海外からは「日本人」ってどう見えてるの?…ある人類学者が提唱した「超重要キーワード」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

日本研究の名著

アメリカ人類学における重要人物、ルース・ベネディクトの著作として『菊と刀』を取り上げてみましょう。この本のタイトルを聞いたことがある人も多いかもしれません。日本国内では日本研究の書としてよく知られています。

ベネディクトは日本を一度も訪れないままこの本を書いたのですが、だからといって彼女がフィールドワーカーでなかったわけではありません。ベネディクトは1922年にセラノ、1924年にズニ、翌年にズニとコチティ、1927年にピマのフィールドワークを行い、1931年以降には学生とともに、アパッチやブラックフットという、数々のネイティブ・アメリカンの現地調査を行っています。彼女も師であるボアズの考えを引き継いで、急速に失われゆくネイティブ・アメリカンの伝統文化の記録を残すべきだと考えていたのです。

ベネディクトは第二次世界大戦が始まると、アメリカ軍の戦時情報局に召集されます。1944年に日本研究の仕事を委嘱され、その時まとめられた報告書をもとにして、戦後の1946年に『菊と刀』を出版しています。

彼女は『菊と刀』の第1章で、現地に行かないで日本研究を行うことに関して、アメリカには日本で育った日本人がたくさんいて聞き取りが可能であり、また過去に蓄積された日本研究の厖大な資料を参照することができる状況だったと述べています。

この著作に関しては、日本人がどんな国民であるのかを解明してほしいという依頼をアメリカ軍から引き受けた点で、人類学が戦争協力に与したという指摘があります。たしかにそうなのでしょうが、事情はもう少し複雑かもしれません。

それはアメリカという特有の政治状況の中で、人類学が発展してきた事実にも関わっています。すでに述べたように、アメリカ人類学はファシズムや共産主義思想に対抗し、民主主義を守るための理想を追求するという観点から発展を遂げていきました。そうした政治状況の中で『菊と刀』は書かれたのです。

『菊と刀』は、日本の「恥の文化」と欧米の「罪の文化」を対比的に語っている本であると評されます。ベネディクトは、欧米の「罪の文化」は、善悪の絶対的基準を用いて良心の啓発を説く、キリスト教をベースにしていると見ます。その観点から、人々は神の視点を内面化し、罪の意識という強制力によって自己を律し、善行に♯勤{いそ}しむのです。

「罪の文化」と「恥の文化」

それに対して「恥の文化」では、善悪の絶対的基準となるものがありません。「恥の文化」にいる人々は、「世間の目」によって自分の行動を決めると言います。要するに、人からどう見られているかを基準にして生活を送っているのです。他人からの批評という外面的な強制力に基づいて日常の振る舞いが決められるのです。

日本人は、恥辱感を原動力としています。世間の目を気にしながら、恥をかかないように自己を抑制するのです。ベネディクトはそこから論を進めて、日本人たちは、恥をかくことがないように自分で自分を監視するために、「無我」の境地や「死んだつもりになって生きる」ことを理想としているのだと、とてもユニークな解釈を提示しています。

こうした分析の根底にあるのは、文化相対主義的な視点です。彼女は欧米の文化と日本の文化、「罪の文化」と「恥の文化」には優劣はないという前提から持論を展開しています。

ただ、『菊と刀』最終章の「降伏後の日本人」でベネディクトが述べていることは、文化相対主義と矛盾するかもしれません。ベネディクトは、アメリカの民主主義の理念である個人主義や契約の概念に合致しない非民主的な制度や慣習は廃止しなければならないと断じています。そして文化は学習可能だとするボアズ以来の見方に沿って、日本はアメリカの民主主義的な国家に生まれ変わらなければならないと唱えるのです。つまり、アメリカの民主主義という方便に、文化相対主義が無残にも組み込まれてしまっているのです。

「生のあり方」を探究するアメリカの人類学はここへ来て、現実への提言をする中で、大きな困難を抱え込んでしまったのだと言えるのかも知れません。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

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