教育が大事、と口ばかりでは取り返しのつかない時代になりかかっています。


今日届いた賀状の中に、高校教諭をしている友人からのものがありました。
(彼自身は、レベルで言うと中堅くらいの大学を卒業しています)
コメントにこんなことが。

漢字を書けない→いるよ。
九九できない→いるよ。

彼らの将来はどうなるのでしょうか?

念押しますけど「高校」ですからね
以前よりそんな人は存在しましたが、その割合が増えてきているように感じるのは、教育関係者であればみんな一緒じゃないでしょうか。


こんなコメントを出すと、次のような反論!?も考えられますね。

●漢字を書けなくても、九九ができなくても、仕事ができないことはない!

漢字を(余り)書けなくても、九九ができなくても、仕事に直結することはそこまでないかもしれません。
※私見では、実際問題、苦しむことが多いと思いますが、そこは百歩譲って…。
しかし、漢字を書けない、九九ができない、そのこと自体が問題というよりも、「これまでの教育課程を経て、高校の段階で漢字や九九をマスターしていないこと」に問題があると思うわけです。
このような人では、自分の従事する仕事に直結する「基礎知識」を、会社に入って学んでもらおうとしても、とても身につくとは思いませんから…。

もちろん、『オール1の落ちこぼれ、教師になる』を上梓された宮本延春先生のように、その後の目標設定と努力によって、高校時代に九九ができなくても克服される場合もあるでしょう。
また、宮本先生の場合は、家庭の事情などでなかなか勉強できない不幸な状況が形成されていた、という点もあります。

一般的に、「これまでの教育課程を経て、高校の段階で漢字や九九をマスターしていない」人が社会人になるのは、いろんな意味で危険ですよね。



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