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多大な影響を与えたデザイナー

ジョルジェット・ジウジアーロ氏は、史上最も影響力のある自動車デザイナーと言われている。1955年、ジウジアーロ氏は学生展に作品を出展し、そこでフィアットの技術責任者ダンテ・ジアコーサ氏の目に留まった。その後の展開は、ご存知の通りだ。

【画像】ジウジアーロが手掛けた美しいクーペ【マツダ・ルーチェ・ロータリークーペを詳しく見る】 全24枚

本特集では、過去数十年でジウジアーロ氏が生み出した素晴らしいデザインの数々を見ていきたい。中には極めて希少なモデルもあれば、非常に一般的なモデルもある。もしかしたら、あなた自身も彼のデザインしたクルマを運転したことがあるかもしれない。


ジョルジェット・ジウジアーロ氏が手掛けた印象的な作品を50台紹介する。

ゴードン・キーブルGT(1960年)

すべてはここから始まった。1964年から1967年の間にわずか100台しか生産されず、ほとんど知られていない英国車だ。

ゴードン・キーブルGTはスチール製シャシーにグラスファイバー製のボディシェルを採用し、コルベットの5.4L V8エンジンを搭載している。熱心なオーナーズクラブのおかげで、生産された車両のほぼすべてが現存している。


ゴードン・キーブルGT(1960年)

フェラーリ250 GT SWBベルトーネ(1960年)

フェラーリが創業から6年を経て発表したのが250だ。この名称は、3.0L V12エンジンのシリンダー1本あたりの排気量が250ccであることに由来する。

250シリーズには数多くのバリエーションが存在するが、中でも最も人気を集めているのが250 GT SWBだ。機動性の向上と軽量化を図るため、ホイールベースを200mm短縮したことからSWB(ショートホイールベース)と名付けられた。主にレーシングカーとして開発されたが、公道走行用の車両も少数生産された。


フェラーリ250 GT SWBベルトーネ(1960年)

BMW 3200 CS(1961年)

BMWの有名な「ホフマイスター・キンク」を初めて採用したモデルである。この名称は当時のデザイン責任者ヴィルヘルム・ホフマイスター氏に由来するが、実際にこのデザイン要素をBMW車に取り入れたのは、当時ベルトーネに在籍していたジウジアーロ氏であった。

ただし、彼がこのデザインを初めて採用したわけではない。数年前にランチアがすでに採用しているのだ。


BMW 3200 CS(1961年)

イソ・リヴォルタIR 300(1961年)

お世辞にも「美しい」とは言えないが、このリヴォルタは1960年代で最も高性能なグランドツアラーの1つだった。ゴードン・キーブルと同様に5340ccのコルベットV8エンジンを搭載し、ベルトーネのデザインスタジオに在籍していたジウジアーロ氏によって設計された。同氏とベルトーネは後に競合関係となる。


イソ・リヴォルタIR 300(1961年)

アストン マーティンDB4 GTベルトーネ「ジェット」(1961年)

アストン マーティン DB4 GTに外観の改善が必要だったとは思えないが、ベルトーネはこの難しい仕事に挑戦した。

信じがたいことだが、ワンオフモデルであるにもかかわらず、この「ジェット」はスチール製ボディを採用しているため、ベース車よりも重量が重い。レース用として製作されたことを考えれば、これは理想的とは言えないだろう。


アストン マーティンDB4 GTベルトーネ「ジェット」(1961年)

ASA 1000 GT(1962年)

エンツォ・フェラーリは1960年代初頭、小型スポーツカーの製作構想を練り、その結果としてASA 1000 GTが誕生した。

フェラーリの3.0L V12エンジンの実質3分の1に相当する1.0L直列4気筒エンジンを搭載し、250 GTOのデザイン要素も取り入れている。しかし、フェラーリは本格的なスーパーカーに専念するため、このプロジェクトは独立して進められることになった。


ASA 1000 GT(1962年)

シムカ1000クーペ(1962年)

ジウジアーロ氏はまだベルトーネに在籍していた頃、この愛らしい小型クーペを考案した。当初は944ccエンジンを搭載していたが、1967年に1204ccへとアップグレードされた。

初期モデルは最高速度がわずか140km/hにとどまったが、後期モデルでは170km/hにまで達した。


シムカ1000クーペ(1962年)

アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGT(1963年)

1962年、アルファ・ロメオは角ばった形状の105シリーズのジュリアセダンを発売した。ジウジアーロ氏は、より魅力的な2ドア版のデザインを任された。

それが1963年、1570ccのフルアルミ製ツインカムエンジンを搭載したジュリア・スプリントGTとして登場した。その後、1.3L、1.8L、2.0Lエンジンが追加され、後者の2つは同じくジウジアーロ氏が手掛けたスプリントGTVにも搭載された。


アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGT(1963年)

マツダ・ファミリア(1963年)

ベルトーネ在籍時のジウジアーロ氏は、決して怠慢ではなかった。1960年に初の軽自動車を発売したマツダは、3年後にファミリアの小型セダンとステーションワゴンを投入し、高級路線へ進出した。782ccから987ccの4気筒エンジンを搭載している。


マツダ・ファミリア(1963年)

イソ・グリフォ(1963年)

長年にわたり、米国エンジンを搭載した欧州のスーパーカーやグランドツアラーは数多く登場してきたが、イソ・グリフォはその中でも最も謎めいた1台だ。

初期のグリフォはシボレーまたはフォードのV8エンジンを搭載し、その排気量は5.4Lだったが、1970年からは395psを誇る強力な7.5Lユニットが導入された。


イソ・グリフォ(1963年)

アルファ・ロメオ・カングーロ(1964年)

1960年代、アルファ・ロメオはTZをベースにして少量生産のスポーツカーを開発する際、ピニンファリーナとベルトーネの両社にTZのシャシーを提供し、デザイン案を提示するよう求めた。カングーロはベルトーネによる作品であり、ジウジアーロ氏がデザインが担当したものだ。

1.6L直列4気筒エンジンを搭載したカングーロは見事な外観だった。しかし、アルファ・ロメオは腰が引けてしまったのか、どちらの提案も実現しなかった。


アルファ・ロメオ・カングーロ(1964年)

イノチェンティ186 GT(1964年)

この幻のスポーツカーは、イノチェンティとフェラーリの共同開発によるものだ。計画では、フロントに1.8L V6エンジンを搭載する後輪駆動の小型2+2クーペとなるはずだった。

開発は進み、ほぼ量産準備が整った段階で計画は頓挫し、製作されたのはわずか2台のみ。そのうち1台が現存している。


イノチェンティ186 GT(1964年)

フィアット850スパイダー(1965年)

フィアット850は、1960年代後半のイタリアで最も人気のある小型ファミリーカーの1つだ。売れていたのはほとんどセダンだったが、クーペや7人乗りミニバンも(本当に)存在する。そして、ベルトーネのジウジアーロ氏が手掛けた、洗練されたデザインのコンバーチブルもある。


フィアット850スパイダー(1965年)

マツダ・ルーチェ(1966年)

1960年代を通じて、マツダは高級車市場への進出を模索し続け、1966年にルーチェが登場した。当初は1.5Lエンジンのみが設定されていたが、1968年末には1.8Lエンジン仕様も追加された。

1年以内にロータリーエンジンを搭載したバージョンも登場することになる。これはマツダ車で唯一、前輪駆動を採用したヴァンケルエンジン搭載モデルである。


マツダ・ルーチェ(1966年)

デ・トマソ・マングスタ(1966年)

イタリアのデザイン会社ギア(後にフォードに買収された)に在籍していた時代のジウジアーロ氏によってデザインされたマングスタ。知名度の高いパンテーラの前身にあたる。

パンテーラと同様に、マングスタもフォード製V8エンジンを搭載し、最高速度は約257km/hに達する。


デ・トマソ・マングスタ(1966年)

マセラティ・ギブリ(1966年)

マセラティは過去半世紀ほどの間に3種類のギブリを生産してきたが、このモデルが初代であり、群を抜いて美しい。

ギブリという名は、リビアの砂漠に吹く、熱く乾燥した風にちなんで名付けられた。ジウジアーロ氏がギアに在籍していた頃にデザインしたクルマで、フロントには4.7L V8エンジンを搭載し、後に4.9Lへと排気量が拡大されている。


マセラティ・ギブリ(1966年)

(翻訳者注釈:この記事は「中編」へ続きます。)