「あなたの歌のおかげで離婚をやめた」秋元順子(79)が語る『愛のままで…』秘話 デビュー直後には“偽者”騒動も
第1回【音大を諦め、家業と育児で歌から離れた秋元順子(79) “騙し討ち”の9年ぶりステージで遅咲きの歌手人生が始まった】のつづき
結婚、出産を経てハワイアンバンドに復帰した後、ジャズへ転向し、セミプロとして歌い始めた秋元順子(79)。ひょんなことから共同で自費制作することになったCDがレコード会社の目に留まり、メジャーデビューにつながる。だが、“偽・秋元順子“が現れる騒動が起き……。
(全2回の第2回)
【写真を見る】家業の生花店で働いていたころ…ほか 貴重ショットで振り返る「秋元順子」の音楽半生
10歳の娘の言葉に背中を押され……
セミプロのジャズ歌手としてライブや営業活動をこなしていた当時、自身でライブハウスに出演交渉することも。地元の東京都江東区のライブハウスなどでは「原信夫とシャープス&フラッツ」の元メンバーとも共演した。

「後に原さんとレコーディング(2010年発売、2021年復刻の『SWINGIN'』)した際に、共演した3人の名前を原さんにお話ししましたら、びっくりしていました。『そうかそうか、彼らか』と喜ばれて」
家業の生花店との二足の草鞋を続けていたが、体力的にはきつかった。
「配達先で疲れがピークになり、このまま運転したら危ないと思って、路肩に駐車して少し仮眠していたんです。そうしたら窓を叩く音がして。見たらお巡りさん。ビックリしてすぐに説明して帰りました」
無理をしている自分に気付き、歌の道を進むことに迷いも覚えた。そんな秋元に、当時10歳だった娘がこう言った。
「娘は昔から私のことを名前で呼ぶのですが『順子さん、本当にやりたいならとことんまでやったら? 台所のことは手伝うから』と。一生懸命やっている姿を見てくれていたんですね。10歳でなかなか言える言葉ではないですね」
共同自費制作したインディーズ版CD「マディソン郡の恋」
娘にも背中を押されて歌手活動を続け、気付けば50代も半ばを超えた頃、運命を変えた出来事が起こる。
「ジャズクラブで歌っていたら、『マディソン郡の恋』という曲を作られた星桂三さんを友人に紹介されました。星先生は私の声が気に入り、『この曲に声を吹き込んで送り返してほしい』との伝言付きで、友人にデモテープを託したんです。不思議な曲と思いながらも歌を入れて送り返したところ、すぐに先生から電話が。『何日後に来られますか?』と」
その3日後にカラオケ店で行われたイベントで、デモテープ音源で「マディソン郡の恋」を歌ったところ、聴衆から「CDやテープが欲しい」との声が殺到した。星と2人で出資し合い、まずCDを2000枚作った。
「自分の声を求める人がいっぱいいることを目の当たりにしたのは、この時が初めてです」
自費制作のCDは最終的に6000枚を記録し、それが完売する頃、この曲がキングレコードの関係者の目に留まり、メジャーデビューを打診された。師匠の沢田靖司に最終的な相談をしに行くと、
「先生は『お前の声は日本に1人か2人しかいない声なんだから、やりたいならとことんやってこい。いい加減にやるならやるな。行き詰まったら相談に来い。どうしてもだめならいつでも帰ってこい』と。それで決めました」
メジャーデビューは2005年7月21日。58歳になっていた。
「生きている間に目の前を通る、いろんなチャンスをつかめる人とつかめない人がいる。この年齢でこういうチャンスは最後だろうと思いましたので、それを生かさずしてどうするの! って自分に言い聞かせました」
偽・秋元順子の出現!
ウルトラマンにしろ、仮面ライダーにしろ、人気者には偽者が出現するのが常。秋元にも現れた。
「岐阜の話だったと記憶していますが、偽者がディナーショーをやっていたそうです。たまたま私の友人が見に行ったら『あなたじゃなくてびっくり。お金返してって言いたかった』って。ただ結構歌も上手くて容姿も似ていたらしく、『知らなかったらあれはあなたと思うわ』って」
デビューシングルの「マディソン郡の恋」のジャケットは男女のシルエットで構成されていた。デビュー直後のCDには秋元の写真が使われておらず、本人の姿を知る人が少なかったことも“仇”となったのかもしれない。訴えることも考えたが「宣伝してもらったと考えましょう」と決め、2006年4月に発売したアルバム「マディソン郡の恋」からはジャケットに本人の顔を載せることにした。こうして小さな珍騒動は人知れず終わりを告げた。
アーティスト花岡優平とプロダクションの社長
デビュー時に所属していたプロダクションの社長は、秋元最大のヒット「愛のままで…」の作詞・作曲・編曲を手掛けた花岡優平の実弟だった。
「残念ながらもう亡くなられましたが、社長は本当に心血を注いで私を売ることに注力してくれました。各方面から『どうしてこんなおばさんをデビューさせるの?』なんて言われても社長は『僕はこの人の声に惚れきった。絶対売り出すんだ』と答えていたと10年以上も経ってから聞きました。本当に出会いに感謝です。(花岡兄弟の)お二人に出会うことがなければ、今ここにはいません」
兄の優平が作った「愛のままで…」にはさまざまな反応があった。
「キャンペーンで四国を回った際、一番前の方が折りたたみいすに正座をして、両手を合わせていました。つらいことがあったんだろうなと思ったんですが、後から聞くと違っていて、歌に対する思いが強く『ありがとうございます』の意味だったそうです。他の場所でも同じような人がいました。90歳と84歳のご夫婦が手をつないだままで聴いてくれていたこともあり、『これは私たち夫婦の歌です』とおっしゃった。そんな年齢の方が感動してくださる歌をいただけたことに感謝しつつ、歌うことには大きな責任があると思いました。また、離婚を考えていた私の友人が、最後の別れ話のためにドライブに行った際、流れてきた『愛のままで…』を二人で聴いていたら涙が出て、離婚をやめたそうです。あなたの歌のおかげだよと言われました。その後、この歌は『離婚防止ソング』とも言われました」
そんな経験を通じ、聴く人の魂に届くよう、「自分の魂から出る周波数を合わせる」ような歌い方に変えたという。数々のエピソードに優平は「離婚防止ソング? そんなつもりで作っていないよ」と苦笑いしたそうだが、聴く人の心や魂に届く歌だったことは間違いない。
「30代であの曲をいただいていたら、人間としての積み重ねがないので、ああいう歌い方はできていない。58歳でデビューしたのは、神様に『あなたはもっと積み重ねなければいけないことがあるからしばらく待って』と言われていたということだな、と」
近年のコンサートでは、客層に変化が表れてきたという。
「ジャズのライブハウスの頃から9割は女性のお客さんでした。それが今、男性が3割まで増えた。最近では16歳の男の子も。お父様と一緒にいらしていたので、てっきりお父様がファンでついてきたのかと思いましたら、息子さんがファンでお父様は付き添いだったんです(笑)」
「ディアレスト〜シングル・ベスト」を発売
6月17日にベストアルバム「ディアレスト〜シングル・ベスト」を発売した。2枚組26曲入りで、「愛のままで…」などのヒット曲に加え、新曲「ヒストリー」「母の祈り」が収録された。
「『ヒストリー』は作詞の紙中礼子先生の思いを教えてもらいました。『年を重ねてから恋をしている女性の主人公が、大切にしたいその出会いを人生の歴史として残したい』とのことでした。私はその主人公をいくつもの恋をしてきた女性と読みました。人は恋をするとき、永遠に続くと思うことが多いと思うんです。でもいつか終わりは来る。歌詞にあるように、枯れ葉1枚分でも愛し合えたことが幸せと伝わるように。『母の祈り』はもともとペギー葉山さんの曲(「祈り」)で、ペギーさんも私と同じようにジャズ界からいらした方。私がデビューすぐの頃、ご挨拶をさせていただいた際、『あなたもジャズを捨てずに頑張って』と言われてとても嬉しかったことを覚えています」
新曲だけでなく、アルバム自体が秋元の“ヒストリー”でもある。
「私の歌人生の宝物が詰まっています。聞いてくださる方も、それぞれの年代に合う歌もあると思いますので、ご自身の人生と重ね合わせて聴いていただければ嬉しいですね」
***
第1回【音大を諦め、家業と育児で歌から離れた秋元順子(79) “騙し討ち”の9年ぶりステージで遅咲きの歌手人生が始まった】では、音楽好きの小中高時代を経て、音大を諦めるも会社のハワイアンバンドで活躍を始めたことなどについて語っている。
デイリー新潮編集部
