「頭蓋骨がパックリ割れた」4トントラックに轢かれ車両の下敷きに…表舞台から“突然”姿を消した人気アニメ声優が明かす、凄惨な交通事故の一部始終
アニメ『日常』の東雲なの役などで知られる声優の古谷静佳さん(37)は2015年、27歳の誕生日を目前に、深夜の交差点で4トントラックに巻き込まれる交通事故に遭った。一命は取り留めたものの、頭蓋骨骨折、くも膜下出血を負い、記憶障害も残ったという。
【画像】4トントラックに轢かれ頭蓋骨骨折の重傷を…交通事故に遭った日の古谷静佳さん(当時26歳)
事故直後の壮絶な闘病生活、家族や友人の支え、そして今も残るトラウマについて振り返った。(全3回の1回目)

古谷静佳さん ©佐藤亘/文藝春秋
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「これだ!」平野綾の活躍を見て声優の道へ
――今回のインタビューでは2015年、交通事故に遭ったお話を中心にお聞きできればと思います。思い出すのはつらいかもしれないですけれど、大丈夫でしょうか。
古谷静佳さん(以下、古谷) 大丈夫です。今は生きていますし、もう笑い話にしています。
――まず初めに古谷さんが声優になるまでのお話をお聞きしたいんですが、いつ頃から声優を目指されたんでしょうか。
古谷 ちょっと恥ずかしいんですが、高校生の時は歌手になりたくて。デモテープを作ってレーベルに送ったりしていたんですが、もう全然ダメで。ただ芸能のお仕事をしてみたいと思っていたんです。
高校を卒業したあとは地元・秋田のドラッグストアで働いていたんですが、当時『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメが爆発的に人気で、主人公の声を演じられた平野綾さんがアニメの声だけでなく、自らも出て、歌ってという姿を見た時に「これだ!」と思って。すぐに声優について調べました。その後、雑誌で見つけた声優事務所のオーディションを受けて、合格しました。ただ演技経験はなかったので、一旦事務所の養成所に入りました。
――養成所だと、当然給与とかはありません。
古谷 はい。なのでお金は大変でした。秋田で100万円を貯めてから上京したんですが、東京に来てからすぐスーパーのレジ打ちのアルバイトを始めました。若かったのでできたんですけど、本当にバイト三昧みたいな感じでしたね。
最初に受けたオーディションで審査員の方に気に入ってもらえて、デビュー前からお客さんの前で演劇や歌の活動をさせてもらい、それがお小遣い稼ぎにもなっていました。
――声優デビューしてからはどうだったんですか。声優だけで食べていくのは難しく、なかなかアルバイトを辞められないとは聞くんですけれども。
古谷 私は2011年に『日常』という作品の東雲なの役でデビューさせていただきました。ありがたいことに、当時はまだ事務所には正式所属じゃなく研究生の時でした。『日常』の仕事は、ブルーレイの特典映像で日本中にロケに行って撮影をしていたので、もうアルバイトをしている時間もなくて。その時は大変でしたが、生活は安定してました。あと、他のアニメの仕事とかもあったりして。
ただ、25歳くらいにちょっと詰んでくるじゃないですけど、だんだんお仕事が減ってきたりと壁にぶち当たり、2014年には事務所を退所しフリーになりました。
「今日は歩いて帰ろう」誕生日の前祝いの後、交通事故に
――交通事故に遭ったのはいつ頃だったんでしょうか。
古谷 フリーになった翌年の2015年、私が26歳の時です。事故当日は、私の誕生日の前祝いみたいな感じで友達と会って、気分良くなっていたんです。それで「今日は歩いて帰ろう」と最寄駅の一駅前から降りて歩いて帰った時に事故に遭いました。深夜0時前くらいだったと思います。トラック側の完全な不注意で助手席の人間と話しているうちによそ見運転をして事故になったみたいです。
事故に遭ったのは後から知ったんですが、もともと交通事故のすごく多い交差点でした。私が交通事故に遭う少し前にも、同じ交差点で男の子が亡くなったそうです。私の交通事故をきっかけに事故の対策がされたと聞いています。
――事故に遭ったのはどんな車両だったんですか。
古谷 4トントラックでした。右折する時に私のことに気づかず、そのまま巻き込まれた形だったらしいんですが、事故当時の記憶がなくて。ただ発見された時には、意識不明の状態でトラックの車両の下にいたそうです。たぶん倒れた時に不幸中の幸いで、タイヤとタイヤの間にいたようで、それで事故に巻き込まれながらも奇跡的に生きていられたんです。
――九死に一生ですね。怪我はどうだったんですか。
古谷 体の方は擦り傷くらいで骨折すらしてなかったんです。若干、鼻血出てたぐらいで。顔も綺麗なままだったので「それは本当に良かったね」といろんな人に言っていただきました。ただトラックがぶつかる全部の衝撃を頭で受けてしまって。頭蓋骨骨折とくも膜下出血になりました。あと記憶障害にもなりました。
3日目覚めず緊急治療室に…母には「覚悟してください」と説明が
――事故の直前や直後で覚えてることはありますか。
古谷 確かな記憶はないんですけど、運ばれていった病院の中をストレッチャーに乗せられて連れていかれた時に「意識ありますか!」と聞かれて、自分の名前や住所、家族構成も全部言っていたみたいです。あと全然詳しくないのに、なぜか王貞治さんの話をしていたみたいで。なんでだったのか、いまだにわからないんですが、そこだけはすごく覚えています(笑)。
――意識を回復したのは事故からどのくらい経ってからだったんですか。
古谷 3日くらい目が覚めず、緊急治療室に入っていたみたいです。目が覚めると個室にいて。なんとなく自分がトラックにひかれたというのはわかったんですよ。体を見るといろんな管にいっぱい繋がれていて。頭蓋骨を骨折していたので髪が洗えず、血まみれでした。
――事故後に意識が戻った時のご家族の反応などは覚えていますか。
古谷 母はもう疲れ切っていました。後で聞いたんですけど、事故直後にお医者さんから「もし不整脈が出たら死の危険があるから、その時は覚悟してください」と説明をされてたらしいんです。母が働いてる職場に病院から電話がかかってきて「不整脈が出ました」と言われた時には、もう本当に気が気じゃなかったと話していました。ただ、それでも私は回復したので、お医者さんからは「本当に生命力がすごい」と言われました。
「痛い!」「死にたい!」回復するまでの地獄の日々
――怪我についてですが、頭蓋骨がパックリ2つに割れたそうですね。
古谷 はい。頭蓋骨骨折は手術をするとかじゃなくて、骨がくっつくのを待つしかなくて。そこからはもう地獄の日々でした。頭がパックリ割れているので毎日「痛い!」「死にたい!」とずっと叫んでいたらしくて。正直なところ私自身はあまり記憶にないんですけど......。ただ看護師さんたちも何もできなくて、時間が解決するしかないのでただ「かわいそうに」みたいな感じだったみたいです。
――痛み止めの薬などは効かないんですか。
古谷 もう全然効かなくて。おそらく薬で少しは痛みが減っているけれど、それでも痛い。本当に経験したことない痛みでした。
――それはつらいですね。ほかに症状などはあったのでしょうか。
古谷 意識が戻ってすぐの頃は左半身が麻痺していましたし、目が見えなくなる瞬間が何回もあったんです。目の前が真っ白になる感じで。たぶん頭に衝撃を受けたので、その反応だったのかもしれないんですけれど。ただお医者さんも症状については説明してくれなくて。「大丈夫ですよ」という言葉もなかったので「え、これは何?」「目が見えなくなっちゃうの?」という恐怖はありました。
あと体が麻痺して自分では動けないんで、しょうがないことなんですけれどトイレを看護師さんにお世話してもらうんです。その時は「私、トイレも一人で行けなくなっちゃったんだ」とつらかったですね。
これは今もなんですが、事故後に低ナトリウム血症になりました。簡単に言うと、体内から塩分がどんどん流れていってしまう体質になったんです。交通事故に遭った人がよくそうなるそうなんですが、私も常に塩分が体の中にない状態が改善されなくて、それで結構長引いていました。ずっと貧血みたいな症状で、疲れやすかったり、常に眠かったりします。あと夏場は汗で塩分が体から流れてしまうので、タブレットを今でも持ち歩いています。
――事故に対する仕事仲間や友人の反応はどうだったんですか。
古谷 養成所の仲間や先輩、友達がお見舞いに来てくれました。事故前はあまり遊んだことがなかった子も会いに来てくれて、ありがたいなとも思いましたし、私はたくさんの人に支えられてるんだなと感じました。友達がみんな私が死ぬかもしれないと考えて本当に怖かったと話していました。
「速く動くものが本当に怖い」今も残る事故のトラウマ
――事故当時の記憶は曖昧でも、トラックに巻き込まれたという事実は残りますよね。今もトラックや車に恐怖はありますか。
古谷 退院した当初は、街を普通に歩けないくらいありました。電車もすごい怖いんです。誰かに押されるかもしれないと考えて、ホームでもちょっと遠くに立ったりしてました。速く動くものが本当に怖い。
普段生活をしていて車に乗ることはないんですけど、仕事でたまにタクシーに乗ったりとかすると、もう怖くてしょうがない。「速い!」って感じてしまって。時速30キロぐらいで走ってほしいと思っちゃいます。
〈「なくなっている記憶がある」「スマホに写真が残っているのに…」4トントラックに轢かれ重傷を負った声優・古谷静佳が語る、事故後に感じた“異変”の正体〉へ続く
(徳重 龍徳)
