高等専門学校から大学に編入。さらに浪人を決意した理由とは?(写真: mits /PIXTA)

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は首都圏の高等専門学校から筑波大学に編入学するも、仮面浪人をして京都大学に2年次編入学し、現在京都大学工学部情報学科数理工学コース4年生の水無月さん(仮名)にお話を伺いました。

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高専→筑波大で仮面浪人する

高等専門学校という機関を、みなさんは知っていますか。技術者を養成することを目的とし、全国に57校、約6万人の学生が通う中学校卒業程度を入学資格とした高等教育機関です。


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この「高専」は原則として5年間の一貫教育が行われ、卒業者の約6割が就職を選ぶ学校ですが、一般的にその環境から大学に進学をする人は「編入学」という手段を使います。

今回お話を聞いた水無月さん(仮名)も編入学試験で一度、筑波大学に合格して進学しました。

しかし、彼は編入学で入った筑波大学で仮面浪人をし、再び編入学試験を受けて京都大学に入学します。高専から進学を決めた理由は?彼が再度受験を決意したのはなぜだったのか。彼の人生に迫っていきます。

水無月さんは銀行員の父親とテーマパーク勤務の母親のもと、千葉県船橋市に生まれました。小学校1年生の直前に我孫子市に引っ越してからは、中学校卒業まで同市で過ごすことになります。

「幼少期からすでに親のパソコンを触ってGoogle検索やYouTubeを見ていた」と語るように利発な子どもであった彼は、くもんとそろばんなどの習い事にも通わせてもらったこともあり、優秀な成績で公立の中学校に進学しました。

しかし、ここから生活習慣が乱れ始めたそうです。

「中学1年生になっても定期試験では8〜9割をキープしていました。でも、中学2年生になってから、朝3〜4時まで『小説家になろう』というサイトとゲームを行き来する生活を送るようになっていました。その結果、授業でほとんど寝るという昼夜逆転の生活を送ってしまい、定期試験では7割を切るようになりましたし、9教科それぞれ5点満点の内申点の平均が3点を切るくらいになっていました」

テストの点数は下がったものの、得点率だけを見ると悲観するような成績ではないように思えます。ですが、千葉県の公立進学校に進むためには内申点がほかの受験者よりも平均より1点以上低いことが問題だったそうです。一般的な受験が厳しい状況で、彼に人生の転機をもたらしたのは、小学6年生から始めたTwitter(現・X)でした(注:当時Twitterには年齢に対する規約がありませんでした)。

高専入学後の寮でのつらい経験

「当時、僕は『太鼓の達人』というゲームにはまっていて、Twitterで知り合った人とゲームセンターで遊んでいたんです。そこで知り合った高専の人に、『確実に手に職をつけたいなら高専がいいよ』ってアドバイスをいただいたんです。それで調べてみるとその高専は学力が上位なら内申点が関係ないことを知り、オープンキャンパスに行って面白そうだと思ったこともあって受験することを決意しました」

中学校3年生になってからの彼は、東京進学ゼミナールに通いながら勉強に力を入れます。「この年はけっこう勉強した」と語るとおり、彼は高専と、内申点がいらない私立高校を受験し、首都圏の高専に加えて私立高校2つに合格しました。

「高専に行くことに迷いはなかったのですが、僕の出身地である我孫子から行く人がいないというのが心配でした」

最終的には高専の電気電子工学科に入学することを決め、家が遠いこともあり、高専の近くの寮に入ることにした水無月さん。しかし、この寮に入ったことが彼の生活に暗い影を落とします。

「入寮してからすぐ、上級生から1年生が呼ばれて、挨拶の練習をさせられたんです。『足を90度直角に揃えて、大声でこんにちは!って言いながら挨拶しろ』と言われまして……。

この時点ですでにヤバいなと思っていたんですが、入学式の日の朝から3日間、朝5時45分に起こされて、上級生が怒鳴り狂う中で6時から1時間掃除をやらされる日が続いたんです。それからも月1で深夜に呼び出されて怒鳴られる日々が続きました。家が遠いから退寮もできず、結局5年間この寮から学校に通いました」

今までの環境と180度違う異質な場所での生活を余儀なくされた水無月さんは、精神面と戦いながら学校生活を送ることになります。

「クラスごとに席次が出る学校で、成績は5年間、40人のうち20〜25位の間をさまよっていました。授業は1年生から3年生までは普通科の内容とそんなに変わらないと思いますが、1年のときに物理基礎と化学基礎をやり、2年までに物理と化学の範囲をほとんど終えるというように進度が早く、普通校と比べると1年前倒しで授業が進んでいたと思います」

学校での授業時間以外はベッドの上にいて、Twitterでずっとつぶやいていたと語る水無月さん。

「講義を真面目に聞いたことは全然なかったです。講義中やベッドの中でもずっとスマホを開いていました。高専入学から卒業まで45万ツイートほどしたので、1日に約300回も呟くほどTwitterばかりしていました」

アルバイトで大学進学を志す

そんな彼が大学に行きたいと思ったきっかけは、寮の環境から脱出するということもあったようですが、大きなきっかけとなったのが飲食店でのアルバイトの経験だったそうです。

「高1のときから、ぼんやり大学に行こうとは思っていたのですが、3年生のときに始めた接客業がうまくいかなかったことで真面目に進路について考えるようになりました。僕は朝早く起きるのが苦手な人間なので、早朝にフラフラの状態でバイトに行ってはコミュニケーションで失敗したり、ミスをしたりしていました。

そうした挫折経験から、高専から就職できるような企業だと、自分に合うような仕事ができないんじゃないか、すぐにやめてしまうんじゃないかと考えたんです。だから、大学に行くことで専門性の高い仕事に就けるようにして、フレックスタイムやテレワークなど将来の働き方も選べるようにしたいと思いました

こうして彼は3年生から受験勉強を開始します。

高専生の大学進学の手段はほぼ編入学試験に限られます。5年生の5〜8月ごろに2年次・3年次編入試験を受け、合格した大学に2年生・3年生から入学するという仕組みだそうです。

「編入学の場合は自分の立ち位置を知る模試が存在しません。当時はTwitterやStudy plusなどで勉強ができる人ばかりを見ていたので、『自分はダメなんじゃないか』という不安な気持ちが強い中で勉強をしていました」

一般的な高専生は4年生から大学の進学を目指して勉強を始めますが、彼は3年の半ばから猛スパートをかけ、1年半ほど編入試験の対策に充てます。

「高専の4〜5年生で学ぶ内容はほとんど大学の専門科目・教養科目でした。編入試験のレベルは、大学によって違いますが、大半の大学では通常の大学生が1〜2年生くらいでやる数学や物理について聞かれるので一般的な理系の大学院入試と同じくらいの難易度と言われています。

大学や学部学科によって受験科目は違いますが、僕は大学レベルの専門科目は課されず、英語・数学・物理で受験できる大学を中心に選び、その3教科と京大などで課される化学の勉強を進めていました」

勉強を重ねていくにつれ、学年で真ん中以下だった成績も上がっていき、数学は4年生のとき初めて定期試験で100点を取ったそうです。

「最初はこの環境から抜け出したいという動機でしたが、4年生で『ファインマン物理学』という良書に出会って、そのわかりやすさに感動してからはより大学で物理を勉強したいという気持ちが強くなりました」

筑波大に合格したが後悔が残る

こうして、5年生に上がってから複数の大学に出願して編入試験を受けた水無月さんは、進学する筑波大学をはじめ、電気通信大学・東京農工大学などの難関大学に合格しました。


水無月さんが合格した筑波大学(写真: PIXSTAR /PIXTA)

「僕は4年生終了時の成績が24位でした。この席次だと就職の人が多く、進学すること自体が厳しい順位でした。そんな自分でも、過去に上位の席次の人しか合格者がいないような大学に進むことができました」

5年苦しんだ学寮から抜け出せる機会を手に入れ、無事難関校である筑波大学理工学群応用理工学類応用物理学主専攻への3年次編入学が決まった水無月さん。

しかし、それでも彼の中では受験生活への後悔がくすぶっていました。「不完全燃焼だった」受験生活を払拭するため、彼は仮面浪人を決断します。

「実は学寮の環境のストレスが受験期に重なって、この1年は精神状態がかなり悪化していたんです。期間的には人よりも長く受験勉強をしましたが、それでも東大や京大の試験に落ちた時点で、もっとやれたなと思ったんです。

高専は進路が決まらないまま卒業する人がほぼいない学校なので、『浪人』という概念がそもそもありません。だから、後悔をしたくなかったので、先生に伝えたときは驚いていましたが、筑波大学で仮面浪人をしようと思いました」

勉強量の不足や、体調管理・精神状態の管理の甘さ」で落ちた自分を責めた水無月さん。その後悔を払拭するために、もう一度東大・京大を受験しようと決意しました。

筑波大学に進むことが決まった5年生の秋〜冬にかけての水無月さんは、卒業研究と英語の勉強を並行して行い、TOEICで745点を取得したそうです。

そして、高専を卒業してから4月に筑波大学への編入学が予定されていた水無月さん。

しかし、ちょうどこの年は歴史的なパンデミック、新型コロナウイルスが世界中に蔓延します。

筑波の授業を受けながら京大を目指す

例年4月から始まる筑波大学の授業が1カ月遅れ、それ以降もオンライン授業で行われることを知った水無月さん。時を同じくして、ようやく寮から脱出したこともあり、体調が回復してきた彼は、少しずつ勉強ができる環境が整ったそうです。

「寮にいた頃は1週間で勉強時間がゼロのときもありました。でも、筑波大学に入ってからはオンラインで授業を受け、課題をこなし、それが終わってから参考書をやるサイクルができました。課題が終わった夜9時ごろから深夜1時くらいまで、現役のときに使っていた参考書を使って勉強していましたね」

彼はこうして慌ただしい日々を送りながら、東京大学の編入試験日である6月28日と京都大学の編入試験日である8月25日、26日に向けて勉強を進めていました。しかし、先に落ちた東京大学では残念ながら力を発揮できずに落ちてしまったそうです。

「この年の筑波大学では4月の休みを取り戻すために土曜授業がありました。東大の試験前日にも授業がありましたし、さらに29日からは期末試験があるというスケジュールでした。東大は6割取れたら合格と言われているんですが、そのようなスケジュールの中ではあまりやる気が起きず、前年度とほぼ点数が変わらず5割くらいしか取れなくて、落ちてしまったんです」

多忙なスケジュールに飲まれて涙を飲んだ水無月さん。しかし、意外とこの結果には悲観はしなかったそうです。

「実は編入試験は、東大より京大のほうがだいぶ楽なんです。東大は時間制限がものすごく厳しいのですが、京大は時間をたくさんくれて、難易度も東大より低いのです。全然対策できなかった東大でこれなら、京大はチャンスがあると思いました」

そして迎えた2カ月後の京都大学の試験。

現役時の受験は「緊張で眠れず、試験時間で爆睡をして3割5分しか取れずに落ちた」そうでしたが、今回の試験では、体をほぐしてリラックスする筋弛緩法を導入したところ、心拍数が軽い運動をしている時と同じくらいと言われている120くらいから70まで落ちたようで眠れたそうです。

こうして現役時の失敗を生かして実力を発揮できた彼は、無事京都大学の2年次編入学試験に合格し、京都大学工学部情報学科数理工学コースに入学しました。

「筆記試験の出来は悪くなかったのですが、自分がいいと思ったときは周りもできているなって思っていたんです。だから、受かったときは驚きが大きかったですね。一回不合格になった経験が生きた合格だったなと思います」

1年越しでリベンジができた

高専では珍しい仮面浪人を経験した水無月さん。

「受験はメンタルがいちばん大事だと思いました」と自身の浪人生活を振り返った彼は、浪人してよかったこと・変わったことに関して「失敗に対する恐怖が薄れた」、頑張れた理由については「大学のイベントがまったくなく、オンライン講義しかない状態で大学生活を終わらせたくなかったから」と語ってくれました。

「専門的な仕事に就くためにはなるべくいい大学に行くほうがいいと思っていたので、京都大学に入れてよかったと思います。京大は2年次編入だから自分は2年遅れの入学になるのですが、情報がない中で自主的に考えて自分の道を開拓したことが、時間よりもかけがえのない、素晴らしい経験でした

現在、京都大学4年生の水無月さんは、来年京都大学大学院情報学研究科に進学することが決まっています。最後に、彼は現在の取り組みと今後の展望について語ってくれました。

高専でも京大や東大に行ける

「筑波大学も京都大学も、志が高い方が多く、熱意が違うなと感じました。その環境の中で勉強や趣味をやるのは刺激になるし、優秀な人が集まる中で切磋琢磨するというのは何事にも変えがたい経験だと思っています。

高専だと進学に関する情報がないうえに、先生からの進路指導や催促がほぼなく、そのような場所で勉強したいと思っている方でも、気づいたときにはもう受験が間近に迫っていて進学できないという事態に陥っていることがあります。

それをなんとかしたいと思って、全国の高専から大学に行った人と一緒にUni-KOSENという学生サークルで、高専生に編入学のための情報を届けています。高専は家系内に大卒者がいないためにあまり大学への理解がない親御さんを持つ学生や、普通の高校に進学していたら予備校代が出せなかったであろう学生が多いですが、そういう環境の人でも難関大学に行けるチャンスがあるので、頑張ってほしいと思っています

「自分以外にあまりできないことを探っていきたいです」と語る彼は、自分の希少な経験を生かし、大勢の同じ境遇の人々に希望を伝えているようでした。

(濱井 正吾 : 教育系ライター)