パキスタンの病院で撮影した子どもを亡くした家族の写真(写真:『晴れ、そしてミサイル』撮影:渡部陽一)

連日のように世界のどこかで戦いが起き、誰かの生命が失われている。目を背けたくなる残虐な映像も流れてくる。このような日々に私たちはどう向き合えばよいのだろう。『晴れ、そしてミサイル』を上梓した戦場カメラマン、渡部陽一氏はロシア軍の軍事侵攻後、ウクライナを4回訪れているほか、31年にわたってイラク戦争やアフガニスタン紛争、パレスチナ紛争など世界各地の戦場でシャッターを切り続けてきた。そのような渡部氏だから感じてきた戦場のリアルについて話を聞いた。

(前回:『「戦場での取材」私たちが知らないリアルな裏側』)

渡部さんが考える戦争がなくならない原因

ーー新著では戦争がなくならない原因は「貧困と孤独」にある、と述べています。

世界中でほぼ100%に近い方が戦いを望んでいないのに、戦争が繰り返されています。どうしてこんなにも悲しい戦争が続くのか。国と国の外交戦術であったり、領土問題や民族・宗教間の戦いであったり、理由はさまざまですが、実際に戦地へ足を運び、現地の人たちとともに暮らしながら記録を残していく中で気づいたことがあります。


渡部陽一さん(撮影:尾形文繁)

まず戦争やテロの根っこにあるものは「貧困」だということ。貧困によって暮らしが脅かされ、家族や子どもたちの命が危険にさらされている現実を前にすれば、「生きるためには武器を取らざるをえない」という極限の状態につながっていきます。貧困が人を追いつめ、テロ行為や戦争へと駆り立てていくのです。

そして、愛する人を守るために戦わざるをえない、という現実もあります。目の前でわが子や恋人、妻が殺害された。殺人者はすぐそばでお茶を飲んだり、タバコをふかして笑ったりしている。

そんな残虐な状況、悲しみに直面した時、人は「戦ってはいけない」「やり返してはいけない」とわかっていても報復してしまうのです。極限状態になれば世界中どこの国の人でも同じです。この報復の連鎖で、戦争は繰り返し起こっているのではないでしょうか。


ウクライナ・キーウ取材中の様子(写真:『晴れ、そしてミサイル』)

僕が戦場カメラマンになったきっかけでもあるルワンダ内戦では、ジャングルで少年のゲリラ兵に遭遇したのが大きな衝撃でした。

アフリカで繰り返されてきた民族間の衝突は、力を持った者が法律やルールを一切無視して、力だけでその地域を管理していく戦いです。そこでは戦いを制する手段として子どもたちを強制的に集落から奪い去り、麻薬や家族を殺害するという脅しで支配します。

狂気の中で理性を壊された子どもたちが、争いの前線に立たされている。それがアフリカにおける民族衝突の残虐な一面でした。

淡々とSNSで発信する理由

もちろん本当は誰も戦いたくない。けれど家族が傷つき、殺されないよう武器を持って戦わなければいけない。そこには教育や医療、人道支援、国際法といったものは届いていません。「戦ってはいけない」「子どもたちを犠牲にしてはいけない」といった世界の人々がスタンダードに思う感覚も存在していません。

アフリカや中東、中央アジアといった国々は一見、地図で見ればつながっているように見えます。しかし飛行機で飛んでいって取材ができる地域は都市部に限られていて、ジャングルや砂漠、山岳地域の中には何百年も前から変わらない生活習慣で暮らしている人たちがいます。

このような場所で、突如として石油やダイヤモンドなど富を産む資源が見つかったとき、長年続いてきた歴史と暮らしのバランスが壊れ、富の奪い合いから争いが起きます。これも貧困がもたらす戦争の現実であり、戦いに駆り出されるのは若者たちである、ということは共通しています。

――SNSでの発信にも力を入れられていますが、淡々と事実だけを書いている印象です。何か理由があるのですか。

若者たちに戦争の事実を知ってもらうため、X(旧Twitter)、Instagram、TikTokに加え、音声配信ブログのVoicyで情報を発信しています。

個人的な見解は述べず、数字やデータといった事実ベースの情報だけを淡々と伝えているのは、僕の発信を見た若者たちがその事実をきっかけに、自らの力で背景や歴史、状況の見通しなどを知ろうとする入り口にしてほしいからです。世界を知る“スイッチ”を押してもらうために、とにかく確かな情報だけを出し続けています。

――戦争が起きるとフェイクニュースも拡散されます。情報を受け取るときの注意点とは。

ウクライナへの軍事侵攻が始まったころ、ロシア軍のパラシュート部隊がキーウ国際空港へ一斉に降り立つ映像や、キーウに向かう戦車の隊列だとする映像が拡散されましたが、僕は「できすぎている」と思いました。

30数年、戦場で撮影をしてきましたが、爆発や攻撃は前触れなく突然起きます。まるで映画のように劇的な瞬間が撮れることは稀(まれ)なのです。

戦場では撮影できる場所にも限りがあります。それなのに、まるで事前に事態が起きるとわかっていたかのような位置からカメラを構え、映画のような映像が撮れているとしたら“違和感のアンテナ”が立ちます。

しかし「戦争が始まったらしい」というタイミングでストーリー性のある映像を受け取ると、うっかり信じてしまうものです。現代の戦争は、情報を管理するものが戦いを優位に進めます。遠く離れた日本に住む私たちも、知らないうちに情報戦に巻き込まれているのです。

気持ちのいい情報には“要注意”

極端にインパクトのある映像や、ストーリー性の高い映像はフェイクニュースであったり、あらかじめ組み立てられた情報であったりする可能性が高いので要注意です。

もちろん普段からフェイクニュースに騙されないよう気をつけている人も多いでしょう。しかし情報感度の高い人でも忙しくて疲れていたり、抑えられない怒りで気持ちがいっぱいだったりすると、いつもならバリアを張っている偽の情報、リスクの高い情報に引っ張られていくかもしれません。


イラク戦争の戦場で生まれた子ども(写真:『晴れ、そしてミサイル』撮影:渡部陽一)

またフェイクニュースにだまされる以前に、私たちが受け取るニュースやSNSの投稿が関心の高い情報にカスタマイズされている、という問題もあります。

それぞれの好みや特性を考慮した情報は“心地よい”ものなので共感し、時間を忘れて没頭してしまいがちです。一方でそれは多様な意見に触れ合う機会を閉ざし、自分自身が特定の情報に管理されてしまっている、という状態でもあります。

だから僕は、受け取る情報が自分にとって気持ちのいい情報ばかりに偏っている、と察知したときは一歩引くようにしています。具体的にはスマホの電源を切ったり、パソコンを閉じたり、情報からいったん離れることを意識しています。気持ちのいい情報には要注意、です。

――イスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘では、毎日のように悲劇的な映像が流れてきます。私たちはこの現実にどう向き合えばよいのでしょうか。

日々、目を覆いたくなるような映像がたくさん流れてきます。遠く離れて住む僕たちに何ができるのか、誰しもが感じていると思います。


渡部陽一(わたなべ・よういち)/1972年、静岡県生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒業。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。イラク戦争では米軍従軍(EMBED)取材を経験。これまでの主な取材地はイラク戦争のほかルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、スーダン、ダルフール紛争、パレスチナ紛争、ロシア・ウクライナ紛争など(撮影:尾形文繁)

僕から言えることは一つ。自分が好きなこと、やりたいこと、触れてみたいことをどんどんやってください。日本で暮らしていても、時間はかかったとしても、世界とつながる入り口は日常の中にたくさんあるからです。

世界へ目を向ける入り口はたくさんある

「これってなんだろう」「これを聞いてみたい」「私はこれが好き」……。音楽やファッション、グルメ、ゲームなど大好きなことに熱中していると、情報化社会の現代では必ず世界の人とつながる瞬間が来ます。


例えばファッションという関心が世界へ広がっていったとき、ウクライナやイスラエル、パレスチナの人とつながる機会があるかもしれません。

その人が暮らす国でなぜ戦争が起きているのか、なぜ傷つけあっているのか。その人自身のこと、その人の国のことを少しでいいから考えてみる、自分自身に重ねてみる、心に寄り添ってみる……。そのような関係性は、それぞれの「大好きなこと」から生まれてくると思うのです。

悲惨な映像を見て悲しむ心、自分には何ができるだろうかと考えること、戦争が起きている背景を学ぶことももちろん大切な力となります。

一方、世界へ目を向ける入り口は、自分の「好き」にもあります。平和とは自由にやりたいことをやれること。肩の力を抜いて、時間がかかってもいいから、自分のペース、スタイルで世界への関心、世界とのつながりを持ち続けてほしいと願っています。

(吉岡 名保恵 : フリーライター)