しかし、それらは選手数が不足していた1リーグ時代の話だ。

下位には最近の選手も並んでいるが、指名打者がないセリーグでは長くやっていれば、安打数も重なる。
現役でも、山本昌、三浦大輔がランクインしているが、二刀流とは無縁である。

MLBでは、ベーブ・ルースが94勝を挙げている。1918年には13勝を挙げながら11本塁打で本塁打王を取っているが、これは、二刀流というより、投手から打者への過渡期の記録だ。

登録選手数がNPBよりも少ないMLBでは、野手がマウンドに上がるケースがしばしばある。ニック・スイッシャーなどは嬉々としてマウンドに上がったのが印象的だったが、NPBでもこういう例があっても良いとは思う。

1971年、ヤクルトの三原脩監督は、左腕外山義明を1番投手で起用したことがある。この年外山は5勝11敗ERA3.25、打者としては95打数20安打3本塁打11打点.211を記録している。これなど「二刀流」と言えなくはないが、どちらも「二流以下」だったと言えよう。
外山のように短期的に二刀流をした選手は散見されるが、大成した選手はいない。

DH制のあるパリーグで投手が打線に並ぶのは、予想以上に困難が伴う。ルール上、二刀流選手が降板しても試合途中からDHを復活させることはできないから、以後も投手が打線に並ぶことになる。交替期などの問題が生じる。
遊撃手として先発し、救援投手としてマウンドにあがることは考えられよう。そこまでするだけの選手になっていれば、という話だが。

今の野球は、野手、投手ともにサインやフォーメーション、対戦相手のデータなど覚えなければならないことは多い。大谷は2倍の情報を頭に入れなければならないことになる。

チームとしては打者転向を奨めたいようだが、本人は投手にこだわりがある。「二刀流」は、そうした大谷の状況に配慮した栗山監督の「方便」なのだろう。

ただ、NPBの投手はもっと打撃に力を入れても良いとは思う。投手が決勝打を打つような面白い試合がもっと増えるべきだ。
まるで違う「職種」のように無関心で、やる気がないのは、「進化」というより「退化」だと思う。